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閑話 語部さん家の日常

「兄さーん、これから買い物に出掛けますけど、夕飯は何が良いですか?」

 ひょこっと居間へ顔を覗かせながら、鈴はけいへと声を掛けた。


「あー、何でもー」

 ぐでん、とソファに身体を横たえながら、圭は気のない返事を返す。スマホ画面の上で忙しなく動く人差し指を見れば、彼の意識の対象が何であるかなど一目瞭然であった。


「何でも、ってのが一番困るんです。せめて丼物とか揚げ物とか、方向性だけでも答えて下さいよ」

「何でもー」


 ジトッとした視線を鈴は送って見せるが、圭は意に介さない。半ば反射じみた返答を口にするばかりである。


「ですから、それじゃ分かりません。聞かなきゃ聞かないで文句言うから、こうして聞いてるんです」

「へーい、何でもー」


「……じゃあ、こっちで勝手に決めさせて貰いますけど、それで良いんですね?」

「いーよ、何でもー」


「分かりました。じゃあ今夜の兄さんの食事メニューは、牛脂のラードえにしましょう」

「ごめんなさい俺が悪かったです真面目に答えますから許して下さい」


 言い残し、玄関へと向かおうとする妹へ、瞬間的に土下座姿勢へと移行した圭の贖罪の言葉が淀みなく紡がれるのであった。


「全く、困った兄です。土下座だけは早いんですから」

「本気でやりかねない妹を持てば、こうもなるぞ」


 互いに溜め息を付き合う鈴と圭。

 一拍置いて、


「それで兄さん? 夕飯は何にしましょう」

「と言われてもなぁ……。本当に思い付かんのだよなぁ……」

 腕組みをしながら、圭はしばし思考を回す。


「……取りあえず、こってり系って気分じゃないんだよなぁ……」

「うーん、こってりしてない牛脂ですか」


「……丼物って感じでもないし……」

「じゃあ、牛脂丼は却下ですね」


「……あー、だったら麺類が良いかな……」

「牛脂を使った麺料理って、何がありましたっけ……?」


「なあ、鈴はどうしても俺に牛脂を食べさせたいのか?」

「いえ、そう言う訳ではないのですが」


 圭の言葉に、鈴は軽く首を振り、


「ただ牛脂って、精肉コーナーでタダで手に入るんですよね。結構良い節約術になると思うんです」

「引き換えに、俺の健康が犠牲になるけどな!? そこまでして切り詰めた金を、一体何に使う気なんだ!?」


「え? お茶菓子ですけど?」

「妹にとって俺の健康は、嗜好品以下なのか!?」


 妹の言葉からひしひしと感じ取れる家族間の愛情に、兄がその落涙を隠す事はなかった。


「冗談ですよ。麺類でしたら、うどんなんてどうでしょう?」

「ああ、良いな。牛脂が関係ないってところが、最高に良いな……」

 涙を拭い、圭は答える。


 そこでふと思い出したように、追加の注文を口にした。


「ああ、そうだ。電池のストックなかったから、買っといてくれ。単四な」

「そのつもりです。さっき確認しましたから」


「それと男子便所の芳香剤、そろそろ切れるから頼む」

「はい、分かりました」


「あと妹に傷付けられた心を癒やしたいから、マイナスイオンを一パック」

「マイナスイオンって、パック詰めされてるんですか。あとそれ、そもそもインチキ科学の類ですから」


「じゃあ、膝枕してくれるメイドさんで良いや」

「ちょっとこの世界のスーパーには売ってませんね」


「じゃあ、優しくて包容力があるんだけどもちょっぴりドジなところがあって、だけどそこがまた魅力の一つな巨乳のお姉さんの膝枕を」

「私は今、兄さんがコンクリに詰められて海の底に沈んでしまえば良いと思いました」


「なんて酷い奴だ!! 勇気を出して自分の長年の夢を喋ったと言うのに……それなのに!!」

「一体何が悲しくて、兄の妄言を聞かされた上で少年漫画的な罵倒をされなきゃいけないんですか!?」


 全くもって不毛なやり取りを交わす語部かたりべ兄妹。しばしの間ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てた後、


「……じゃあ、そろそろ行ってきますね」

「おう。車に気を付けろよー」


 何事もなかったかのように平常に戻る。兄はソファに寝転び、妹は玄関へと向かう。


 語部兄妹の、良くある日常の一幕であった。


牛脂は、牛肉と一緒でないと貰えないところもあるみたいですので、ご注意を。

そして、牛脂料理が実在する事に軽い衝撃……。

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