2.星に願いを 2
「星辰学院……?」
兄から就職先の学校名を聞いて、青花が最初に思い浮かべたのは、先程やり損ねたゲームの舞台だった。妙な偶然と近所という単語に引っ掛かりを覚えつつ、再度忍に尋ねる。
「ってどこ? 近くにそんな学校あったっけ?」
「はあぁ? 何言ってんの、お前?」
忍があからさまに怪訝そうな表情をする。
「徒歩15分圏内の学校の存在を忘れるとかないわ。受験で頭いっちゃったか? 大丈夫か?」
「え? え?」
面喰う妹の頭をぽんぽんと軽く叩き、忍は苦笑して言った。
「お前だって近すぎるのが嫌だから、受けなかったんだろ。偏差値は扇浜とあんま変わんないもんな」
「そ、そうなの?」
「? 本当に大丈夫か?」
「えーっと、よくわかんない……」
青花は忍の言う「星辰学院」なる学校に、現実ではまったくもって心当たりがなかった。
その後、両親も含め家族揃って夕食の席に着き、忍の就職先について改めて話題にしてみたものの、知らないのは青花だけのようだった。
そして――夜にネットで調べた結果は驚くべき内容だった。
ひとつ、星辰学院は空木家から遠くない場所に以前から在った。
ひとつ、青花の記憶の中では、その場所はだだっ広い森林公園だった。
更にもうひとつ、星辰学院を舞台とするゲームアプリ『星に願いを、君に想いを』が、配信元の会社ごと痕跡も残さず消えていた。配信停止になったとか会社が潰れたとかではない。端からこの世になかったかのように、少なくとも検索には何もヒットせず、溢れていた画像も消えた。
(ゲームもだけど、森林公園も同じだ)
公園跡地に学校が建ったのではない。森林公園自体なかったことになっている。
すべて青花の記憶違い、勘違いだろうか。
だとしたら自分のスマホに残された、この動かないアプリはどう説明する?
公園や学校の件は兎も角、少なくともゲーム自体は確かに存在したはずだ。青花は何度も起動し直して確認した。進むことはできなくとも、スタートメニューの画面は表示される。
お薦めを教えてくれた友人にも訊いてみたが、このゲームのことだけすっぽりと抜け落ちたように覚えがない、知らないと言う。
(何がなんだかわからない……)
あまりにも不思議に思った青花は、翌週にわざわざ中学をサボって現地まで赴き、その目で確かめたのだ。
結論としては、現実はファンタジーよりも怪奇に存在感を見せつけ、人間の記憶の曖昧さと自身の精神状態への不安を掻き立てられるだけだった。
◆ ◆ ◆
「……ということがあったんですよ。まだ入学前の話です。信じられないと思いますけど」
「何とも言い難い話だね」
「ですよねー。自分でも何言ってんだこいつって思いますし」
「いや、興味深いよ」
「いいんですよ、星乃先輩」
新聞部の部室の机に突っ伏しながら、青花は嘆息する。
荒唐無稽な話を部長の星乃は否定もせず馬鹿にもせず、穏やかに微笑んで傾聴してくれた。一応証拠のアプリ画面を見せながらの説明ではあるが、正直他者から見れば信憑性も薄く、戯言と一笑に付されても仕方がないだろう。
新聞部として、与太話でも一応情報は聞いておくという姿勢なのかもしれない。温和なだけでなく冷静な人柄に、青花は感心する。
「俺は別に信じていない訳ではないよ、空木さん」
「でも鵜呑みにもしてないですよね」
「何事にも検証は必要だと思っているけど」
言いながら、星乃はネットで幾つかの用語を検索にかけている。青花の話の裏付けを取るべく調べているのだ。
部室棟の片隅にある新聞部の部室には紙の資料も多かったが、最近はデータベース化が進んでおり、そちらも当たっているようだった。
「我が校は星辰学院と過去に殆ど交流がない。立地的にはちょっと不自然とも言えるね。たかだか5駅程度の距離なのに。まあ私立と公立だからと言われればそれまでだけど」
「交流?」
「練習試合とか、地域交流会? あとコンペとか」
あっという間に調べ上げた星乃は、こめかみに指を充てて何事か考え込む。
「空木さん」
「はい?」
「実は夕菜ちゃんから聞いてたんだよね。空木さんのお兄さんが星辰学院の先生やってるって」
「えっ……じゃあ」
夕菜というのは新聞部の部員で、青花とは中学からの一緒の友人である。
口が軽いタイプではないが、名前で呼ぶほど星乃と親しくしているのであれば、青花の家族構成程度の情報は筒抜けなのかもしれない。
「でもまさか、空木さんが星辰学院とそんな不思議な関わりがあるなんてね」
「嵌めましたね……!」
「検証は大事だからね。おかげで面白い情報が手に入った」
星乃はPCから顔を上げて、とても愉快気な笑みを見せた。
「やっぱり空木さん、よかったら取材協力してくれないかな? 調べるの、付き合ってほしいんだ」
「は?」
優しい声音で囁くように持ち掛けられ、青花は思わず赤面する。
星乃は乱暴さや粗雑さとは無縁で、高校生ながら包容力を感じさせる独特の雰囲気を持っている。顔立ちも声も柔和で、彼を話していると知らず距離を詰められるような、奇妙な感覚に襲われることが多かった。
「でも、先輩」
「駄目かな? 時間が許す限りで構わない。君だって気になっているだろう?」
「それは……そうですけど」
「じゃあ、決まりだ」
有無を言わさず、星乃は宣言する。
「臨時部員として、よろしく。青花ちゃん」
「え、あ……え? はははー」
恐るべし天然(いや養殖?)タラシ、と青花はぞわぞわする背筋に耐えながら、必死で誤魔化し笑いを浮かべた。
+ + +
3月に起こった「星辰学院顕現事件(と、青花が勝手に呼んでいる)」からすでに半年以上経った今、他校に通う青花と、同じく扇浜高校の先輩である星乃が何故こんな状況に陥ったのか、説明すると少し長くなる。
不穏な噂が校内に広まったのは、ちょうど2学期が始まった直後のことである。
便宜上名付けるとしたら「部室棟幽霊事件」或いは「死者からのラブレター事件」――どちらでも物騒なイメージだが――のいずれかだろう。
それは、夕方から酷い土砂降りに見舞われた日の出来事だった。
次話より「届いた手紙」
ここまでプロローグ
一応ホラー系ではありません