梅の香りがするころに
好きかどうかと聞かれたら、好きでないことはないと答える。だからといって、好きなのかどうかは分からなくなってしまった。
時間というものはすごく残酷なものだと思う。夏はいつしか冬へと変わり、炎もいつかは燃え尽きる。自販機から出てきたホットココアも、気がつけば冷たくなってしまう。同じ様に、私の胸の奥にある温かったものは、冷めてしまったのだろうか。
そっと瞼を下ろしてみる。公園から聞こえる小さな子供たちの声、走っている車の音、風の音が聞こえる。こうして瞼を下ろせば、微笑んでくれたあの人の顔が浮かび上がったものだ。でも、今は何も見えない。何も、少しも見えない。
あの人の顔も、はっきりと分からなくなってしまった。それは当たり前だ、もう二ヶ月も顔を見ていないのだから。そういうときは、一枚だけあるあの人との写真を見て思い出している。情けないくらい眉を下げて笑う私と、微笑むあの人は、そこそこ良い関係に見えるかもしれない。実際は、ほんの少し話したことがあるぐらいの関係であるのに。
良い関係になりたかったのかもしれない。でも、それには時間が無さすぎた。勇気も無さすぎた。何もかも、足りなかったのだと思う。もっと時間があれば、きっと話すこともできただろうにと思うけれど、それは違うのかもしれないと最近になって思った。
あの距離感が心地よかったのかもしれない。話すわけでもなく、でも他人な訳ではなく、あの不思議な距離感がよかったのだろう。そうすれば、傷付かなくて済んだから。私はなんて臆病だったことだろう。
そんな気持ちとも決着をつけなければなるまい。どのような結末であっても、きっとあの時、確かに好きだったのは間違いないのだから。受け入れられる、そう信じている。
私はゆっくりと目を開いて、携帯電話に少し震える指を添えた。これで最後かもしれないと思うと、喉の奥やら目の奥やら苦しくなってしまうのは、もう仕方がない。
それだけ、それだけ私は本気で好きだったのだから。たとえ勘違いだったとしても、私は好きだったのだから。だから、泣きたくない。しかし、自分の意に反して震え始める視界に、私は再び目を閉じた。
なんだ、全然冷めてなんかいなかったんだ。まだ温かいじゃないか。胸の真ん中は、温かいじゃないか。
頬を掠める少し冷たい風には、僅かに梅の香りが混じっていた。
この人はこのあと、どうなることでしょう。
三月は辛い季節ですね。