8.ライブハウスに行こう 1
今更ながら、現代ファンタジー系恋愛シミュレーションゲーム『星に願いを、君に想いを』の内容について、現時点で空木青花が把握している知識のおさらいをしてみよう。
舞台は星辰学院高等学校――プレイヤーであり主人公の神無木命が入学した時点から物語はスタートする。
神無木命は黒髪で清純そうなイメージの、可愛らしい少女だ。見た目ほど大人しい性格ではなく、行動力もあり気が強い。
彼女には星辰学院に入学した動機があった。それは命が「神無木」という特殊な家系に生まれたことに端を発する。神無木家の末裔として特別な力を授かった命は、ひとつの使命を課せられていた。
同じ力を持った仲間を探し出し、世に害をなす悪しき敵を封じること――。
敵は「太歳」という凶星とも凶神とも呼ばれる存在で、スタート時点ですでに星辰学院内にいる可能性が高いと判明している。封印の力を持った家系は神無木家だけではない。その凶悪な気配を察知して、おそらく仲間たちも学院に集うはず。命はそう信じて学院で仲間探しを始める。
他家の血筋に連なる者は、偶然か運命か星辰学院の生徒会に属していた。生徒会メンバーは全部で5名。彼らの出身家に主人公の家系を加えた六家の力を指して「六根」という。
要するに、この5人が主人公の恋人候補となる――乙女ゲーム的に言えば攻略対象者である。
相手はすでに使命など忘れているのか、面倒事を嫌がってか、最初は冷たい態度を取ってくる。日常の中で好感度を上げて徐々に親密になり、アイテムを見つけたりお祓いをしたりというイベントの中で恋心を育んでいくのである。
もちろん最終的には全員で協力して敵の封印に至るのがトゥルーエンドなので、特定のキャラクターと結ばれるのは、実はバッドエンドだとも言われている。
肝心の攻略対象者について、今の段階で知れる事実は少ない。
先日、何の因果か扇浜高校で相対した御木雷は生徒会の書記だ。
青花が直接面識があるのは彼だけだが、生徒会長の斎木聖也は会話の中で実在が確認されている。
残りのメンバーは必然的に副会長、会計、渉外の3名になるが……。
(副会長の言祝木蓮)
今回着目すべきはこの人物である。
◆ ◆ ◆
(デート……いや、あくまで取材です)
日曜日になった。
原因だの目的だのはともあれ、青花は今日、生まれて初めて男子と二人で外出をする。約束の時間まではまだ大分あるが、どうにも落ち着かない。
「……何やってんの、お前」
青花がリビングをうろうろしていると、兄の忍が階下に下りてきて、挙動不審な妹を見咎めた。
「兄ちゃん。いや、何でもないよ?」
「出掛けんの? ふーん……彼氏?」
「いっ……やいやいやいやいや!」
「はいはい」
久々に顔を合わせた忍は、にやにやと笑って青花の頭を軽く小突いた。
社会人になってから多忙を極める忍は、家にはほとんど寝に帰っているだけで、朝も早くから出勤してしまう。休日も部活だ何だと駆り出されて、家族と食事どころか会話する時間も取れていないのが現状だ。
教員がそんなにハードな職種だったとは知らず、青花は最近兄に対する評価を改めた。
尤もたまに家で寛いでいるときに、忍は職場の苦労など微塵も表に出さない。
「小遣いでもやろうか?」
「何それキモイ」
「お前な。兄ちゃん泣くぞ」
「えー……違うって。兄ちゃんが汗水たらして働いた血と涙の結晶を、私ごときの遊びで散財したら申し訳ないという妹心です」
「何だかヤバイ液体だだ洩れだなぁ、俺」
まだ疲労の抜けない顔で欠伸をしながら、忍はキッチンでコーヒーを淹れてくれた。自身の分ついでだろうが、青花のマグカップにも注いでテーブルに置く。
「さんきゅーです」
「ミルクと砂糖はセルフな」
「今はブラック派なんだよね。糖質制限?」
「いやそれ違う。どこのおっさんだ」
受け取ったマグカップを冷ましながら、青花はゆっくりと苦いコーヒーを飲んだ。高校受験を経てブラック派になっただけだが、確実に大人の階段を上っている気がする。
マグカップを両手で抱えて、青花は目線だけをちらりと忍に向けた。
星辰学院の内部事情で何か目立った話があれば聞いてみたい気もするが、如何せん他校の青花が突然質問攻めにするのは不自然過ぎる。
何か取っ掛かりはないかと考え、柄でもないと青花は思考停止した。腹芸などどう考えても向きではない。
「兄ちゃんって星辰学院の……えーっと、生徒会って詳しい?」
思い切り体当たりで尋ねると、忍は不可解そうに首を傾げた。
「うちの生徒会? なんで?」
「いやぁ……噂で。カッコイイひとがいるらしいって。ほら、超イケメンがいたりしない?」
「あー、確かに。そんな感じかもな。何、お前の学校でも騒がれるくらい? 知らんかったわー」
どうやら忍は生徒会メンバーについてあまり把握していないらしい。目ぼしい情報を得られず青花は落胆する。
「自分の学校の代表生徒なのにー」
「いや、顧問でもないしな。生徒会長はさすがにわかるぞ。あれはイケメンだな。どこの芸能人かって顔だよ」
「まじですか!」
(やっぱり! さすが作品内随一の美形設定!)
実のところゲームでは生徒会長――斎木聖也のキャラデザインが最も好みだった青花は、若干興奮して拳を握る。
「へえ……お前、ああいうのがいいの?」
忍は明らかに引き気味だった。
「イケメンは正義です」
「あーやだやだ。女って顔しか見ないのか……」
「何を言う。男だって可愛い子が好きじゃん。一緒じゃん。兄ちゃんだって絶対星辰の女子で目を付けている子が何人もいるはず」
「ないない。洒落にならんっつーかクビになるわ。つーか捕まるわ」
「お巡りさんこのひとです」
青花がわざとらしくおどけると、忍は大仰に肩を竦めてみせた。
(まあ兄ちゃんも星辰では憧れの先生やってんのかもしれないけどなー)
実際のところ高校生の女子など、忍にとっては妹と大差なかろう。つまりただのクソガキ扱いだ。
教鞭を揮っている以上それなりに責任を持って生徒に接しているはずだが、星辰学院は生徒数も多い。女子高生に騒がれても、おそらくほぼ個体認識もしていないだろう。
(あー……でも、彼女のことは知ってるかな)
「そういえば兄ちゃんさあ……星辰学院で、今年の6月くらいに事故があったって本当?」
「ん?」
「ほら、なんか女の子が」
「青花……お前」
不自然なほど唐突の質問に、忍はあからさまに眉を顰める。
「いやちょっと、新聞部の先輩に聞いて。あ、夕菜が新聞部じゃん。だからその流れで、ちょっと。不謹慎に騒いだりはしてないんだけどー」
言い訳にもならない科白をたどたどしく口にする青花を、忍は険しい表情で見下ろした。不愉快というより、不機嫌に近い。
「お前な」
「……はい」
「ニュースくらい見ろ。全国放送でやってただろうが!」
「はい!?」
「なんで俺が、っていうより星辰の教師陣が寝食を忘れて夏休み返上、過労死寸前のブラック状態で働き詰めだったと思ってんだ!」
「そ、そうなの?」
(ごめん、兄ちゃん)
膝を抱えて嘆く忍に、青花は胸中で謝罪する。
兄の仕事にも星辰学院にももう少し興味を持っておけばよかったのか、と今更ながらに後悔した青花だった。