3.会話のきっかけ
二年C組、貝塚詩織。
クラスの女子グループに所属している様子はない。おそらく他のクラスのグループに所属しているということもないだろう。
ぶっちゃけて言えばぼっちである。
女子と仲良くできないのに、男子と仲良くできるわけがなかった。当然のように男子との交流だってない。
だが、それは俺が貝塚に興味を持っていなかったからだ。認識していなかったと言い換えても過言じゃない。
だから、今は違うのだ。
「ねーねー貝塚さん。数学の宿題やってきた?」
「……え? 私?」
授業の間の休み時間に話しかけてみる。貝塚はキョロキョロしてから自分を指し示した。ちなみにこのクラスに貝塚さんは彼女だけである。
よほど信じられないのか目をパチクリしちゃっている。かわいい。
「そうだよ貝塚さんって呼んでんじゃん。今日の数学の宿題なんだけど、どう? やってる?」
「う、うん……やってる、けど」
「そっかぁ。じゃあ答え合わせしようぜ」
「……え? え?」
なんかすげえ戸惑ってる。
確かに今までまともに話したことのない男子に急に声かけられたらびっくりするか。
でもさ、昨日図書室で話しかけたはずなのだ。ほとんど気づいてもらえなかったけどさ。
ちゃんと覚えているなら話のとっかかりくらいにはなりそうだけど、朝から観察しているが俺に顔を向ける様子がない。
意識して顔を背けているわけじゃない。あれは本当に意識すらしていないのだ。
昨日帰る時なんてすごい瞬発力だったからなぁ。信じたくなかったが、急いでいて俺に気づかなかった可能性がある。
それならそれでいい。
彼女とはこれから始めていけばいいのだ。そう思うことにした。
「……えっ、と」
口ごもる貝塚がどう考えているかはわからない。
それでも、随分と警戒されている気がする。
怪しくないようにと笑顔を絶やしていないのだが。よほど人付き合いが苦手なのだろうか?
そんな彼女にでも大丈夫なように軽いジャブから攻める。
宿題。同級生ならなおのこと共通の話題である。
俺は貝塚が文学少女ということしか知らない。さらに言えば貝塚は俺のことを何も知らないだろう。
そんな中で話題をどうするか?
意気揚々と話しかけて盛り上がらなかったら好感度ダウンであろう。
オープニングから勝負に出る必要はない。まずは軽いジャブで充分なのだ。
そんなわけでちょうど今日の宿題である数学のノートを話のネタにと持ってきたのだ。いつもは宿題なんてまともにやらないからな。昨晩はがんばっちゃったぜ!
貝塚が宿題をやってなかったら見せてやるつもりだった。ぼっちの彼女ならこのチャンスに飛びつくだろうと考えたのである。
そして、宿題をやっていたら。その時は二人で答え合わせをするつもりだったのだ!
結果は後者のものとなった。どちらにせよ会話のとっかかりとしては十分だろう。
戸惑いながらも貝塚は数学のノートを取りだした。俺も近くの奴の席を借りてノートを広げる。
よしよし、順調じゃないか。断られなかったのは大きい。
俺は内心小躍りしながら宿題の答え合わせを始めた。
「……」
「あれ、ここ俺と貝塚さんの答えが違うな。どっちが正解なんだろ?」
「……えっと、その……」
「俺はこうこう、こういうやり方で解いたんだけど貝塚さんはどうやったの?」
「うぅ……」
貝塚は顔を赤くして涙目になっている。
え、なんか俺がいじめてるみたいじゃないか。
ただ宿題の答え合わせをしているだけだ。断じていじめてなんかない。むしろ学生の本分をまっとうしている健全な学生であるはずだ。
なのに、貝塚からの返事は優れない。
というか「えっと」とか「その」ばっかりだ。まともな単語にすらなっていない。
いや、昨日は声すら聞けなかったのだ。そう考えればこれは進歩と呼べるかもしれない。
……カメのような歩みだけどな。
もしかして急すぎて緊張しちゃったのか? 昨日まで同じクラスだったのに接点の一つもなかったから仕方がないと言えばそうなのか。
だったら徐々に慣れてもらおう。
これが最初で最後ってわけでもない。こうやって話しかけてさえいれば、いつかは俺が貝塚に話しかけること自体が自然なものだという認識になっていくはずだ。
ふふ、ダテに中学時代から恋人募集中を掲げていないのだよ。作戦はばっちりだぜ!
でも実際に恋人ができたことがないのを触れてはいけない。俺のハートがブレイクしちゃうからっ。
なんとか貝塚にしゃべってもらおうとするものの、短い休み時間はチャイムとともにすぐ終わってしまう。
次の授業があるためここまでだ。
「チャイム鳴ったから席戻るわ。また頼むな」
「う、うん……」
ギクシャクした動きだったけど頷いてくれた。
拒絶されているわけじゃない……はずだ。
嫌われていないならそれでいい。
まずは俺という存在を認識させていくのだ。そうして徐々に好感度を上げていく。
そうだな、とりあえずの目標は。
……目を合わせて話せるようになることかな。