金の斧と銀の斧~黒歴史編~
あるところに、一人の木こりの青年が住んでいました。
ある時、木こりが川辺で木を切り倒していました。しかし、木こりはうっかり手を滑らせ、手にした鉄製の斧を川に落としてしまいました。
木こりが困っていると、川の中からゴボゴボと泡が出て来て、
「やあ、どうもこんにちは。話によっては女神とかにされちゃう事も多いけど、実際に出て来るのはこの私、ギリシャ神話の神ヘルメスです」
「何か爽やかスマイルを浮かべながら、聞いてもいない事をいきなり説明し始める神が川の中から出て来たんだけど!?」
自身も十分に説明的なセリフを口走りながら、木こりは驚きました。
「まあ、気にするな。それよりも君、今これらを落としたんじゃないかい?」
そう言ってヘルメスさんは、木こりの目の前に手にしたものを突き付けます。
それは、木こりが落とした鉄の斧、それにピカピカと光る金の斧と銀の斧でし
た。
「あっ、そうですそうです! 金と銀の斧は違いますけど、鉄の斧は僕のもので
す!」
思わぬ形で自分の斧が返って来た事に、木こりは大喜びです。
「ふむ、君は正直者だな。宜しい、この鉄の斧は返してあげよう」
そう言ってヘルメスさんは、鉄の斧を木こりへと返しました。
「さぁ〜て、ここからはチャンスタイムです!」
「一体何が始まっちゃったの!?」
突然、ハイテンションで良く分からない事をヘルメスさんは言い始めました。同時に、何やらゴキゲンなBGMまで鳴り始めます。
「説明ッ! 今から君に三つの質問をします。その質問全てに正直に答えてくれたら、金の斧と銀の斧の両方をプレゼントするぞ! さあ、どうする!?」
「顔近づけないで下さいよ!? 分かった、分かりましたよ、チャレンジします
よ!」
グイグイ迫って来るヘルメスさんに、木こりは答えました。
「良ぉーし、じゃあ行くぞ! 準備は良いかい!」
ヘルメスさんが叫びます。
まあ、質問に正直に答えるだけで金と銀の斧を手に入れる事が出来るのです。きっと、良い家宝になるでしょうし、お金に困ったら売ると言う選択肢もあります。これは確かにチャンスであると、木こりは思いました。
「もちろんです! さあ来い!」
やる気をみなぎらせる木こりに、ヘルメスさんは言いました。
「では質問その一! 君は以前友達に聞かれて、したり顔でこう答えたんじゃないかい? 『パ・リーグ? パントラル・リーグの略だよ』……と」
「…………」
図星でした。野球のパ・リーグは『パシフィック・リーグ』の略だと知り、赤っ恥をかいたのは、それから数日後の事でした。
ヘルメスさんは憎らしい程の笑顔で木こりを眺めています。恐らく、嘘を付いたところで簡単に見破られてしまうでしょう。
まあ、これは済んだ話です。少し恥ずかしいですが、素直に認めれば金と銀の斧を手に入れる事が出来るのです。
「はい、その通りです」
「おめでとう、質問その一は合格だよ! じゃあ、次に行こうかパントラル・リーグ君」
「…………」
容赦なく古傷を抉って来るヘルメスさんに、木こりは沈黙しました。予想外にも涙が滲んだ事は内緒です。
「では、次はちょっと難易度を上げていくぞ」
そう言ってヘルメスさんは指を鳴らします。すると、木こりの前にボワンと煙が立ち昇り、中からとある人物が現れました。
「……ってあなたは、僕がよく行くコンビニで店員やってるお姉さんじゃないですか」
「この人は本物じゃないぞ。私の魔法で作った幻みたいなものさ。ただし、本物と同じリアクションをするぞ。……では、質問その二!」
何故、このような幻をわざわざ出したのだろう?
疑問顔の木こりに向かって、ヘルメスさんが二つ目の質問をします。
「君はこの人からお釣りを受け取る時に、極力長時間手が触れられるよう、いつも工夫しているんじゃないかい?」
「…………」
図星でした。「このお姉さん、可愛いなぁ」と密かに片思いを寄せているが故の行動でした。
ただでさえ恥ずかしい話である上、幻とは言え本人を前にそれを認めるのは相当に勇気が要ります。しかし一時の恥を乗り越える事により、金と銀の斧が手に入るのです。
いえ、それどころか正直に言う事によって、意外と好意的な反応が返ってくる可能性もあります。木こりはこれを良い機会であると捉え、思い切って認める事にしました。
「は……はい、その通りです」
『気付いてました。ぶっちゃけ気持ち悪いので、やめて下さい』
お姉さんは無表情のまま、バッサリと言いました。木こりはまるで、心をフランベルジュで切り裂かれたような心地でした。波打った刀身が特徴のフランベルジュは、傷口が治り辛い事で定評のある剣なのです。
「良しっ、質問その二は合格だ! じゃあ続いて、質問その三!」
「………………はい、行きましょうか」
涙を流しながら、木こりは言います。もう二度と、あのコンビニには行けないなと思いました。
ヘルメスさんが再び指を鳴らすと、お姉さんの幻が煙となって消え去り、その代わりに数十人程の男女の幻が現れました。
「……ぼ、僕の学生時代のクラスメイトじゃないですか……」
先程の様子から、まずろくな目に合わないであろう事を予測し、木こりは思わず身構えます。
「まあ、そんな気負わずに。……君は学生時代、自分のテーマソングの歌詞を自分の脳内で考えていたんじゃないかい?」
「………………」
「ちなみに、歌詞を一部挙げると『漆黒の闇に舞い降りた白夜』『絶望を切り裂く運命の刃』『運命の眼差しは遥か天を見つめて』……」
「………………」
図星でした。当時は最高にクールだと信じて疑わなかった歌詞の一つ一つが、今鋭い刃と化して、木こりの胸に深々と突き刺さって行くのでした。
しかしここまで来た以上、引き返す事は出来ません。あと一度『そうだ』と言えば、金と銀の斧が自分のものになるのです。
虚ろな思考の中から顔を覗かせた理性が『コンコルド効果』と言う単語を必死になって訴えていましたが、その声に木こりが気付く事はありませんでした。
「………………はい。その通りです」
『センスないよね』
『よっぽど『運命』って単語が気に入ってたんだな』
『イタすぎ』
『白夜って舞い降りるものなの?』
そして、地獄が始まりました。
「よう。その金と銀の斧、一体どうしたんだ? それに元気もないようだけど?」
「…………ああ、カクカクシカジカな事があってな……」
「へえ、ヘルメス様の質問に正直に答えるだけで良いのか。だったら、俺も挑戦してみようかな」
「やめとけ」
「え?」
「やめとけ。幸せになんか、なれないからさ……」
まるで死んだ魚のような瞳で、木こりはそう言いましたとさ。




