9.ライブハウスに行こう 2
待ち合わせはライブハウスの所在する某駅前に17時半という設定だった。
ほぼほぼ時間通りにやって来た青花に、やはり数分違わず現れた星乃が背後から声をかけた。
「ごめん、待った?」
「うわっ。いえいえ全然、今来たところでございます!」
「はは」
青花が驚いて振り返ると、星乃は相変わらず穏やかに笑った。
初めて見る星乃の私服姿に、青花は一瞬見惚れた。ネイビーのシャツをラフに着こなしているが、落ち着いた雰囲気は損なわれていない。パッと見は少し年齢が上の、大学生くらいの印象だ。
対する青花は飾り気もなく、Tシャツジーンズに黒のパーカーを羽織っているだけだ。横に並ぶと明らかに子どもっぽく、少し気恥ずかしくなる。
「行こうか」
こっちだよ、と星乃は目的地の方角を指して歩き始める。
青花は人混みで逸れず、歩幅を合わせて追いかけるのに必死になった。
+ + +
「つー訳で、兄にガチ凹みされました」
「そっか、学校側は大変だったんだ。事故自体はニュースで詳細には取り上げられてなかったと思ったけどね。まあ……安全基準とか保護者への説明とか、色々あったんだろうな」
「みたいです」
道すがら、青花はつい先刻交わした忍との会話を、星乃に告げた。
「兄は新任だから副担任しかやってないんですけど、クラスも違うから、その、ほとんど面識とかはないらしくて」
「だろうね」
一応何か役に立つ情報を得られないか、青花は忍に詳細を訊こうと思った。しかし新人教員に与えられる指示など形式的かつ一方的で、星乃のように全校生徒の顔を把握しているでもなければ仔細は知れない。
「うん、お兄さんからちょっとでも学校側の話が聞けたなら、後で教えてほしいかな。でもとりあえず、今日は別件だからね」
「……はい」
「ほら青花ちゃん、あのビルの地下みたいだよ、ライブハウス」
話しているうちに、いつのまにか行き先に辿り着いたようだった。
人通りが多い場所から、少し裏道に逸れた場所に建つ雑居ビルに、あまり大きくない看板が見えた。
出入り口のボードに『STAR&LUCK vol.6』とイベント名が書かれている。その下にいくつかのバンド名が続く。
「御木くんによると、3バンド目の『sicks』ってバンドらしいよ」
「私、ライブハウスって初めてなんですけど、色んなバンド出るんですね」
「俺もあまり詳しくはないよ。対バンっていうのかな。ライブハウスを時間貸し切りにして、1バンド5曲30分とか……もう少し長いか。多分そんな感じ」
言いながら、星乃は左腕の時計に目を遣り、時間を確認する。30分としても目的のバンドまで1時間以上空くことになる。
「どうする?」
「折角なので他のバンドも観たいです。1コのバンドだけだと思ってたから、ちょっと楽しいっす」
「素人さんがワンマンでやるのは厳しいみたいだよ。費用の面でも集客でも。ホームページ見たけど、このイベント自体はライブハウスが隔月でやってる企画で、『sicks』はわりと初期から常連参加してる」
「へー」
「とりあえず、入ろうか」
「はい」
ビルの階段を下りて、地下の重厚な扉を開く。さすがに防音設備なだけあって、密閉率は高い。中には小さな受付ブースがあり、更に奥にもうひとつ扉があった。
青花と星乃はそれぞれ受付のスタッフにチケットを渡した。
「ドリンク代500円ずつになります」
「俺が出すよ」
「いいんですか? ごちっす」
颯爽と星乃が財布から千円札を取り出して支払うと、フライヤーとドリンクチケットが手渡される。
もう一つの扉を開くと、薄暗い空間が現れた。やや狭小ではあるが、ステージと観客スペース、隅にはドリンクカウンターが設置されている。最初の出演バンドの観客がまばらにおり、開始時間を待っていた。
「今のうちにドリンク頼もうか」
二人はカウンターでソフトドリンクを注文する。メニューを見るとアルコールも提供される店のようだが、もちろん未成年には許されない。
「烏龍茶で」
「同じく」
氷多めなプラカップを受け取ると、二人は壁際の隅へ移動した。やがて18時になり、最初のバンドのライブが始まった。
1時間超立ちっ放しはちょっとキツイな、と思いつつ、自分が観たいと言い出した手前不満も言えない青花は、途中トイレに行って気を紛らわした。
観客は満員とまではいかずともそこそこ集まっており、若干室内の空気が薄くなった気がした。ちらほら件のバンド「sicks」目当ての客も入ってきている。
(言祝木蓮か……)
青花が思い浮かべるのはゲームの攻略対象者のひとり、星辰学院の生徒会副会長にして、学院の外ではバンドをやっているという設定のキャラクターである。
アナーキー系と呼ぶには矛盾を感じるが、生徒会活動には熱心でなく、確か攻略イベントも外での絡みが多かったはずだ。正直青花の好みの方向性とは異なるため、当時あまり興味はなかった。
「言祝木蓮……」
突然耳に入ってきた呟きに、一瞬青花は自分が言葉を漏らしたのかと疑った。
「言祝木蓮、言祝木蓮、言祝木蓮、言祝木蓮、言祝木蓮……蓮、蓮、蓮、蓮」
(こ、怖っ)
ぶつぶつと繰り言のように名を言い続けているのは、トイレ待ちにすれ違った人物だった。可愛らしいワンピース姿の一見普通の女子だが、目は虚ろで尋常でない様子に見えた。
(何だろ。彼女じゃあないよね。熱狂的ファンとか、まさかストーカー? これがヤンデレってやつかな?)
青花以外の周囲もかなり引き気味である。
(ヤバイ感じ。お触り禁止。絶対)
顔を引き攣らせながら、青花は危うい雰囲気の女子から距離を取る。
ぎょろり、とヤンデレ女子の視線が動いた。
(あ……)
前触れもなく面を上げた相手の淀んだ眼差しが、ほとんど意思を持たずに青花を捉える。
(目、が――)
ただ偶然に視界に映っただけだろうが、青花は想定外の事態に動揺して固まった。あからさまに避けたり逃げたりすれば不自然である。だからと言って、目を合わせ続けるのも恐ろしい。
彼女の双眸は暗く濁っていた。
何か気持ち悪い、不快な感覚が青花の背をぞわりと撫でる。とても良くない感じがした。
(……? 気のせいかな)
錯覚だろうか。青花は違和感を抱いて内心で首を傾げる。肌をぴりぴりと刺激する異臭のようなそれは、ワンピースの内側から発せられている。
(黒い……靄?)
実際の時間は1分以内だが体感にして数倍、青花とヤンデレ女子は真正面から相対した。緊張がピークに達する寸前、相手の方があっさりと身体の向きを変える。
(今のうち!)
その隙に青花は脱兎のごとく場から立ち去り、星乃の元へ戻った。
青花は未だ知らない。
自分が目撃したものが何なのか――そして今後如何に関わってくるのかを。