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こころのありか

作者: 一九山 水京

 俺はあいつが嫌いだ。

 優しい言い方をすれば生理的に受け付けられないからきらいだ。

 最低な言い方をすれば殺したいほどきらいだ。

「おぉい、帰ってきたのかぁ?」

 噂をすれば……いや、四六時中あいつを恨んでいるのだ。それでいうならタイミングも四六時中だ。

「終わった。これでいいんだろ」

「……は。やっとこの程度のお使いができるようになったかぁ。遅かったからまた逃げ出したのかと思ったぜぇ」

 クソ野郎は薬草を摘んできた籠をひったくる。

「まぁ? 前にあんな目にあって逃げ出そうなんざ思わないよなぁ? ひゃはははぁ!」

 そう、こいつの言う通り逃げたくても逃げられない。

 前に一度逃げ出そうとボロ小屋を飛び出して森を駆け抜けたが、途中でクソ野郎が仕掛けた動物用の罠に引っ掛かり動けなくなった。

 クソ野郎もすぐに助けに来ず、俺は三日ほど飲まず食わずで森で野宿をする羽目になった。いや、一歩も動けず朝は照りつける日差しに焼かれ、夜になると獣におびえながら眠らずに夜明けを待つのは野宿とは言わないだろう。

 助けに来た時のクソ野郎の

「俺の小屋の周辺にはこんな猛獣用の罠がわんさか仕掛けてある。正直どこに仕掛けたか俺も記憶が曖昧なくらいなぁ」

 という言葉のせいで俺は逃げられないのである。この言葉が真実かどうかわからないが、確かめようがないうえ逃げようとしてまた罠に引っ掛かりすれば、今度こそ助かる保証はない。

「じゃあ次は飯の用意だ。さっきとってきた野草でスープでも作れ。出来たら呼べよ。さっさとな」

 そう言って欠伸をしながら自分の部屋に戻っていった。

 こいつはほとんど何もしていない。

 家の掃除や炊事、洗濯などの家事はもちろん、食料調達で野草摘みや罠を駆使して狩りをし、加工や燻製にする保存なども全部やらされる。

 間違っていたり遅かったりすると声を荒げて罵倒する。やれ服がシワシワだのやれ味付けが薄いだの、何かにつけて文句を言ってくる。

 こういうことのやり方は、この家にやたらある本を読んで学んだ。文句は言うが教えてくれないクソ野郎な目をかいくぐってなので気が気でない毎日である。

 とにかく俺はこいつから逃げられないまま、屈辱の日々を過ごしていくのだ。

 いつか逃げ出せるようなるその時まで。


              ・ ・ ・


 ある日、外で洗濯をしていると、いつものだらしないヨレヨレの服ではなく、長期間旅に出るかのようなしっかりとした服を着こんだあいつが家から出てきた。

「おい、どこいくんだよ?」

「あぁ? ちょっと遠出だよ。少し長くなる。帰ってくるまで家のことを完璧にしておけ、俺がいつ帰ってきてもいいようにな」

 そういうクソ野郎は腰に剣を携え、背には中身の詰まっている大きなバックが背負われていた。

「いいか? 俺がいないからって逃げ出そうなんざ考えんなよ? 雑用は雑用らしく主人の帰りを待ってるんだな」

 そう吐き捨てると歩き出し、森の中に消えていった。

 この時俺は喜ぶべきだったろう。なんせ憎くてたまらない奴が自分のそばから少しの間とはいえ消えたのだから。

 しかしこの時の俺は、なぜかクソ野郎の背中から目が離せなかった。


              ・ ・ ・


 あれから季節が二回巡った。だというのにクソ野郎はまだこの小屋に帰ってこない。

 だからどうしたということもない。いつも通り家のこと、飯のこと、明日以降ことを着々とこなす。クソ野郎の文句がない分早く済んで暇を持て余すくらいだ。そんなときも家にある大量の本が時間を埋めてくれる。

 ある時のことだ。洗濯した衣類のしわを伸ばしながら物干し竿に干していると、森の奥から気配を感じた。

 運よく罠にかからなかった獣が迷い込んできたか。今までなかったことではないので、小屋に立てかけてあるまき割り用の斧を構え、獲物の出方を伺った。

 数秒後に獲物は森から姿を現した。しかしそれは思いもよらぬものだった。

「はぁ、はぁ、あ! やっと見つけたぁ!」

 姿を見せたのは高そうな服を草や土まみれにした男だった。

「おおっとこれは手厚い歓迎だね!? いやいや、私は怪しいものでも貧しい者でもないよ」

「……あのクソ野郎に用か? だったら生憎だけど、もうずいぶん前からここには帰ってきていねぇぞ」

「クソ野郎って、はぁ、何やってたんだあいつは…まぁとにかく見つかって良かった。あいつの親類である君に、渡すものと伝えることがあるんだ」

 親類、という言葉は難しくて分からなかったが、何故か気に食わなかった。しかしここで追い返してもモヤモヤするので、男の話を聞くことにした。

「そう時間のかかる話じゃない。まずはこれを」

 そう言って背中から取り出したのは、剣だった。見覚えのあるその剣は、俺の心をざわつかせた。

「あいつのことだ。きっと君に伝えてないだろうからいうけど、あいつは僕の国と近隣の国との間で起こった戦争に駆り出されていたんだ」

 受け取った剣が重い。剣なんてまともに持ったこともないが、金属の塊なので重いのは分かっている。しかしこんなにも重いものなのだろうか。

「結果を言うと、戦争は僕の国が勝った。敗戦濃厚といわれていた戦争を、戦争としては有り得ない最小の被害で抑えるまでして。正に彼は英雄だった」

 男は喜ばしい事を話しているはずなのに、今にも泣きそうなその顔は、何故か知っているように感じた。

「だが彼は些細な、しかし致命的なミスをしてしまい、その結果……死んでしまった」

「………………」

「やっぱり、ショックだよね。ごめんよ、伝えなければいけないこととはいえ、急にこんな話をして」

 心に、真っ黒な積乱雲のようなものが渦巻いている。それはまさしく雲のように、とらえようも、形どることのできないものだった。

「……あいつは」

「ん?」

「あいつは、なんて言って死んだんだ?」

 そんな暗雲の中で、一番に見つけたものがこれだった。

 自分がいなかった、ましてや自分とは何の関係もない場所、場合での最後の言葉なんて聞いても意味なんてないことはわかっている。だが聞いておきたくなった。二年も姿を見ず、声を聞かなかったことなんて今までなかったから。

「あぁ、まさにそれを僕は一番伝えたかったんだ。彼の死に際に立ち会ったのは僕だけだったから」

 男は一呼吸おいて決意を固め、告げる。

「掃き溜めのような俺の人生に唯一意味があるとすれば、それはあいつだ。あいつの存在が、俺の人生の意味を教えてくれたんだ。だが手の汚れた俺ができるのはここまでだ。あとは、頼む。あいつの好きにさせてやってくれ」

「…………」

 完全に不意打ちだった。目の前で心構えもしていた者の感想とは思えないが、そう表現するしかないほどの衝撃だった。

「彼とは戦争に参加する条件の一つとして、君のことを君が望むだけ無償で奉仕する約束をしているんだ。もちろん約束があろうがなかろうが国賓扱いさせてもらうつもりだ。次期国王の僕が誓う」

 戦争、死、自由、国賓、いろいろな言葉が雨にえぐられる土のようにぐちゃぐちゃとかき混ぜられる。そこになにがあるかは分かっている。ただ何からまず手にとればいいのかが分からないのだ。

「僕から伝えることはこれだけだ。きっと色々時間がいるだろう、この森を出て丘を一つ越えた先にある太陽の書かれた旗の国が僕の国だ。門にいる番兵にこれを見せれば真っ直ぐ王城にいける。もちろん来るも来ないのも君の自由に任せる」

 男は太陽の紋章が彫り込まれたペンダントを渡してきた。それを黙って受け取る。

「すまない。矢継ぎ早に話しておいて悪いけど、長居はできないんだ。戦争で疲弊した国を立て直さないと」

 男は腰にぶら下げていた水筒の水を一口あおり、回れ右で森に向かう。

「じゃあとりあえずさようならだ。また会えることを願っているよ」

「待てよ」

剣を抜いて切っ先を向ける。気づかなければこのまま次期国王とやらの背を見送れたのに。

 その剣の柄の部分に血がついている。いや染み込んでいる。並みの染みつき方じゃない、見当もつかないほどの血を浴びたのが嫌でもわかる。鞘から抜いた刀身にも薄っすら血の跡が見える。もはやいくら研いでも落とせないかのように。

 それをみて怒りが湧いた。そういうしかない感情が自分の内から湧き上がった。

 この怒りが少しでも薄まればきっと笑ってしまうだろう。あれだけ憎んでいた男だったのに、どれほどクソ野郎がいなくなる日を心待ちにしていたというのに。

「なんなんだよ。お前は何なんだ! どんな理由があるかわからないけど、こんなになるまで、死んじまうまで、あいつを使う理由があったのか!?」

 もう止められない。今にもこの手の剣を振りかぶってしまいそうだ。

「どれだけ切らせた!? 何回見放した!? 一体あいつにどれだけ命を奪わせたんだ!?」

 あぁ、今自分の顔は極めて醜いだろう。眼球なんて淀んでいるに違いない。

「お前は……お前はあいつのなんだ! そして……俺はあいつの何なんだ!?」

 ダムが決壊し、感情が吐き出される。水底に沈んだ一番濃い部分も残らず流れ出す。剣を持つ手が震える。早く答えてほしい。もう一秒だってこの剣から伝わってくるものを感じたくないのに。

「……君には僕を殺す権利がある。したければ受け入れよう。だけど最後の質問にだけは答えさせてほしい」

 静けさが場を支配する。まるでこの森や生き物までもが答えを待ちわびているかのように。

「僕にとって彼は家族同然に想っていた。幼少のころからの付き合いだという以上に彼は大切な存在だった。でも、今わかった。家族であるのは僕じゃない。……君だ。彼が慈しんだ、彼が愛したこの場所や君を見て理解したよ。彼は本当に大切な、何物にも代えがたいこの居場所を守るために剣を握っていたんだと」

「…………は、は? ……な、なんだ、なんだそれ……あいつが、俺を?」

「そうだ。君も彼が好きだったんだね。しゃべり方や表情が瓜二つだ」

 男は切りかかられないと思ったのか、今度こそ森へ消えていった。

 もう剣を持ち上げる力もなく剣を下げ、視線は夕焼けに染まる空を見上げていた。


              ・ ・ ・


 小屋に戻り、テーブルに突っ伏す。本来この時間になると夕飯の支度を始めるのだが、空腹など感じるはずもなく、何をするでもなくテーブルに身をゆだねていた。

「(頭が回らない……何しなきゃならないんだっけ……あぁ晩飯の準備だ)」

 用事を思い出しても体が動かない。突然につぐ突然のせいで虚無感に苛まれてしまっていた。

「(今日の飯は干してたイノシシの肉でシチューをするんだったっけ……あぁキノコをいれなきゃだ、入ってないとクソ野郎がまたやかましいから……あとはサラダ、粉チーズまだあったかな……あれをかけないと暴れだす……)」

 思い出される記憶。嫌いな奴の記憶、消し去りたいはずの記憶が次々とあふれ出る。

「(飯のあとは風呂の用意をして、湯がもったいないからあいつと一緒に入って、明日の狩りの準備をしながら、嘘か本当かわからない話をするあいつの晩酌に付き合って……満足したあいつは酒を持っててめぇの部屋に……部屋?)」

 空隙の頭にかすめた単語をきっかけに、飛び起きる。

「そうだ……あいつの部屋」

 この小屋の掃除、手入れはほとんど任されて、いややらされているが、唯一入ることも許されていない場所が、クソ野郎の部屋だった。

 何かあるかもしれない。今この空虚を埋めてくれるものが。

 勝手知ったる小屋だが、この部屋の前だけは森で迷子になったような感覚になる。

「しまった。鍵とかかかってるんじゃ……あいてる……」

 クソ野郎のことだからと考えたが、拍子抜けにもドアノブを回すとすんなり開いた。

 あいつがいたころは「俺の部屋には絶対に入るなよ? 何の手違いでも入ったりした日には干し肉と同じように吊るしてやる」とまで言われていた場所。そのはずだが、鍵のかかっていないドアを開けると、入室を許されているような、それ以上に入れと言われているかのように気がしてならない。

 部屋に入る。さすがに二年も開かずの間だったので埃の匂いがするが、それ以上に懐かしい匂いがした。

「これが、あいつの部屋……」

 部屋に入ったが壁が見えない。それほどに物にあふれていた。

 右の壁を隠すほどの大きな本棚。そしてそれを埋め尽くす書籍の数々。左の壁には幅の狭い小さなしたベッドとそれを囲うように置かれた武器や道具。それらを手入れする道具などが並ぶ。寝ているときに倒れてきたら大怪我しそうなほどだ。そして奥の壁際に置かれた小さなテーブルとイス、とにかく所狭しと埋め尽くされていた。

「ここは……この部屋は、俺の知らないあいつだ……」

 兵法指南書。薬学書。歴史書。本棚の本はリビングにあるものよりはるかに難しいものばかりで、武器や道具は使っているところなんて見たこともなければ、使う場面も想像できない。この部屋にあるものは自分に出会う前のクソ野郎が使っていたもの。いわばあいつの半生が詰まっている。この部屋をそう感じたのはそのためであった。

「あいつが酔いながら言ってた自慢話は、案外本当だったのかもな」

 それならもうちょっとまともに聞いておけばよかったと思った時、目に入ったものがあった。

「これは……日記?」

 奥にある小さなテーブルに置かれていた厚めの手帳。長年使っているのか表紙も頁もくたびれている。

「日記なんてつけるようなやつには思えないけどな……」

 でもちょうどよい。本人の何かが直接書かれたものがあるのだ。今これほど都合のいいものはないと思い、頁をめくる。

『〇月〇日。この小屋には一人で住むつもりだったが、道中評判の悪い野党集団を皆殺しにしたときに、やつらが繋いでいた年端もいかねぇガキを拾ったので、てめぇで生きられるようになるまでは面倒を見ようと思う。日記なんて柄でもねぇが、どうせ時間は有り余ってる。ガキともども暇つぶしくらいにはなるだろ』

「なんだよ、俺の生まれってそんなだったのかよ。てか暇つぶしで子供育てんなよ」

『〇月〇日。想像以上にガキってのは手間がかかる。それにどうかまっていいのかが見当もつかん。今まで相手してきたのは騙すやつ、無視するやつ、殺すやつばかり。自分の袖を引っ張って何かを訴える目を向ける奴なんてどうすればいいってんだ。この小屋の改築にガキのお守りに読み書きを叩き込む。当分はゆっくり寝られんな』

「そういいながら日記はつけてたんだな。変なところマメだなあいつ」

『〇月〇日。それなりに読み書きができるようになったからいろいろ教え込めるが、やっぱり俺はどうしようもない屑だ。ガキ相手でも罵倒するような態度でしか物を言えねぇ。俺の一言一言におびえてるあいつを見るたびに自分の醜悪さを感じる。軽く死にたくなる。それ以上にガキに詫びを入れたい。拾ったのが俺みたいな屑ですまん、と』

「……なんだよ。今更殊勝な態度とってもおせーんだよ」

『〇月〇日。ガキが逃げ出しちまった。当然だ、こんな男から逃げたくなるのは当たり前だ。しかしこの辺りは猛獣も多いしそのために俺が張った罠もわんさか仕掛けてある。早く見つけないと、見つけないと、見つけないと。家に戻っているかもしれないと二日ぶりに戻ったがやはりいない。いやだ、失いたくない。今まで奪い続けてきた俺が言うことがおこがましいとはわかっている。どんな罰でも受ける。だけどどうかあいつだけは俺から奪わないでくれ』

『〇月〇日。見つかった。見つかった。ずいぶん遠くの罠にかかっていた。だが傷を負わない罠だった。三日もかかってしまったからやせ細っていた。よかった。本当に良かった。こんなに涙を流したことは初めてだ。人を殺す時より手が震える。どんな呼吸法を行ってもあふれる感情が抑えられない。ありがとう。助かってくれてありがとう。そして許してくれ。こんなどうしようない男を許してくれ。もう絶対に危険な目には合わせない。絶対に』

「挟まってるのは、ここらの地図、それに×印……なにがわからないだ。しっかり罠の場所わかってたんじゃねーか……」

『〇月〇日。ずいぶん色々できるようになった。俺の口汚さに文句も言わずせっせと働く。地頭がいい。リビングにある本を読んではすぐに自分のものにする。これからどんどん本を入れ替えてやらなきゃだ。機を見て王国から本を仕入れる必要もあるな。あいつに揃えさえておこう。』

『〇月〇日。ガキが初めてイノシシを仕留めた。武器をもって森にいったときはまた罠にかかるのではないかと心配で汗が止まらなかったが、杞憂だった。安心を隠すために頭をはたいたのは本当に悪いと思っている。おめでとう。お前は立派な一人前の男だ』

「………………」

『〇月〇日。こんな森の中にも関わらず王国から伝書鳩が飛んできた。内容も鬱陶しい。だがすぐ近くで戦争だの言われれば無視できねぇ。偶然でもなんでもなく戦火はいたるところに飛び火する。勝つためなら何でもやる。それが戦争だ。あのガキに血や死肉は見せたくねぇ。怒号や悲鳴を聞かせたくねぇ。そんなものを聞くのは俺だけで十分だ。秒で終わらせてまたここに帰ってくる』

「………………」

 ここで日記は途切れていた。後に続くのは白紙白紙白紙。俺はなにもないページをめくった。無意識に欲した。やっと埋まりかけたこの空白を完全に埋めてくれるものを。

 それはあった。最後のページ、裏表紙の内側に手紙が挟まっていた。中にある羊皮紙を広げる。

『この手紙を読んでいるということは、勝手に俺の部屋に入って日記を読んでいるということだろう。俺の言いつけを守るお前が部屋にいるということは、俺はきっと戦争で死んだのだろう。書いていて情けないが、すぐ隣に死があるのが戦争だ。もしもの時にために書いておく』

「……っ」

『だが書いておくといっても心配してのことではない。俺が育てた、俺が認めたガキだ。一人でもやっていけるのはわかっている。この小屋は好きにしていい。俺の部屋にあるものを売っ払ってしまっていい。そも金はある。俺の部屋の床板に一枚だけ色の違うのがある。その下に隠し貯金がある。王国の一等地に住めるほどだ、好きに使えばいい。まぁこの小屋での生活をしてたお前にそこまでの物欲があるとはおもえないが』

「いらねぇ……そんなもんいらねぇよ……」

『しかしお前に贈るものが金だけじゃあさすがに人でなしすぎる。何かと考えていたら、気が付いてしまった。今までなんで気が付かなかったのかと自分を呪いたくなった。だが俺から贈るものとしては、手も足も心も血に染まった俺から贈れるものはこんなものだろう。もちろん戦争から帰ってきたら俺の手できちんと渡すつもりでいる。今まで優しくしてやれなかった分、この戦争を区切りに変わろうと思う。お前に誇れる育ての親として。俺のベッドの下に宝箱が用意してある』

 震える手で手紙を置き、ベッドの下の宝箱を引っ張り出す。鍵のない宝箱は簡単に開く。その中にあったのは。


『今までありがとう。メシア。この名前と名前の入った守り刀を贈らせてもらう。どうか末永く、後悔のない人生を送ってほしい』


「あ……あぁ……う、あ…………」

 心に埋めてもらっていたのは、知識、経験、勇気。そして最後の一欠片。今まで感じなかった、感じようもなかった、愛情。それが今、心に満たされた。

「なんだよ……ちゃんと言えよ……お前の口で……ちゃんと渡してくれよ、お前の手でぇ……お前不器用なんだから、ちゃんと自分で……自分で…………」

 溢れる。流れる。濡れる。

「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 今まで生まれてから流したことがなかった涙が、それまでため込んでいたかのように、とめどなく流れ落ちた。


              ・ ・ ・


 風が頬を撫でる。周りに建物がないおかげで心地よい風が丘を通り過ぎる。

 周りにあるのは墓石だけ。数ある墓石の一つ、そこに青年はいた。

「やぁ、やっぱりここにいたんだね。メシアくん」

 メシアと呼ばれた青年は黙祷をやめ、豪奢な服の男の呼びかけに答える。

「あんたか。国王様がお忍びか? ならせめてその派手な服を脱げよ」

「いや、ちゃんと離れたところに護衛はいるよ。もっともこの国の中で護衛なんて必要ないんだけどね」

「は、大した自信だこと。こりゃ先十年は安泰だな」

「ちょ、考えたくないことを言わないでくれ。そうじゃなくてももう十年も経ったんだぞ!?」

 会話が途切れ、二人は墓石に視線を見ける。

「あれから十年か。早いものだね」

「あぁ。あっという間にこいつと過ごした時間を超えちまった。だが」

「彼との数年のほうが長かった、だろ?」

「あぁ。忘れたくても忘れられねぇ。まったくいい迷惑だよ」

 国王が持ってきた酒を墓石にかける。クソ野郎が好きだった銘柄だ。

「さて、まだ王国に滞在するんだろ? 今夜は時間が取れたから、思い出話を肴に一杯どうだい?」

「おいおい、十年たったが俺はまだギリギリ未成年だ。国王が進んで法律を破るんじゃねぇよ。あと、すまん。今から帰るわ」

「えぇ!? まだお願いしたい有事が結構あるんだけど!?」

「重要そうなものは片づけたから、あとの細かいのはできるだろ。国王様は時間が空いてらっしゃるようですからね」

「とほほ……またしばらく酒はお預けかぁ……やっぱり、あの子が心配で?」

「まぁ、な。念には念を入れてあるが、やっぱりどうしてもな」

「とか言って、本当は早く顔が見たいだけだろうに」

「るせぇ。とにかく帰るからな。それと……」

 メシアは墓に向き直る。腰に携えた守り刀をそっと撫でる。

「また来る。あの子もだいぶ大きくなったから、今度は二人でここに来るよ。じゃあな、クソ野郎」

 彼譲りの、ぶっきらぼうに挨拶し、王国を後に家路につく。何にも代え難い、あの小屋に。


              ・ ・ ・


「異常なし、異常なし。今日も森は平和そのもの。この分なら心配なさそうだな」

 帰り道の森の中。罠に状況を確認しながら歩みを進める。しかし歩いているところは道どころか獣道ですらない。小屋までの道を造らないように毎度毎度違うルートで森を歩くせいだ。しかし迷う素振りなど微塵もなく、少し開けた場所に出る。十年たって少し敷地を拡げた我が家だ。

「我が家も異常なし。あとは」

「メシアおにいちゃんおかえりーーーー!!」

「おぼぉ!」

 少女のタックルが鳩尾に炸裂する。そのままぐりぐりと顔をこすりつけてくる様子が実に愛らしい。

「っはは、ただいまアンジェ。いい子にしてたか?」

「うん! あのねあのね! アンジェね! お兄ちゃんが出してた宿題ぜーーーーんぶ出来たよ! あとね、苦手な野菜も食べられたし、それにねそれにね!」

「おうおうちょっと待てちょっと待て、ゆっくり聞くからまずは荷物を置かせてくれ。夕飯の支度もしなきゃだしな」

「大丈夫! 下ごしらえはもうやっちゃったもん!」

「ほんとか? すごいじゃないかアンジェ」

「えへへぇ~」

 頭をワシワシと撫でられ満面の笑みをこぼすアンジェ。

 この子、アンジェはクソ野郎が勝利に導いた戦争で生まれた戦争孤児だ。ある時王国付近で倒れているところを保護してから今に至る。

 出自をたどるとアンジェは敵国の孤児だが、そんなことは関係ない。この純真爛漫で愛くるしいアンジェはかけがえのない家族なのだから。

「じゃあ準備してるから、早くリビングにきてね~!」

「はいはい、すぐ行くよ」

 小屋に戻り、俺は自分の部屋に入る。自分のとは言ったが、ここは元クソ野郎の部屋だ。あの一件以来寝るときはここにしている。読みたい本がそこにあるからで、決して他意はない。しかしアンジェが来てからはよく一緒に寝るので、この部屋で寝ることはずいぶん減った。

「さて、荷物もほどいたし、あとはあれを書いてしまうか」

 普段着に着替え、テーブルに向かい日記を開く。

「さて、何から書くか。道中見つけた珍しい植物か。いや、王国で助けた旅芸人のこと。それから国王の依頼でのことか」

「おにいちゃーーーーん! ごはんできるよーーーー!」

「おぉう! 今行く!」

 さらさらとペンを少しだけ走らせて、アンジェのいるリビングに向かう。

 これはクソ野郎の日記の続きだが、書いているのは日記というより報告書だ。いつどこで何をしたかを伝えるため、あのとき話せなかった分を取り戻すかのように。

 ゆえに毎度内容は悩むが、初めの一行は必ずこれから始める。


 拝啓、クソ野郎へ――

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