10.ライブハウスに行こう 3
青花が客席スペースに戻ると、ようやく目的のステージが始まった。
即ち言祝木蓮率いる「sicks」のライブだ。
メンバーは比較的容姿に恵まれた男子ばかりで、近隣の高校生か大学生らしい。いつの間にか集まった女子の客たちが騒いでいる。
ボーカルの蓮は断トツに整った顔立ちで、美麗とさえ言える。細身のわりに程よく筋肉がついているのか、佇まいは男性的だった。
ライトのせいだけでなく、やや長めの頭髪は黒地に青紫色を帯びている。ゲーム絵ほど露骨ではないが、髪色も準拠しているらしいと知り、青花は苦笑する。
演奏されたのは6曲だった。ジャンルはエモーショナル系だろうか。メロディアスな中に激しさも含まれており、コア寄りに聴こえる。青花は音楽には造詣が深くないが、学生にしては巧く、曲と声のバランスも良かった。更に見た目も華があるとなれば、ファンが付くのも納得である。
ゲームでも確か、主人公がライブイベントに行くシーンがあったはずだ。蓮推しのプレイヤー的には神曲と言われる挿入歌があったと朧気に記憶している。どれがそうか判らないほど、印象強い曲が多かった。
MCはほとんどないか、蓮以外のメンバーが少し話す程度だった。ただ、ラストからひとつ前、蓮はぽつりと「新曲」と呟いた。
ボーカル個人のファンらしき女子たちがわっと声を上げる。
無表情でマイクに囁かれた曲名は、いやに低く暗く、観客の耳に響いた。
「――『傷痕』」
+ + +
さて、「sicks」のステージが終わると、青花と星乃はすぐにライブハウスを出た。すでに20時を過ぎている。2時間超地下に引き篭もっていたためか、外の空気がとても新鮮に思えた。
ライブ自体は想定より愉しめたが、多くのファンに囲まれている蓮に近寄れるはずもなく、ただ実物を確認するだけに終わったのは残念である。
「お疲れ様。感想は?」
「いやー、リアル言祝木蓮は感動でした。三次元だとあんな感じなんだなって」
「不思議だね。どういうイメージなんだろう。実写映画みたいな?」
「もっと人間味薄いですかね」
乙女ゲームの攻略対象者なのだから、現実化しても見目好いのは当然である。
先日の御木雷も可愛い系男子としてのレベルは高かった。綺麗系に全振りしている言祝木蓮の美形度は半端なく、妙な色気すらある。それでいて雷も蓮も決して女性っぽくは見えず、ちゃんと男子として魅力的だ。
あと3名もイケメンに会う可能性があるのは嬉しい限りだが、青花たちには目的がある。特に蓮は雷に言わせれば「怪しい」人物なのだから、警戒も必要である。
「彼が第一発見者、か……」
青花の胸中と同期したように星乃が言った。
「そのうえ、事故の直前に神無木命と会っているところを目撃されている。以来、生徒会もサボリがち。嫌な符号だね」
「バンドできるくらいだから、健康状態には問題なさそうですよね」
雷の疑惑には根拠がある。
ただ確証を得るために、第三者なら或いは冷静な判断を期待できるかと見込んで、星乃をけしかけたのだ。
「よくわからないな」
「先輩?」
「青花ちゃんの予想通り、ストラップが何か重要なアイテムだったと仮定しよう。神無木命は御木くんの人間性を信用して、隠し場所をしたためた手紙を託した。ラブレターに紛らせておけば律儀な御木くんは必ず読むし、他人に知られるリスクも低い」
「うーん、アイテムっていうのは私の勝手な考えですけど……神無木命さんがアイテムを複製したってのが意味不明ですし」
「悪い推測をするとね」
声のトーンを少し抑えて、星乃は自説を述べた。
「例えばオリジナルが何らかの理由で失われることを予期していた、とか」
「……それって」
「多分、青花ちゃんも一度は思っただろう? それに、御木くんの考えだと……彼女、神無木命が本来所持していたストラップは、事故の時点で何者かに奪われたんじゃないか――」
「だから言祝木蓮なんですね」
そこまで推測しつつ、よくわからないと嘯く星乃の心理を、青花には逆に理解できない。口にするのは憚られたが、曖昧に言葉を濁しながらも青花は尋ねる。
「先輩も……彼が、怪しいと? その、彼女は……例の事故は、本当は」
「……青花ちゃん」
星乃は小さく青花の名を呼ぶと、突然その口を手で塞いだ。
「――!?」
「しっ」
たじろぐ青花を手と声で黙らせると、星乃は鋭い視線をひとつの方向に向けた。
今さっき青花たちが出てきたビルの地下に続く階段――。
カツカツと音を立てて昇って来る人影に、二人は注目する。
(こ、言祝木蓮!)
一瞬で他者を圧倒する迫力に、青花は息を呑んだ。星乃の手に阻まれていなくとも、無用な声掛けなどできはしない。
「言祝木、蓮……」
(ん?)
その名を呼ぶ声に既視感を抱いて、青花は周囲に目を凝らす。蓮の姿を見つめているのは自分たちだけではなかった。
ぞわぞわと気持ちの悪い感触が再び肌を掠める。
歪んだ気配を追った先には、黒い靄――否、俯きがちに佇むワンピース姿の女子がいた。
(あ、さっきのヤンデレさん?)
トイレで見かけた不審人物だとわかり、青花は危険なシグナルを感じ取る。蓮に対して何かを仕出かすのではないか、と星乃に告げる間もなかった。
(え……あれって)
ワンピースから伸びる手の先に、鋭い銀の色が煌めき、反射する。
「ちょ……」
「!」
声を上げるより素早く、星乃が動いた。
(ななな、ナイフ!?)
半歩遅れて青花も星乃に続く。
「……?」
異常に気づいた蓮がこちらを向いた。
狂気を孕んだ瞳が蓮に反応してナイフを振り上げる。攻撃するのではない。女子の右手は自身の首元に置かれていた。
「止めろ!」
星乃が叫んで女子の手首を抑える。
「この!!」
青花は反対側の腕を掴んで、動きを阻害した。
何が起こっているのか判然としないが、明らかにまともでない人間の手に刃物ときたら、最悪の事態を想像して然るべきだろう。目の前で刃傷沙汰など洒落にならない。
「な……羽村か?」
「蓮、蓮、蓮、蓮、蓮……」
取り押さえられながらも、蓮に羽村と呼ばれた女子は虚ろな表情で呟き続けていた。女性にしては強い力で、二人掛かりでも撥ね退けられそうになる。星乃はナイフを奪うのに苦心していた。
「人! 人を呼んでください、言祝木さん!」
「蓮、好き、蓮、蓮、愛してる、愛してる、だから殺して。死なせて。蓮、蓮、蓮……」
「羽村……」
「っ!! ナイフを放せ……!」
「先輩、危ないです! あーもう頭おかしい!!」
「はむら……!」
混乱する現場で茫然とするばかりの蓮に、青花は苛立った。
無理もないかもしれない。
しかし信者だかストーカーだかの狂態に巻き込まれて迷惑を被っているのは、部外者の青花たちの方なのだ。当事者たる蓮にはきちんと対応してもらわねば困る。
「ちょっと聞いてますか、言祝木さん!」
「蓮、蓮、蓮」
「羽村……お前もか」
(え……?)
青花は蓮の言葉を聞き咎める。
その直後――だった。
どん、と鈍い音がして、羽村なる人物の身体は突然崩れ落ちた。
【設定-用語等補足】
エモ(wiki調べ)…エモはメロディアスで感情的な音楽性、そしてしばしば心情を吐露するような歌詞によって特徴付けられるロック・ミュージックの1スタイルである。ワシントンD.C.の1980年代のハードコア・パンクのムーブメントに起源を持ち、そこでは「エモーショナル・ハードコア」や「エモコア」といった名前で知られており、Rites of SpringやEmbraceといったバンドがパイオニアである。
その音楽スタイルは現代のアメリカのパンク・ロック・バンドの多くに模倣されているが、そのサウンドや意味するところは変容している。
音楽性は多様的で定義も曖昧であるが、疾走感溢れ、正確なリズムとラウドなギターをベースにしたバンドサウンド(ギター、ベース、ドラムによる一般にハードコアやパンクで使われる楽器での演奏)に副次的な演奏(ピアノ、 キーボード、 シンセサイザーなどの演奏)を用いて、哀愁のあるメロディと情緒的なボーカルを乗せるといったスタイルを特徴とする。なお、エモーショナルで絶叫するようなボーカルパートを持つエモバンドは、エモの一種であるスクリーモにカテゴライズされる場合が多い。




