第三章『彼(か)の花』
――ノラ、ありがとう!――
(違うんです)
――ノラはなんて優しい娘なのかしら――
(……違うんです)
――大好き! マグノリアってまるで聖母さまみたいなんだもん――
(――違うんです!!)
わたしは……感謝されるような人間じゃないんです。優しくなんかないんです。
「聖母さま」なんかじゃないんです。
わたしはただ、誰かの涙がみたくないだけ。
わたしの胸を締め付ける、その悲しみをみたくないだけ。
そう、これはわたしのエゴ。
わたしの我が儘。
わたしの、「弱さ」。
皆がわたしを褒め称えます。非の打ちどころのない、完璧な娘だと言います。
でも、それは違うんです。
わたしが、不全なだけなんです。
わたしが――人を憎むことも、嫌うこともできない「異端者」なだけなんです。
ほら、だって今も。
わたしの首を絞めるあなたを、わたしは憎むことができません。
わたしは、そうさせるわたし自身しか恨めません。
だからわたしは、いずれ近いうちに、自ら、この心を殺すとわかっていました。
そう、だから――あなたに感謝しているんです。
わたしを苦しめるわたし自身を壊し、解放したあなたを。
(ごめんなさい。どうか、あなたは自分を責めないで)
もう言の葉を紡げなくなった喉の代わりに、わたしは彼の頬をなでました。
(――泣かないで。わたしは、あなたに逢えて、……こんなにも、幸せ、なんですから……)
泣いているあなたを見た時、わたしには、わかってしまったのです。
あなたが、どんなに苦しんでいたか。
どんなに、悼んでいたか。
たやすく生を奪う自らを、どんなに、憎んでいたのか。
それは、まるで、わたしでした。
こんな救いようのない自分の首を絞める、わたし自身でした。
妄想?
願望?
いいえ。あなたは、確かに、わたしでした。
わたしを救う、違う世界のわたしでした。
いえ。それも、本当は違うのでしょう。
あなたは悪魔で、天使で、そして、救世主<メシア>ですら、あったのでしょう。
あなたを救うことは、きっと、誰にもできない。
だったら、わたしが救いたい、と思いました。
鏡の向こうのあなた、そう、聖女のかたちをした亡霊である、わたしが……。
矛盾だらけのわたしの想いは、あなたに伝わることはないでしょう。
でも、もし……もしです。
もう一度、逢えたなら、わたしはあなたに青い花を贈ったでしょう。
それはあなたです。
どんなに朱にまみれようと、純粋で、純粋すぎて壊れてしまうあなたのような花です。
あんなにも透明な、涙を流すことのできる、弱く――尊いあなたのような花です。
辛いことですが、あなたの罪は変わりようがなく深いのでしょう。
奪った尊い命のためにも、けして赦されてはいけないのでしょう。
すすぐことは――きっと誰にもできないのでしょう。
けれど、わかってください。
あなたは、確かにわたしのひかりでした。
わたしを苦しめ続ける善意と罪意、自我と自責の心に差し込んだ、確かな希望でした。
どこから、わたしたちは掛け違ったのでしょう。
どうして、わたしたちは欠けあったのでしょう。
いつから、生き違ったのでしょう。
――でも……だからこそ、あなたは生きてください。
生きている限り、わたし以外に、あなたを必要とする、あなたの壊れた心を癒すひとがきっと現れることでしょう。
生きてください。いつまでも……どうか。
――名もなき旅人が訪れたのち、白い墓標が建てられました。
真白き清き花に覆われた、その真実の物語は、いまでは誰も知りえません。
残されたのはあやふやな唄のみ。
けれど、ただひとつ、これだけは確かに言えることは――……。
(( 生まれ変わったら、わたしはあなたを知ることができるでしょうか? でも、今は……そう。
この空のどこかで、あなたを待っています。
――ねえ、知っていますか?
ここではわたしの目はひかりを感じられるんですよ?
あなたに出会って感じたそのままに、まばゆい色彩がわたしを包んで。
だから、また逢えるその時は、わたしに謝らないでくださいね。だってわたしは……))
それは、届かなかった思いでした。
けしてけして、語られない秘密でした。
秘して咲く、月下の花弁でした。
真実はただ、彼女のなかにある。
確かに訪れるいつか、彼のもとへと届けるために。
荒れ地を覆うは、今日も真白き、花の海。
訪れし少年は、果たして、どんな物語を聴くのでしょうか――。