3.届いた手紙 1
校舎裏の部室棟に幽霊が出る。
市立扇浜高校に噂が流れたのは、夏休みが終わってすぐのことだった。
9月の半ば、空木青花は事件に遭遇した。
+ + +
「定期入れがない!」
「えー? 忘れたの、青花?」
その日の帰り道、青花が紛失に気づいたのは、駅の改札の至る直前であった。
「あ、さっき鞄ぶちまけてたじゃん。うちの部室に来てたとき。きっと落としたんだよ」
「そっか、新聞部か」
友人の夕菜が推測する。青花自身は新聞部ではないが、部員の夕菜にかこつけて、活動がない日の放課後は時折部室にお邪魔している。お喋りに興じるにはうってつけの場所なのだ。
忘れ物を取りに戻ろうと思うも、青花はやや躊躇した。
何しろすでに夕刻である。しかも雲は厚く、雨が降り出しそうな空模様だった。
だが、急いで取りに戻ればさほど遅くならず帰宅できると、青花は軽く考える。
「夕菜は先に帰っていいよ」
「そう? ごめんね、今日親と外食の予定あって、行かなきゃなんだー。鍵の場所と暗証キーわかるよね?」
「うん、部外者の私が知ってていいのかって感じだけど」
「一応部長には言ってあるから大丈夫。今日は多分、先輩も帰っちゃってるだろうけど、念のため連絡入れとくよ」
「さんきゅーです」
夕菜に礼を言うと、青花は踵を返して学校への道を後戻った。駅から学校までは比較的平坦な道で、10分とかからない。ただ部室棟は本校舎の裏手にあるため、校内の移動距離は長かった。
普段であればまだ陽が高いはずだが、生憎の天候のため、周囲はいつもより薄暗い。秋風で気温もやや下がっており、まだ夏服の青花は少し落ち着かなくなる。
(そういえば、幽霊が出るとかってアホな噂あったよね)
休み明けから主に女子の間で広まったオカルトちっくな話を思い出して、特に怖がりでない青花でもやや不安に駆られた。
夕方の部室棟で怪しい人影を見たとか、後を追ったら誰もいなかったとか、冷たい手に触れられたとか、部室内の天井に近い壁に足跡が残っていたとか、啜り泣く声を聞いたとか、そんな感じの噂が尤もらしく囁かれている。
どうも制服姿の男子生徒だったという目撃証言から、不審者の線は薄いとして学校側も単なる見間違いだと軽視している。名乗り出る者がいないため、生徒の悪戯である可能性も指摘されている。
(本気にする方がどうかしてる)
ふうっと嘆息しつつ否定すると、青花は目的地へと急いだ。
部室棟の鍵管理機を確認すると、新聞部の鍵はすでに抜き取られていた。誰か使用者がいるようだ。活動日でもなく遅い時間なのに珍しい、と青花はそのまま部室へと向かう。
他の部は活動を終えているらしく、電気が点いているのは新聞部だけだった。
「失礼しまーす」
2回ノックをして、青花は扉を開ける。
「どうぞ」
室内には一方的に見知っている相手がいた。
「星乃先輩……」
星乃は夕菜がよく話題に出す新聞部の部長だ。
比較的整った顔立ちをしているが微妙に主張が薄く、目立つタイプではない。優し気で真面目な印象で、夕菜からは「眼鏡男子だったら最萌えだったのに」と微妙な不満を聞かされている……青花には友人の趣味はいまいち理解できない。
「あ、すみません」
「……いや。空木さん、だよね?」
「え」
「さっき夕菜ちゃんから」
「そっか。良かった」
そういえば先程、夕菜が部長には連絡を入れると言っていた。まだ帰宅しておらず、おそらくは自分たちと入れ違いで部室に来たのだろう。
星乃は手にしていたファイルを閉じて、青花から目線をずらすと、徐に窓の外を見遣った。
「残念、雨が降ってきたね」
「えっ、嘘。やば」
「落とし物、定期入れはそこ」
「ありがとうございます!」
探す必要もなく、示された机の上に忘れ物が置かれていた。親切に拾っておいてくれたのだ。
いそいそと定期入れをしまう青花に、窓際に立ったままの星乃が尋ねた。
「空木さん、傘ある? なんか結構降ってきたよ」
「あー……実はないっす」
「結構ビニ傘あるから、持ってっていいよ」
星乃はファイルを資料棚に戻すと、ロッカーから大きめの傘を取り出して青花に手渡した。
見た目通り良い人だな、と感謝しつつ青花は傘を受け取る。
雨足は閉め切った室内にもわかるほどに強まっていく。地に叩きつけられる水飛沫の音は、誰の耳にも不快に響いた。
「結構土砂降りだ」
「酷いですね」
「ついてないなあ」
「ですよねー」
ぼやく星乃に釣られて、青花はくすくすと笑った。降りは本格的で笑い事ではないのだが、まあご愛嬌だ。
それじゃ、と挨拶をして部室を後にしようとしたそのとき――。
ほんの一瞬の間だった。
叫び声と何かが大きな物が落ちるような不審な音が辺りに響いたのは。
「――!?」
突然の出来事に、青花と星乃はぎょっとして顔を見合わせた。
「え? 今……」
「……何だろう。まだ誰かいるのかな?」
「電気消えてたと思いましたけど」
「本当に?」
星乃はドアを開けて周囲を窺う。青花も星乃の背後から顔を出した。
「隣の」
「えっ?」
「文芸部から聞こえたと思うんだけど」
「そうですか? わからなかったっす」
「電気は点いてない」
「気のせいじゃ?」
音自体も思い過ごしであってほしいが、二人が同時に聞いているのだから間違いはない。
ゆっくりと部室から出て文芸部を確認する星乃は、無意識にシャツの背中を握る青花に気づき、苦笑する。陰鬱とした雨に夕闇の薄暗さが加わり、人気のない部室棟は重苦しい雰囲気に包まれていた。
二人は誰もいないように見える文芸部の扉の前で、互いに視線を交わす。
星乃はノックもせずドアノブを握った。
「……開いてる」
「嘘」
青花は絶句する。
ドアの向こうは真っ暗な空間が広がっていた。