4 踊り子に手を触れないでください(前篇)
「あのとき僕は大型の魔物と戦って、少々てこずりながらもこれを倒したんだ。それで、すぐにマリアの後を追って少年たちの家に向かった。すると───」
殿下が仰るにはこうです。
ガズとミミを逃がした私がいまにも魔物に襲われそうになった時、やはりレオナルド殿下が颯爽と現れました。
けれど、殿下が魔物を倒すより先に、殿下の目の前で突如目も眩むような光が広がったかと思うと、その神秘の光は凶暴な魔物を消し去ってしまったというのです。
「あとに残されたのは、床に倒れ伏したキミ───マリアだったんだ。同じ精霊の加護を受けた僕だからわかる、あれはまさしく精霊の力の輝き」
「はあ……では、その五人目さんと言うお方が、私を助けてくれたということなのでは」
当然ながら、私はそう思いました。
だって、他にどう思えというのでしょう。
レオナルド殿下以外の、精霊の輝きを示した人物が現れて魔物を退治した、つまりはそういうことでしょう。
「いや───五人目の勇者、大地の精霊の加護を受けし勇者はマリア、キミなんだ」
いやいやいや。
そぉお~~~~~~~じゃなくって。
私は五人目の勇者云々のことよりも、さっきまでの高揚感、レオナルドさまに求婚されたのだと思い込んでいた幸福な気持ちがものの見事に砕け散って、呆然自失でした。
(幸いにもレオナルドさまには気づかれていないみたいだけど、ああああ、一瞬とはいえ、自分が王子さまにプロポーズされたと思っていただなんて、は、恥ずかしい!)
そして同時に、このことは墓場まで持っていこうと心に誓いました。
だってそうでしょう。
金髪美形、優しく気高い魂を持った王子さまが、ハハハこんな田舎村の村長の娘風情に一目ぼれするだなんて。
ハハハそんな夢物語があるわけないってーのハハハハ…………ムナシイ。
「しっかし、にわかには信じがたい話だが、本当なのかレオン?」
「ふっ、馬鹿馬鹿しい。何かの間違いだろう」
「………………信用、しかねる」
他の勇者さま方はレオナルド殿下の言葉に一様に疑問符を投げかけ、ついでに私の顔をまるで珍獣でも見るかのようにじろじろと見るのでした。
こういうのも「見つめあっている」と言うのでしょうか。
間近に王子さま方のお顔が見られるのは眼福ですが、あまりいい心地ではありません。
お尻がむずむずしてきそうです。
「いや、あの輝きを見ればキミたちだってすぐに確信する! あれは紛れもなく精霊の力だった」
「嬢ちゃんの言う通り、その場にもう一人いたとかじゃねえのか?」
こくこくこく。
私はアントニオ殿下の言葉に頷きます。
レオナルドさまとの結婚がなくなったからには───最初からそんなものなかったのですが───降ってわいたようなその与太話……私が勇者だなどという話だけでも、しっかりきっぱり否定しておかなくてはなりません。
「大体、勇者って言うのは魔物や魔王と戦う存在なんだよ? 言っては悪いけれど、こんな片田舎の、しかも女の子に務まるものじゃあない」
ぐっ……ラファエロ殿下の言い草には果てしなくカチンとくるものがありますが、仰っていることは頷けます。
「……刻印」
ウィリアム王子はただそれだけぽつりと口にしますが、仰りたいことは理解できます。
精霊の加護を受けし勇者の体には、精霊の刻印があるそうなのです。だから、万が一、仮にも私が五人目の勇者だというのなら、体のどこかに刻印があるはずなのです。
「じゃあなにか、この嬢ちゃんを裸にひん剥いて、調べるとでも」
ひぃいいいっ。
思わず身をすくませる私に、レオナルド殿下はアントニオさまを睨みつけます。
「マリア、安心して。そんな無体なことはもちろんさせないから」
されてたまるものですか、嫁入り前の乙女の裸をなんだと思っているのでしょう。
黒髪のアントニオさまはがははと笑い、「冗談冗談」と誤魔化します。
「言っていい冗談と悪い冗談があるぞ、アントニオ」
「あ、あの、その精霊の刻印と言うのはどのようなものなのですか……? 私も実際に見たことがないので、そういうものが自分の体にあるのかどうか、いまいち確信できないと申しましょうか」
「それはそうだね。僕も迂闊だった、ではお見せしましょう」
私の目の前に、レオナルド殿下はぐっと右手の甲を突き出しました。
すると、手の甲に紋章と言いましょうか、不思議な刻印としか言いようのないものがぽっと浮き出てくるのです。
「おう、じゃ次は俺だな」
と言って、アントニオ殿下がやおらシャツの襟元をはだけます。
逞しい胸板が露わになり、ドキリとしてしまいますが、浅黒い左胸のあたりにレオナルドさまの刻印によく似たそれが浮かび上がります。
「ボクは───これだよ」
と、シャンペンブロンドの巻き毛をかきあげたラファエロさまのうなじにも、やはり刻印が。
「……………………」
いつも無口なウィリアム殿下は、無言でズボンの裾をめくり上げ、右のふくらはぎに浮かんだ刻印をお見せになりました。
なるほど、多少の違いはあるものの、全体的な意匠は似ています。
けれど、私の思い出す限り、自分の体にそのようなものがあったような記憶はありませんでした。
「とにかく、僕は彼女の光を見た、そして確信したんだ。マリアこそ五人目の勇者、大地の精霊の加護を受けし存在なんだよ」
でーすーかーらぁー。
全力で否定したいのですが、レオナルドさまの純真な瞳を見ると「そんなわけねーだろこのボケナス王子」などという本音を口にできるわけもございません。
なんだかんだの後始末もあり、その話はうやむやになってしまったのでした。
その夜───。
夜もとっぷりとふけ、レオナルドさまは父の寝室、父は私のベッドで既に休んでいます。
私は居間ではなく、浴室にいました。
いいえ、お湯は殿下や父の使った後に使わせていただいたのですが、どうしても確かめたいことがあったのです。
服をすべて脱ぎ、全裸になった私の手には母の形見である手鏡。
それを使って、私の体のどこかに「精霊の刻印」が本当にあるのかどうか確認したかったのです。
普段、体を洗う時にはそんなものがあるだなんてまったく気づきませんでした。
ということは、自分では見えにくい場所にあるのかもしれません───本当を言うと、ないに越したことはないのですが。
私は手鏡を手に、肩の裏だの脇腹だの、自分では気付きにくい場所を丹念に調べていきました。
ふくらはぎ、足の裏、太ももの内側……なんというか人さまには決してお見せできないようなはしたないポージングまでして、体の隅々まで見てみましたが、そんなものは見当たらない───と一安心しかけていた時でした。
「あれっ…………ま、まさか、これが……?」
私は「ある場所」に奇妙な痣を見つけてしまったのです。
そう言えば幼いころからここにそんなものがあったような気はしていましたが、以前はこの痣はこんなにくっきりと現れてなかったはずです。
私の脳裏に、私を五人目の勇者だと信じるレオナルドさまの言葉が思い出されました。
『五人目の勇者、大地の精霊の加護を受けしものは、ごく最近まで自分の力に覚醒していなかった可能性があるんだ。マリアもきっと、魔物に襲われたあの瞬間まで勇者の力に目覚めていなかっただけだと思う』
まさか───私が精霊の力に目覚めてしまったから、刻印がはっきり浮き出たとでも言うのでしょうか。
浴室で、全裸で手鏡を手にしたまま、私は頭を抱えたのでした。