20.回想シーンは慎ましく 4
「副会長の受けた『呪い』そのものだ」
(呪い?)
日曜日にも同じ不吉な言葉を聞いた。
青花の脳裏で蓮と遥真のやりとりが再現される。
――今の状態はあまり良くない。
――本気で言うのか、「呪い」なんて。
当の蓮自身は半信半疑だったようだが、周囲に蔓延する死の匂いから容易に否定もできなかったに違いない。実際に遥真の言う通り、その……神無木命の幽霊にしか見えないものが「呪い」なのか。俄かにはとても信じ難い。
「意味がわからない、遥真。命さんが『呪い』だなんて!」
「少し違う。『呪い』が神無木さんの姿を取っているのは、副会長が彼女の死の直後に接触して、穢れを拾ってしまったからだろう」
「! 第一発見者か」
思い至った星乃が推測を口にする。
「確かに言祝木くんの周囲でおかしなことが起き始めたのは、事故のあった6月以降と聞いている」
「そんなの……わからないじゃないか」
未だ蓮を怪しむ雷は簡単には頷かなかった。
「あれが命さんの怨霊じゃないなんて証拠はない。副会長を恨んで憑りついているのかもしれない」
「そうだね。実際には俺たちに正体なんてわからないしね」
星乃も遥真の説明に、完全には納得し切れていないようだった。そうであろう、実際に少女の虚像は神無木命そのものなのだ。迷うのも無理はない。
「もし仮に『呪い』? だったとしても、例えば副会長が発端で、取り巻きの子たちと同じように命さんを死に追いやった。その可能性だって否定できないはずだ」
「でも……どちらにしろ同じだよ。俺たちの常識では考えられない。人間を簡単に死なせたり――自殺させたりなんて、普通はできないだろう?」
「……それ、は」
完全に平時の冷徹さを取り戻した星乃は、遥真の言う「呪い」を現実にある事象として向き合うことに決めたようだ。雷も仕方なくそれに従う。
青花は傍らの遥真を見上げた。
「貴木くん、私はこれをどうしたら」
「……よく見つけてくれた」
制服のポケットから巾着袋を取り出すと、青花は口を開けて仕舞ったストラップを見せる。やはり淡い光に包まれているそれは、暗がりの中で強く存在を主張していた。
「命さんのストラップ……確かに。でもなんで光って……?」
以前にオリジナルを視認している雷が一致を保証する。ただし現状のような発光現象を見たのは初めてのようだった。
「えっと、見つけたときからずっと少し光ってるみたいだったんですけど……あれ? 気のせいか昨日より輝いているような?」
「場のせいかもしれん」
天井を指し示した遥真は、室内が特殊な空間であることを語る。
「あれは『呪い』を抑えるために誂えた聖紋。意識のない副会長の潜在能力とリンクさせ、これ以上『呪い』が拡散しないよう場に結界を張っている。つまり、相乗効果で」
「パワーアップ?」
敢えて単純に纏めた言葉に、遥真は強く頷いた。
「鈴を鳴らせ」
「鈴?」
「君なら多分、使えると思う。素質があるはずだ」
「素質って、なんです?」
「巫女姫の」
「はあ!?」
(うわあ……巫女姫って)
唐突に呼ばれたこっ恥ずかしい呼び名に、青花は愕然とする。しかし逆らう余地もない強い視線を投げ掛ける遥真は、真剣そのものだった。
(それ、多分ゲーム内での神無木命の立ち位置だよね!?)
いったい何がどう間違って、自分にそんな役割が振られたのか――。
「鈴を鳴らせ」
遥真は繰り返す。
更に言うと同時に、素足のまま独特の動作で足を踏み鳴らした。後日になって、それが禹歩(反閇)という邪気払いの法と知るのだが、このときの青花には何がなんだかわかっていない。
ただ請われるままにストラップを振って鈴の音が響くよう揺らした。
りん、と空気が振動する。
清浄な気が幾重にも震え、青花の手に掲げられた鈴は輝きを増した。
正直なところ理解が追いついていない青花だが、もはや乗り掛かった船とこの時点では思考を放棄している。遥真の導くまま、鈴のストラップが望むまま、ひたすら腕を動かして音を鳴らした。
「青花ちゃん……」
「何だよ、これ……」
星乃と雷が固唾を呑んで見守る。
二人の目には鈴から放たれた光が眩しい程に増大し、天井の六芒星と呼応したかに見えた。はらはらと金の粉が天井からベッドに振り落ちる。すると幻の神無木命の像がぐらりと揺らいだ。
「な……命さんの姿が!」
「消えていく?」
亡霊は歪み、徐々に薄れた。
形を保てなくなった幻は、ひゅっと細い竜巻のような渦を作った。
渦は捻じれて歪み、段々とどす黒く変色していく。それはまさしく「呪い」の名に相応しく、禍々しく淀んでいた。
(似ている! あの黒い靄……を、もっと悪くしたような感じ?)
やはり本質は先日の女子に憑いていたものと同じらしい。青花は鈴を高らかに鳴らしながら、じっと目を凝らす。
ハイパーバージョンの黒い靄は、ぐるぐると渦を巻きながら室内を無作為に移動した。青花も遥真も力を揮っているが、なかなか消滅しない。
それどころか「呪い」は強い意思を持って、自身を妨げる相手を見定め反撃に転じた。
(は……?)
靄の渦は一瞬だけ空中で制止すると、狙い澄ましたかのように青花に襲い掛かる。避けようとした青花は体勢を大きく崩した。
「……っ!!」
咄嗟に身体を逸らせ攻撃こそ回避したものの、鈴の音が止まってしまった。
その一瞬の隙をつき、黒い靄が勢いを盛り返す。そのまま転倒した青花を呑み込もうとするまで肥大した。
「青花ちゃん!」
星乃がスライディングの要領で青花の眼前に飛び込んでくる。敵の盾になり青花を背に庇うと、星乃は右手から何かを黒い靄に投げつけた。きらきらと輝く細かい粒が宙に舞う。
「え? 塩?」
「塩は清めに使うものだからね。こんなこともあろうかと、実は用意しておいた」
「マジですか?」
何という周到さだろう。青花は唖然とする。
どう未来予測したら今の状況に至るかは知らないが、星乃の予想は概ね当たっていた。
眼前の「敵」はあからさまに大きなダメージを受けている。黒い靄は散り散りとなり、粒子が溶けるように縮小していくのが見えた。
(今だ!)
青花は止めとばかりに大きく鈴を揮った。
◆ ◆ ◆
回想はここまでである。
何故ならその後、青花は気を失ってしまったらしく、どうなったのかよく憶えていないからだ。目が覚めてから、どうやら除霊だか解呪だかは巧くいったらしいと聞いてはいるが、後処理的なものは知らされていない。
まあ細かい顛末はさておき、空木青花がストラップの特殊な力を行使して「呪い」を退けられると自覚したのは、言祝木蓮の事例が初めてであった。
その経験が生きて、今回青花は天木玲生にも対処できたと言えるだろう。片や荘厳に鈴を鳴らし、片や肉弾戦紛いという違いはあれども。
預けられたままのストラップを凝視し、青花は深く呼吸を整えた。淡い光はますます神聖さを増しているような気がする。
(自分のことはよくわからないけれど)
あの日、青花をして「巫女姫」と断じた遥真の真意を、今もなおきちんと聞いてはいない。
ただ玲生を殴りつけ動きを止めたこととで、青花の持つ特別な力は、確証を得たかもしれない。まだわからない。わからないが……。
当面は星乃たちが駆けつけてくれたことで、青花の緊張は解けた。二日前のことを思い出し、悩む余裕さえもできた。
(……でもね、先輩。あんまり思い出したくないこともあるよ)
星乃の腕に身を任せながら、青花は密かに、決して話せない想いを隠す。
(偽物だってわかってるんだ。だけど、怖かった)
浮かんでくるのは黒髪の少女の絵姿――いや、亡霊だった。
神無木命――。
(あのとき笑った彼女が……怖かったんだよ)
次話より「本命」
 




