26.本命 6
独白めいた雷の説明により、学院で起こった騒動は概ね把握できた。要するに、生徒たちが黒い靄に精神を乗っ取られるか操られるかして、遥真と雷に危害を加えようとしたのだ。
何度も対峙している青花にはその怖さが実感できる。深刻なのはターゲットがより明確化されたのではないかという事実だった。
更に雷の発言は衝撃だった。
彼らが「呪い」と言い「敵」と目する何かについて、青花も星乃も多くは知らない。ただ漠然と、悪しきもの……魑魅魍魎や悪魔的な、実体を持たぬ存在だと思い込んでいた。
神無木命を死に至らしめ――。
言祝木蓮に「呪い」を感染させ――。
天木玲生の精神を追い込んだ――。
「敵が、人間?」
「……に化けているかも。遥真の、つまり貴木家に引き継がれている伝承と、御木家の老人から聞いた話を総合するとね。可能性は高い」
「まさか、あれが死んだ人間に成り代わるという言い伝えでもあったのかな?」
「さすが星乃さん。話が早い」
「それは……」
「いや、後にしよう。誰か来る」
「……あ」
言い掛けた星乃は続ける言葉を差し控えた。青花にもすぐに察せられた。コツコツと規則的に近づいて来る足音があったからだ。
青花と星乃の視線は雷の肩を通り越して、病院の通路の向こうに固定された。雷もワンテンポ遅れて振り返る。
現れたのは見知った星辰学院の男子生徒だった。
「!」
意外な遭遇と再会に、青花の心臓がどくんと鼓動を早めた。
(嘘。こんなところで会っちゃうなんて!?)
底冷えのするような凍てついた眼差しは、未だ強烈に記憶の表層に残っている。
――斎木聖也。
時を置かず再び相見えた疑惑の人物は、人間味のない相貌に何の表情も見せず、ただゆっくりと歩いてこちらに迫っていた。
先日の再現に近い状況において、緊張感が同様に場を支配するのは致し方のないことかもしれない。
聖也の足音がかつんかつんと廊下を響かせて迫る。感情の一片も表さない端正な容姿は、相も変わらず精巧な彫像のようだ。
「雷」
「会長……」
「遥真の容態はどうだ? 他の怪我をした生徒たちは? 遥真以外は軽症だと聞いているが」
「……ええ、報告の通りです。一応、処置は済んで皆帰宅しています。遥真も落ち着いていますが、今は疲労で眠っていますので、まだ話はできません」
「そうか。学内の処理に手間取って来るのが遅れた。ご苦労だったな」
「いえ、職務ですから」
飽く迄も事務的に話しかける聖也の口調には、僅かにも心配している素振りはない。生徒会長としての義務感と責任感は立派だが、その印象は冷淡を通り越して酷薄に過ぎた。
対する雷も当然のように心は許していない。生徒会の部下として、或いは後輩として立場的に従っているだけだ。
(相変わらずこっわー……)
同じ上下関係でも、青花たちとは大きく異なる。学校の風土にも負っている職責にもよるのだろうが、学生同士のやりとりにしては、やはり異様に思えた。
青花が固まっていると、聖也は静かに身体の向きを変えた。
「君たちは……以前にも会ったな。なるほど。そうだ、扇浜高校か」
「その節はどうも、斎木くん」
対外仕様の営業スマイルを駆使して、星乃が緩く応える。
「我が校の生徒と随分交流が深いんだな。目的は……まあ想像できなくはないが」
「穿ち過ぎじゃないかな。俺は新聞部なんだけど、たまたま縁あって取材協力をお願いしていただけの間柄だよ」
「……ふ」
何の取材だか、と聖也は嘲笑するでもなく口端を微かに上げる。以前にも同じ笑みを浮かべていた。単に相手の発言に思うところがある場合の癖なのだろう。
「まあ、いい。今日はそれどころじゃないからな」
「会長、彼らは……その、友人として遥真の見舞いに来ただけです」
「だとしても、学外の方だ。今日はお引き取り願った方がいいだろう」
雷が横から口を挟むのを許さず、聖也は星乃にだけ向き合った。
「もう聞いたかもしれないが、校内のことでこちらもまだ混乱している」
「ああ、承知している。今日はお暇するよ。御木くん、貴木くんにはお大事にと伝えてください」
素直に聞き入れ退散しようとする星乃に、雷が無言のまま儀礼的に頭を下げる。聖也はそのやりとりを無感情に一瞥した。
(くそぅ、やっぱ顔は超イケメンだ)
青花は半ば興味本位で彼を観察していた。憧れの君とまでは言わないが、推しキャラになるはずだった相手と思えば、知らず気分が高揚する。
二次元の存在だった頃からずっと、その容姿とイメージに惹かれていた。
静かに君臨しながらも他者を容赦なく拒絶する横顔は、まるで精緻な機械が擬人化したかのようだ。高嶺と呼ぶことすら恐れ多い。
これほどまでに近寄り難い反面、両親が亡くなっているだの精神的外傷を抱えているだの、攻略対象者にありがちな設定が付されている。なるほど乙女ゲームであれば、彼の心を癒すなり徐々に打ち解けて過去を共有するなりして、好感度を上げていくのだろう。
(でも絶対難易度ヤバイわ)
現実の人間として目の当たりにした時点で、ハードモードを遥かに超越しているのはわかり切っている。まあ別にゲームのように恋愛対象として狙っているわけではないが、通常の対人関係を結ぶにしてもハードルが高い。
星乃は青花よりは緊張が少ないのだろうか。実際のゲームを知らないせいか、端から経験値が違うのか、ずっと平然と対峙している。
聖也を凍土と例えるなら、星乃は温暖地方の木漏れ日だ。双方の印象は正反対ながら、星乃の態度に臆した様子はなかった。
「では、斎木くん。いずれまた」
「ふ……」
「なるほど、君はなかなか食えない奴のようだな」
やや挑発的な星乃の言葉に、聖也はらしからぬ反応を見せた。
「いいだろう、面白い。では是非来てもらおうか」
「会長……?」
雷が怪訝そうにする。
「いったい」
「文化祭だ、雷」
「11月第一週目の土曜日曜。ご存知と思うが、星辰学院の文化祭は毎年決まった日程だ」
「確か生徒の親族以外は入場制限があったはずだけど、もしかして直々にご招待いただけるのかな」
「ああ、それが狙いだろう? まあ、いくらでも伝手はあるのだろうが……これも縁だ。後日チケットを送ろう」
すぐにまた会える――。
聖也は言外に告げる。
望むところだと言わんばかりに、星乃の口元は僅かに笑っていた。
次話より「お祭り騒ぎとぼっちの君と」




