44.君に想いを 2
すべてが終わったとき、その地にはもう星辰学院という学校は存在しなかった。
いつの間にか気絶していた青花は、森林公園の人工池のほとりで意識を取り戻す。目覚めてすぐ、校舎も生徒もない光景に絶句した。
緑の木々の間を秋風が摺り抜けていく。
澄みきった青空が広がる。
(世界が……改変される前に戻った?)
何もかも――なかったことになったのだろうか。
状況がわからず、青花はきょろきょろと辺りを見回した。
見憶えのあるような森林公園だが、アスレチックのあたりで飛び交いそうな甲高い子どもの声も、散歩をする家族連れの微笑ましい会話もない。妙に静かで不気味だった。
やがて青花は見つけた。少し離れた位置の芝生の上で、星辰学院の生徒会――自体はすでに消失したかもしれないが、青花にとって見知った彼らが倒れていた。
それぞれを目視して、意識を失っているだけだと確認する。少しだけほっとした青花は、立ち上がってもうひとりを探した。
少しだけ心配がある。
すべてが以前の世界に巻き戻ったとして――。
(私も先輩も……みんなも、もしかしたら)
だとしても、因果律の歪みが正され、本来あるべき世界に戻るのは間違いではない。たとえ今までの人間関係がリセットされてしまっても、失われた大切なものが返ってくるのなら、それでいいはずだ。
(でも)
「先輩……」
「……青花ちゃん?」
不意に、背後から名を呼ばれる。
以前と変わらぬ落ち着いた声は、深い安堵を青花に与えた。
青花は振り返る。
星乃はゆっくりと歩み寄って、その身体を両腕で受け止めた。
◆ ◆ ◆
結局のところ、世界は何もかもが元通りになった――訳ではなかった。
青花の地元から星辰学院という学校は跡形もなく消え失せた。
森林公園は元に戻った。
スマホアプリの乙女ゲームはやはり起動しないままだった。
(……死んだ人間は還らなかった)
神無木命も空木忍も、奇跡のように甦ったりはしなかった。
あれから一週間ほどかけて、青花は自分の記憶と周囲との齟齬を確認した。何故か青花の中には依然、家族に兄がいた思い出が残っている。しかしながら、両親や近隣の知己にとって、忍は子どもの頃に亡くなった認識しかなかった。
一方、神無木命はどうか。これはネットの記事で発見した。彼女もまた、森林公園で死亡している。公園内でサイクリング中に雨が降り出して、不運にも転倒し打ち所が悪かったため、という理由だった。もちろん今年の6月のことである。
道理であの日、日曜の昼間だというのに閑散としていたはずだ。人が疎らだったおかげで、目立たずに済んだ部分もあるが……。
(正直ちょっとパニックだったもんね)
あのとき――無事に意識を取り戻してから、青花や星乃は比較的平静を保っていたが、他の5人は目を覚ますや否や、次々と混乱を口に出した。
自分たちが通っていた学院が影も形もなくなっていたから、という理由だけではない。
5人はそれぞれ全く別の制服を着ていた。
(当たり前って言えばそうなんだけど)
――二重の記憶がある。
異なるふたつの人生の軌跡が己の中にある、と彼らは言った。世界の改変以前はただの高校生だった。そもそも名前や年齢が一致するから、乙女ゲーム世界の攻略キャラクターに仕立て上げられただけなのだ。
(でも今も顔とか性格とか戻った訳じゃないんだよね。謎過ぎる)
青花でさえ戸惑う。当人たちの心の整理は難しかったろう。
日曜は星乃が自宅に彼らを泊めた。
その後は皆、概ね落ち着いて本来の生活圏に戻っていったらしい。星乃から電話で少し聞いただけなので、青花にも詳細はわからない。
そう――あれ以来、青花自身が星乃と直接顔を合わせていなかった。彼は別に大きく生活が変わった風でもなく、変わらず扇浜高校新聞部の部長をやっている。
単に青花が気後れして、避けていただけだ。
一週間やそこらで様々な想いから解放されるはずもない。青花も星乃も立場は違えども、身内を永遠に喪った。どれだけ痛みを抱えていても、いつまでも立ち止まってはいられない。
覚悟を決めて、青花は部室棟に赴く。
あれほど入り浸っていた新聞部の扉は、叩くといやに硬質な音を響かせた。
+ + +
「そうだね。結論から言うと、直に『太歳』と関わった人間は、影響を免れなかったということじゃないかな。多分だけど」
しばらくぶりに対面を果たした星乃は、何ら気にも留めた様子もなく、普段通りの平常運転だった。
本当に立ち直っているのか、敢えて装って平静に振る舞っているのかは判然としない。
「彼らほどじゃないけど、俺にも多少記憶の混乱があってね。まあ、基本的に一般人として生きてきたから、そんなに大きな違いはないけれど」
星乃は苦笑する。
「そうだ、天木くんなんか海外らしいよ。本当は9月から留学だったらしい」
「えっ」
「うん、俺も驚いた。昨日、空港から連絡があった。向こうで落ち着いたらメールでも送ってくれると思うよ」
聞けば、元星辰学院生徒会メンバーの出身は全くバラバラだった。
あれほど派手な容姿ではなかったようだが、天木玲生のハーフ設定は変わらないらしい。ただ北欧ではなくイギリスに帰って行った。その前は東北の都市部に長く住んでいたという話だ。
斎木聖也と御木雷は東京都内の高校生で、比較的近い。
もちろん聖也はあんな無機質で他者を寄せ付けない人柄ではあり得ない。カラオケ屋で接客アルバイトをしていたというから驚きである。
雷はやや引き篭もりがちで、交友関係が狭くコミュニケーションが苦手なタイプだったという。体格も大柄というより大分太ましく、自身のギャップに頭を抱えていた。
どこにいてもあまり変わらないと豪気に言い放ったのは貴木遥真だ。転勤族の親元に生まれたため各地を転々としていたが、高校からは大阪に腰を据えている。今は剣道部に所属はしていないものの幼少時に習い事でやったそうなので、また再開するかもしれない。
言祝木蓮は四国の神社の家に生まれている。名前の珍しさからして納得である。あの頭髪で帰るのは親に叱られるとカットして染め直していた。いずれ家の跡を継ぐために神道学科のある東京の大学に進学する予定で、その際にはまた会えるだろうと笑っていた。
困惑もあれば迷いもあったろう。
すべてを呑み込んで、それぞれが自分の生き様に戻っていく。変わった部分も残された部分も、いずれは消化し統合される。
彼らはきっと巧く折り合いをつけていける。精神的に大人である星乃も同様だ。
(私だけが取り残される)
青花はまだ割り切れないでいる。
皆で戦った瞬間はあんなにも強気でいられたのに、時が経っても心を占めるのは寂寥と漠然とした虚しさだけだった。
「……青花ちゃん、大丈夫?」
すべてを見透かしたように星乃が語り掛ける。
「何でもいいから言ってみなよ。そのために今日、ここに来たんだろう?」
次話でラストです
うっかり一話増えてしまいました
 




