16 母と、息子と
翌日、私たちは無事にバルラヌス王国に到着し、フィリップ五世国王さまとイザベラ王妃さまに謁見致しました。
致した……と思います。
ええ、正直なところ私は緊張しすぎて、その場で自分がなにをしてなにを口にしたのか、まったくと言っていいほど覚えていなかったのでございます。
「いえ、なかなか堂に入った立派なご挨拶でしたよ、マリアさま」
マローバスさんはそう仰って下さったのですが……ただ少しだけ気になったことがありました。
国王さまと王妃さまといえば、他ならぬウィリアム殿下のご両親です。
公的な謁見の場とはいえど、親子の対面にしてはどこかよそよそしいというか、他人行儀な空気が漂っていたような気がしたのです。
(特に王妃さまは、一度もウィリアムさまの方を見もしなかったような)
そのことを言うと、マローバスさんは顔を曇らせました。
「マリアさまはご存じありませんでしたか……実は現王妃イザベラさまは後妻。ウィリアム殿下の実母に当たる前王妃エカテリーナさまは、殿下が七歳のときに病で御崩御なさったのです」
「えっ……」
「当時、殿下は既にアカデミーに入学しておられ、ロートヴァルド王都で寮生活をしておられました。エカテリーナさまご危篤の一報をお聞きになった時にはもう……」
ということは、ウィリアムさまはご自分のお母さまの死に目に……
ウィリアムさまのお母さまがお亡くなりになっていたということにも驚きましたが、私自身が十才で母を亡くしているだけに、僅か七歳だった殿下の心情を思うと、私は胸が締め付けられる思いでした。
「もしかして、謁見の時のあの微妙な空気は」
「いえ、イザベラ王妃とウィリアム殿下が特に不仲であるというようなことはないのです。しかしあの日以来、殿下は滅多に御笑いにならなくなり……お傍付きの使用人を私とミセスシェリーだけにしたのもその頃からでした」
基本的に殿下たちは王都のアカデミーでの寮生活とはいえ、時折は母国に戻りご家族にお会いになるのだそうです。
けれどウィリアムさまはお母さまを亡くされて以降、滅多にバルラヌスに帰郷なさらなくなったとマローバスさんは仰いました。
私にはウィリアムさまのお気持ちがわかるような気がしました。
それは後妻となったイザベラ王妃さまに会いたくないということではなく、お母さまの記憶が残るこの国やお城を見るのがつらかったのではないでしょうか。
(私も母さんが死んでしばらくは、台所や母さんのベッドを見るのがつらかったもの)
それは誰が悪いということではなく。
故人のことを思えば思うほど、もう二度と愛する人に会えないのだという哀しみが抑えられないのです。
きっとウィリアム殿下は自分が悲しんでいる姿を多くの人に見せたくなくて、あのように無表情を装うようになっていったのではないでしょうか。
私にはすぐ近くに父さんが、カシュバスのおかみさんが、村のみんながいました。
けれど僅か七歳の少年は哀しみを見せまいとミセスシェリーとマローバスさんだけを傍に置き、心を隠すことで自分を守ろうとしたのでしょう。
「なのにウィリアムさまは、私のために帰郷なさったんだ……!」
私ごときが殿下に対し、安易に同情すべきではないということはわかっていました。
けれど、私は目頭が熱くなるのを抑えられませんでした。お母さまの思い出が残るこのお城に、殿下はこんな私のために戻ってこられたのです。
一見、無口で無表情、冷徹なまでに冷静。
けれどその胸の内は誰よりも優しく、情愛深い方なのではないでしょうか。
ウィリアムさまは否定なさるかも知れませんが、私はいつかこのお礼を言おうと心に誓いました。
さて、神秘の国バルラヌスにあるかもしれない、地精霊に関する文献。
前もって早馬を出していたこともあり、それらしき文献はいくつかあったようです。
けれど、地精霊の聖宝具に関する資料らしきものはなく……私たちは未調査の資料を王都に持ち帰ることにしました。
しかし出立の朝、私とウィリアムさまは再び謁見の間に来るよう言われました。
なんだろうかと少々不安を覚えながら参りますと、そこにいらっしゃったのはイザベラ王妃さまでした。
「国王陛下はご政務、わたくしが個人的にウィリアムに用があって来てもらったのです」
最初の謁見の時は緊張しすぎて気付きませんでしたが、王妃さまはなんとも気品に満ち溢れた美しい女性でした。
栗色の髪を丁寧に結い上げ、まったくお年を感じさせない美貌に慈愛に満ちた笑みを浮かべておられます。
(最初はウィリアムさまの顔を見ようともしない、もしかして冷たい方かと思ったけど……)
「ウィリアム、もう少し近くに来てくれませんか。久しぶりなので顔をよく見せて頂戴」
「はい」
ウィリアムさまが玉座に近づくと、王妃さまは手にしていた箱のようなものをウィリアムさまにお渡しになり、ほう……と息を一つ落とします。
「あなたは滅多に帰ってこないから、なかなかこれを渡す機会がなくて」
「これは……?」
王妃さまは若き王子の顔をじっと見つめると、その頬につうっと一筋涙が伝い落ちました。
私はもちろん、ウィリアムさまも驚いた顔をしておられます。
「わたくしは長い間、ずっとあなたに嫌われていると思っていました」
「…………」
「エカテリーナさまは素晴らしい王妃さまだったとお聞きしております。ましてやエカテリーナさまが身罷ったのはあなたがたった七つの時……思い出の中のお母上のことを思えば、きっと後妻であるわたくしの顔など見たくもないのだろうと」
「…………い、いえ、決してそんなことは」
珍しく、本当に珍しくウィリアムさまがうろたえてらっしゃいます。
「ええ、わかっています。あなたは帰郷しても私と顔を合わせようとはしなかったけれど……薬園には必ず立ち寄っていましたね」
ウィリアムさまは一瞬ハッとした後、王妃さまから目をそらしました。
「わたくしが昔から苦しめられていた持病……それに効く特効薬を作るために、あなたは古い文献を当たり、遠方より取り寄せた薬草を植えさせていたと聞きました。そんな心優しいあなたが、子どもじみた考えで私を嫌うはずがありません」
「………………」
ウィリアムさまがどうしてイザベラ王妃さまにお会いにならなかったのか、私にはなんとなくわかるような気がしました。
哀しみを押し殺すために無口で無表情な仮面をかぶっているうちに、ウィリアムさまは感情を表に出すことが苦手になってしまったのではないでしょうか。
イザベラさまの持病を治すために努力していることも、彼女への息子としての愛情を表すことも。
「そ、それで、この箱はいったい」
「それはエカテリーナさまの私室で見つかったものです。開けてごらんなさい」
ウィリアムさまが箱を開けると、最初ははっと驚き、そして一瞬ですが泣き笑いのような表情を浮かべたあと……俯いてしまわれたのです。
そして、晴れやかな顔になったかと思うと、イザベラさまをそっと抱きしめました。
「ありがとうございます……母上」
ウィリアムさまの背中に腕をお回しになる王妃さまの目に、また一つ涙が浮かんでいました。
けれどそれは悲しみの涙ではなく、この上ない喜びの涙のように私には見えました。
「マリア───マリア・マシュエスト」
「は、はいっ?」
あーびっくりした、びっくりしました。
お二人の美しい親子愛にすっかり感動し、もらい泣き寸前だった私は、いきなり王妃さまに名前を呼ばれて飛び上るところでした。
「ウィリアムは見ての通り、少し不器用なところもありますがとても優しい子です。貴女さえよければ、これからもウィリアムを支えていっていただけますか」
「も、もちろんです! わ、私なんかがお役にたてるとは思えませんが、それでも全身全霊努力いたしますですハイ」
私の言葉に、イザベラさまは笑みを浮かべ、ウィリアムさまに微笑みかけたのです。
「本当に、あなたが意中の相手を連れてくると聞いた時は驚いたものだけど……ウィリアム、あなたの選んだ女性なら、間違いはないでしょう。マリアさんを幸せにしてあげなさい」
─────────えーっとぉー──────
そのとき多分、私とウィリアムさまは同じ表情を浮かべていたに違いありません。
そして、同時に気付いたのです、マローバスさんが私たちをどういう目で見ていたかということを。
ミセスシェリーが私をウィリアム殿下にふさわしい相手かどうかを見極めようとしていたか、というその意味が。
(うひぇえええええええええ~~~~~!? そ、それって、わ、私がウィリアムさまの、その、なんていうか、お、お相手っていう意味で……?)
「は、母上! ち、違います誤解です! マリアは、その、精霊の加護を受けし五人目の勇者であって、け、決して私とそのような間柄では」
「あら、同じ勇者同士、結ばれるのは何ら問題がないのではなくて? わたくし、てっきりあなたがお嫁さんを連れて帰郷したのかと」
あばばばばばばばばばばばばばばばば。
イ、イ、イザベラさまはなにを仰っておられるのでしょう。
私、なにをどう説明すればいいのかわからなくて、目を白黒させるばかりでした。
「わたくしが見る限り、あなたもマリアさんのこと、かなりお気に入りなのではなくて? あなたがミセスシェリーやマローバス以外の人にあんなやさしい目を向けるのは、わたくし初めて見るのだけれど」
「そ、それは」
ちょ、なんでそこで言葉に詰まるんですかウィリアムさま。
てかなんで目が泳いでるんですか、お顔がうっすら赤いんですか、あああああああ。
私、正直言ってレオナルド殿下さまを始め、勇者王子さまたちに対する憧れはありましたよ。そりゃあ私だって花も恥じらう十九歳の乙女です。
一度などはレオンさまに求婚されたと勘違いして舞いあがったくらいですから。
でも、一度冷静になって思いなおせばすぐわかります。
いくら自分が勇者だからって、田舎村に生まれ育った東西南北どこから見てもド庶民の自分ごときが、王子さまと釣り合うだなんてあり得ないってことが。
今でこそ勇者アカデミーに通い、ウィリアムさまたちと肩を並べて勉学に励む毎日。
王子さまと舞踏のレッスンなんかもしましたが、ああいうのは空から降ってきた幸運といいますか、勇者丸儲けといいますか、せめて王子さまたちの足手まといにだけはならないよう努めて来たと申しましょうか───
「マリア、あなた自身はどうなのです。ウィリアムのことを好きではないのですか」
「ひぐぶふっ!?」
十九歳の乙女らしからぬ珍妙な声で私が言葉に詰まった時、まさに天の助けが舞い降りたのでございます。
「ご、ご報告申し上げます! ま、魔物の出現を確認いたしましたッッッ!」
「なんだとっ?」
「オルレアの森にて、いままで見たこともない大型の魔物出現との報あり! 直ちに騎士団を向かわせました」
魔物出現を天の助けと言ってはいけないのかもしれませんが、私とウィリアムさまはちらと眼を合わせ、小さく頷いたのです。
「よし、私も直ちに現場に急行する! マリア!」
「は、はいっ」
「キミはミセスシェリーらと共に、先にロートヴァルド王都に向かってくれたまえ! 護衛兵を三騎つける、さあ急いで!」
殿下がてきぱきと指示をする中、私もイザベラ王妃さまに深々と頭を下げ、辞去の礼を述べました。そしてまるで何かに追い立てられるように、その場を後にしたのでございます。
「あらあら、そんなに照れなくてもよいでしょうに……若いっていいわね~」
背後で王妃さまのつぶやきが聞こえたような気がしましたが、私はそれを空耳だと思うことにしました。




