32.お祭り騒ぎとぼっちの君と 6
「え? 青花? 何やってんのお前」
「兄ちゃん!?」
「こっちの校舎は立ち入り禁止だぞー」
「それはその、ええっと……」
「あー、さては彼氏としけ込みに来たな? まあ気持ちはわからんでもないが、他校では節度を守ってくれよ」
「いやいやいや……」
2階フロアに辿り着いた青花は、緊張感に欠ける兄の姿を目にして、思わず脱力した。
階段を昇ってすぐの廊下にいたのは、忍だけではなかった。何度目にしても見慣れぬ美形たちの視線が自分に向かっているのを知り、青花はぎくりと身体を強張らせる。
「会長、副会長も……」
そんな青花を庇うように、遥真が一歩前に踏み出した。胴着姿の背中が視界を僅かに塞ぐ。
「遥真?」
「どうしたんだよ、貴木」
忍と共にいたのは生徒会長の斎木聖也と副会長の言祝木蓮であった。教員である忍に随行しているということは、学校側の用事か何かで青花たちよりも早くに東校舎に来ていたのかもしれない。
(外の様子を知らないんだ)
三人とも危機感の欠片もない。1階はまだ外の物音や声を拾うことができたが、2階までは伝わっていないのだろう。
(どうする? 言祝木さんはともかく、斎木さんには……それに、兄ちゃんになんて説明すんの)
蓮は一早く遥真とアイコンタクトを取って、何かが起こっていることを察してくれたようだ。問題は忍と聖也だ。
そもそも聖也は自分の家系だの六根の力だのを認識しているのか不明である。以前に玲生が聖也についてはわからないと語っていた。自覚しているのならば話は早いが、蓮や雷の家のように伝承が廃れていて、知識も力もちゃんと受け継いでいない可能性もある。
「何かあったか?」
聖也の声音は相変わらず抑揚に乏しかった。空気の中に混じる不穏な雰囲気を読み取りながらも、真空に佇むかのごとく一切の揺らぎを見せない。
「お前が部外者を連れて規則違反をするなど、普通ならば考えられんな」
「……表で」
支配的に相手を捉える眼差しに抗えず、遥真は仕方無しに報告する。
「生徒たちが異常行動を」
「何?」
「先月の集団ヒステリー時に酷似しています」
似ているどころか状況はより一層深刻なのだが、遥真は敢えてなのか断片だけを告げた。急にあれこれ言っても混乱を招くだけで、危険を認識できないと判断したのかもしれない。
先日、生徒の暴走に巻き込まれた当事者は遥真と雷だけだ。その場にいなかった聖也たちに臨場感は伝えられなくとも、怪我人を出したという事実は重要である。同様の事態が起こったのならば――早急に対処が必要だと、聖也でなくともすぐに気づく。
「ちょい待ち。貴木、それ本当か?」
「はい、空木先生」
「他の先生方に言った?」
「いえ、そんな余裕はありませんでした」
「おいおーい」
口調の軽さとは真逆の表情を浮かべた忍は、スマホで連絡を取り始めた。だが、残念ながらその行動は徒労に終わるだろう。
「何だよ、ありゃあ……」
窓ガラス越しに地上を見渡した蓮は、どす黒く覆われた校庭やら本校舎やらを目の当たりにして絶句していた。
「何が見える? 蓮」
「何って聖也、お前……」
(……斎木さんは)
聖也の冷たい双眸にはどこまでが映っているのか。感情を捨て去った横顔を、青花は注視する。
表情は読めない。けれど直感が告げた。
(もしかして最初から、斎木聖也には全部)
「見えてたんだ……」
「え?」
「見えてるんですよ、言祝木さん。斎木さんはわかってたんです」
「あんた、何を……」
「わかってて黙ってた。そうですよね、斎木さん」
確信を抱いて指摘する青花に、蓮は口を挟めなかった。聖也の長い睫毛が不思議そうに瞬く。ひとり星乃だけは青花の発言を聞き咎めて制止する。
「青花ちゃん、それは」
「いえ……言わせてください、先輩」
青花の脳裏に残酷な事実が閃く。
感情の奥から何かに突き動かされて、言葉が口をついて出てきた。
「だって絶対このひと知ってたんです。学院がおかしいことも、今の校内の様子も。それだけじゃない。あの日ここで何があったのかも、全部」
「君は――」
「あの日……彼女に何があったのかも」
+ + +
「君は……」
(やってしまった)
青花は不可抗力に近い成り行きで、絶対零度の氷の美貌と対峙する。
ただ、その緊張は長くは続かなかった。
どちらかに胆力が不足していたからではない。
突然に――そう、誰も予期できぬほど前触れもなく、信じ難い出来事が一同を襲ったのだ。
「……っ!?」
ぐらり、と足下の床が大きく揺らいだ。
「何だ……!?」
「地震?」
大きな振動が廊下や壁を伝った。一瞬、東校舎全体が傾いだかのように思えた。
ただの地震ではない。
いや、本当に自然発生の地震なのだろうか。
あまりにも不自然なタイミングで起こった現象に、青花は混乱しながらも強く疑心を抱く。
(まさか、話の邪魔をされた?)
しかし考える間もなく、揺れは絶えず続いている。それどころか更に勢いを増し、立っていることすら困難になりつつあった。
「うわっ……!」
平衡感覚に恵まれない青花は、体勢を維持できず前のめりに倒れそうになる。
「青花ちゃん!」
「青花!」
星乃と忍がほぼ同時に名を呼んだ。
「……くっ!」
最も近くにいた遥真が素早く腕を伸ばしたが、双方とも激しくよろけたため、指先が服を掠っただけで摺り抜けていく。
転倒を通り越して、青花の身体は殆ど宙に浮いた。飛ばされた方向には偶然か必然か、聖也が立ち尽くしていた。
(危ないっ……!)
庇うためか、単に崩した姿勢が悪かったのか、聖也は右腕を広げていた。全く意図せずして、青花は彼の腕に飛び込む形でつんのめる。体感的にはスローモーションのように感じられた。
無論、不安定な足場で人間ひとりを支え切れるはずもなく、聖也も衝撃のまま倒れ込んだ。
後頭部から床に落ちる体勢だったため、寧ろ青花よりも危うい。
「ッ……!」
「ひゃっ……」
――嫌だ。
(……何?)
聖也に触れた瞬間、青花の視界が一気に暗く黒く染まった。どこかに頭を打ったのか、ちかちかと思考の裏が点滅する。
(何なの?)
幻聴までもが聞こえた。
――……シテヤル。
――いやだ!
――殺シテヤル。
――嫌だ、どうして!
一度も聞いたことのない誰かの叫び声が、耳奥で遠く谺する。
やがて青花は深い深い水底に沈むように、意識の闇に取り込まれていった。




