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語部さんよ永遠に

「……ふう……」

 一通りの朗読を終え、鈴はパタンと本を閉じる。そして、タンブラーに乗ったコップへと手を伸ばし、口を付ける。良く冷えた麦茶が口腔内を満たし、乾きと疲労をまとめて流し去って行った。


「お疲れさん。んで、どうよ?」

「どうって、何がですか?」

「いやだからさ、その本の事だよ。何か分かったか?」


 妹の問いに、けいは指を上下へ小刻みに揺らしながら、テーブル上の本を指す。


 先程まで鈴が朗読をしていたそれは、出版社の名前もバーコードも存在しない、誰が製作したのかさえ判らない正体不明の本なのである。


「いいえ、全く。結局これ、何なのでしょうか?」

「うーん……。見た感じ、俺もお前も能力チカラ覚醒めざめた様子もないし……」

「まだそのネタ引っ張るつもりですか……。もっと別の見解を示して下さい

よ……」


 鈴にジト目を向けられ、圭はこめかみを指でつつく。


「別の見解か。……この本の朗読を聞いた事で、身長が三十㎝以上伸びて偏差値も五十UP、宝くじで百億円に当選して、素敵な彼女も千人出来ました! もの凄い効果です!」

「一つたりとも、かすってさえいませんね」


「朗読を聞いた事で、身体中の老廃物が残らず排出されて視力も回復、憑き物も落ちて高いところの枝も楽々カット! もう手放せません!」

「もはや方向性すら見失ってますね。て言うか、朗読した私には何の効果もないんですか……」


「朗読したおかげで、腸内細菌であるウェルシュ菌が一匹増加しました! 嬉しくて仕方ありません!」

「しょぼいですね!? しかもそれ、悪玉菌ですからね!?」


「朗読したおかげで、何かがどうかなりました! 感謝の一言ですね!」

「遂に説明放棄しましたよこの兄!?」


 TVショッピングの商品使用者じみた感想を並べる圭を前に、鈴の心のハリセン捌きは流水の如く滑らかであった。


「じゃあ、別の切り口で考えてみましょうか。結局この本、どこから出て来たんでしょうか?」

「うーむ……」


 顎に手を当てて、圭は考え込む。そして、思い付く限りの仮説を次々と並べて行った。


「宇宙から降って来た」

「大気の断熱圧縮で燃え尽きますね」


「太古の時代からタイムスリップして来た」

「内容が明らかに時代に合ってませんね」


「海底遺跡から発掘された」

「濡れた形跡すらないですね」


「親が知人の自作本を貰って来た」

「急に現実的になりましたね」


「異界のゲートを通じてやって来た」

「そしてまたオカルトに戻りましたね」


「俺達の住む世界は電子の海に構築された仮想世界だった」

「何の話してるんですか」


「俺達の祖先は異なる銀河系からやって来た異星人だった」

「話をどこに着地させたいんですか」


 圭の口から出て来る言葉を、鈴は次々と切り捨てて行く。


 互いの言葉が尽き、数瞬の沈黙が空気を支配し、


「……まあ結局、良く判らんかったって事だな」

「……まあ実際、良く判りませんでしたからね」


 互いに溜め息を吐き合いながら、圭と鈴は結論を下した。何とも宙ぶらりんな結論ではあったが、それでも鈴は頬を緩め、


「まあ良いです、判らないなら判らないままで。何だかんだで楽しかったですし」

 本心から湧いた言葉を口に出した。


「ああ、そうだな。俺達はこの本の正体とかよりも、もっと大事なものがあるって事に気付く事が出来た。俺達はその大事な『宝物』を胸に抱いて、明日も生きて行くんだ……」

「そこまで言ってませんし、ぶっちゃけキモいです。しかもそれっぽいだけで、肝心の結論が曖昧過ぎやしませんか」


「金」

「それでこそ兄さんだと、ホッとするやらさげすむやらです」


 幼い頃より慣れ親しんだ町のゴミ置き場を眺めるような心地で、鈴は溜め息と共に呟いた。


「取り敢えず、この本の事はまたの機会と言う事にしましょう」

「おう」

「ですので兄さん。この前貸した大事な『宝物』である千円を、そろそろ返して下さい」

「まさかそんな流れになるとは思わなかったなあ!?」


「一ヶ月以内に返す約束でしたよね! 今日でちょうど一ヶ月後なんですけど!」

「い、いや、もうちょっと待ってくれ! 次は必ず返すから、約束する!」


「いーえ、信用出来ません!」

「本当だって! 俺が一度でもお前との約束を破った事があるか!?」

「今まさに私との約束を破ろうとしている人が、何でキメ顔でそんなセリフを言い切れるんですか!?」


 てのひらを突き出して返済を求める鈴と、ひたすらに言い逃れを図る圭。


 語部かたりべ兄妹にとっての騒がしい日常風景を、名もなき本はただ静かに見守り続けていた。



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