15 緊張の里帰り……?(後編)
一路、バルラヌス王国に向かった私はウィリアムさまに随行、とは言っても、ウィリアムさまは馬車ではなく愛馬に乗って馬車に随行する形、護衛の兵隊さんも三騎同行しています。
そうか、あの無表情で無口な王子さまと一つ馬車の中で……というわけではないのかと、ホッとしたのもつかの間でした。
「マリア・マシュエストさま。いつぞや以来ですな。本日はよろしくお願いいたします」
「───よろしくお願いいたします」
馬車の中には私の他にお年を召した方がお二人。
実を言うと一度だけ、お二人とは私の故郷ジクロアの村でお会いしています。まあ話す機会こそございませんでしたが。
白髪をうっすら紫に染めて結いあげた老嬢はシェリー・トンプソンさん。
ウィリアム殿下のお食事係兼お召しもの係をされています。前にもご説明しましたが、王族の方が外遊なさる時は、毒殺防止のために必ずお食事係を随行させる習わしなのです。
そして白いお髭をたくわえた上品な紳士がマローバスさん。
その他殿下の身の回りのお世話をなさっている方だそうです。
(そう言えば、他の王子さま方に比べてウィリアムさまだけお付きの方が少なかったな)
ラファエロ殿下などは総勢八名ものお付きの方を従えてらっしゃいましたが、ウィリアムさまには護衛兵の他には、いつもこのお二人だけが随行なさるのだそうです。
「ウィリアムさまはご自分の信条として、自分のことはできるだけ自分でなさるお方なので……我々お傍仕えの年寄りには、寂しい限りです」
「いいえ、たとえ王子といえど、いえ王子だからこそ率先して皆の規範となるべきですわ。近ごろは貴族と言う立場に甘んじて、面倒なことをすべて使用人に任せる心得違いの貴族も多く、誠に嘆かわしいことです」
「は、はあ……」
マローバスさんは穏やかな口調の優しそうな方なのですが、問題はトンプソンさんです。
なんというか他人に緊張を強いるタイプとでも申しましょうか、自分に厳しく、他人にも厳しくって感じのご婦人です。こういうタイプには私、心当たりがございます。
あれは私が十才、母親を亡くして泣き暮らしていた頃のこと。
同じく旦那さんを馬車の事故で亡くした寡婦のカシュバスのおかみさんが、こういう感じの人でした。
彼女は母を亡くして落ち込んでいる私を容赦なく叱り飛ばし、家事や裁縫を私にびしばし仕込んでくれました。
『いいかいマリア。母さんがいないっていうことは、これからはこの家の家事はお前が取り仕切って行くんだよ。父さんの面倒を全部見るくらいの気持ちでやりな』
そして慣れない針仕事で指に怪我をした私を甘やかすこともなく、料理から薪割り、家畜の世話まで、それはそれはもうスパルタで私を鍛え上げてくれたのです。
(今にして思えば、母さんを亡くした悲しみがあれでずいぶん紛れた気がします)
もしかしたらおかみさんも私を励ますために、家事を仕込んでくれたのかもしれません。
ただ、それとこれとは話が別。
トンプソンさんを前にした私は、がっちがちに緊張して馬車に揺られ続けるのでした。
「ところでマリアさま。聞けばあなたさまは殿下同様、精霊の加護を受けし勇者だとか」
「は、はいっ。僭越ながらそのようなものをさせていただいておりますっ」
うう、私を値踏みするようなトンプソンさんの目が怖いです。
「女だてらに勇者とは驚きですが、勇者アカデミーでは上手くやっておいでですか。殿下さま方にご迷惑をお掛けになるようなことは……」
「どどど努力はしております、が、まだまだ若輩者で申し訳ございません!」
ダメです、完璧に鬼教官と新兵です。
うっかりすると口から垂れる言葉の前と後に「サー・イェッサー!」とか言ってしまいそうです。
「まあ、地方の出だからと言って引け目を感じることはないでしょう。しかし勇者となったからには、たゆまぬ努力を続け、一日も早く殿下たちと肩を並べられますよう」
「まあまあミセスシェリー。マリアさまはまだ勇者の力に目覚めたばかりと聞き及んでおります。ウィリアムさまと肩を並べようというのは無理な相談ではないでしょうか。ここはご自分のペースでゆっくりと」
トンプソンさんの厳しい視線に緊張し、マローバスさんの優しい口調にホッとして。
私、金属疲労かなにかでぽっきり折れてしまうのではないでしょうか。
そんなことを思っているうちにお昼時になり、馬車が街道の開けた場所に止められると、トンプソンさんは食事の準備を始めました。
(あっ、わ、私も手伝わないと)
そう思って慌てて馬車を降りた私は、驚愕に声を失いました。
さっき、私より少し先に馬車を降りたところだというのに、トンプソンさんはもう簡易かまどに火を起こし、食材を切り始めているではないですか。
な、なんという手際の良さ……これが王室のお食事係の手並みというのでしょうか。
「あの、私も手伝いますトンプソンさん」
「マリアさま、食事の準備はわたくしどもが」
護衛兵の皆さんもテーブルを出したり食器を並べたりして、手際がいいです。
ウィリアムさまは馬車から飼葉を出して愛馬に食べさせておられるし、みんな自分の役割を心得て動いているのですから、私もぼーっと突っ立っているわけには参りません。
(お料理に手を出すのはきっと邪魔だろうし、私は飲み物の準備でもしよう)
そうして護衛の兵隊さんに交じって食事の準備を手伝います。
「マリアさま、手伝っていただき申し訳ありません」
「いえ、わたし寮でも朝食は自分で作っていますから……それとこれ、私が作ってきたんですが、よろしければ皆さんで」
そう、あらかた食事の準備が整ったところで、私は早起きして作ったお弁当のバスケットを出しました。
それを見たトンプソンさんの目がきらりと鋭く光るのを、私は見逃しませんでした。
な、なにか不興を買うようなことをしてしまったでしょうか。
「さあどうぞ、簡単なサンドイッチですが」
そう言って私は護衛兵の皆さんにバスケットを差し出しました。
いくら私でも、手作りお弁当をウィリアム殿下にお出しする勇気はございません。
ところが、目を輝かせてサンドイッチに手を伸ばす兵隊さんより、トンプソンさんの手が稲妻よりも早く、サンドイッチをつまみ上げたのです。
「………………」
眼光鋭くサンドイッチを観察するトンプソンさん。
もしや「こんな貧相なものを殿下の前にお出しするなんて、身の程知らずの小娘が!」とか思っておられるのでしょうか。
「あ、あの……お口に合うかどうかはわかりませんが、よ、よろしければ」
うう、なんですかこの無形の圧力は。
サンドイッチを取りそこなった兵隊さんもごくりとトンプソンさんの様子を窺っています。
ウィリアムさまは───無表情です。
何十秒にも感じられるその沈黙の後、紫髪の老嬢は「ぱくり」と私のサンドイッチを齧り、もぐもぐと味わわれました。
「あ、あのぅ~」
「具はチキンのマスタード焼きですね。焼き具合は申し分ありませんが、この照りはどうやってお出しになられましたか」
「それは、蜂蜜を伸ばしたものを塗って焼きました。仕上げにレモン汁を振りかけて」
なんでしょう、この真剣勝負のような緊張感は。
練習試合で剣を振ってた方がまだマシだと思うほどです。
「なるほど、この酸味と甘みが肉の旨みを引き出し、それをマスタードが引き締めていますね。そちらは?」
「こちらは焼き野菜のミントソースサンドです」
トンプソンさんはもう一種類のサンドイッチにも手を伸ばすと、ぱくぱくとお食べになります。
ほっそりした体つきなのに、なかなかの健啖家でいらっしゃいます。
そんなトンプソンさんを、マローバスさんは穏やかな目で見つめておられます。
「こちらはややソースがくどすぎるようにも思いますが、若い方にはこれくらいでもいいのかもしれません。バランスは悪くないし、好みの範囲内でしょう」
ええと……これはどちらかと言うと褒められているのでしょうか。
(相手は王室のお食事係なんだし、一口かじって捨てられるとかじゃなくて良かった)
「ミセスシェリー。ご講評はそれくらいにして、あなたの美味しそうな食事も頂こうではありませんか」
「あら、わたくしとしたことが。どうぞウィリアム殿下、兵の皆さん、それにマリアさまも。お召し上がりください」
私もトンプソンさんのお料理を頂いたのですが……正直、私は打ちのめされました。
あの短時間でこの肉の焼き色、速攻で作ったとは思えないソースのコク。
見た目はただのバーベキュー料理なのに、味はまさしく王宮の味───王宮の味なんか食べた事ありませんが、少なくともアカデミーの食堂の味を遥かに超える完成度です。
(プ、プロの料理人、マジ半端ないです……!)
こんな腕を持った料理人に、私ごときの手作りサンドイッチを出しただなんて。
なんという恐れ知らずの恥知らず。穴があったら入りたい、穴がなければ自分で掘って埋まりたい気分です。
そう言えば以前、レオナルドさまに豚モツの煮込みをお出ししようとしたことがありましたが、出さなくて本当に良かったです。
あんな田舎の郷土料理をお出ししたら、その場で首刎ねられたって文句は言えないでしょう。
「あら、モツ煮込みですか。王都ではあまり食されない食材ですが、地方ではよく食べられていますね。下処理に手間がかかりますが、私も大好きです」
「ええっ、トンプソンさんがモツ料理を?」
ええ、と事もなげにいう老嬢に、マローバスさんはふふふと笑っておられます。
「今でこそわたくし、準貴族の身分を頂いておりますが、生まれは地方の小さな町の出でして。幼いころはそれはもう厳しく家事炊事その他を仕込まれたものです」
意外なところで親近感の湧くようなことを伺いました。
相変わらず顔つきや口調は厳しいトンプソンさんですが、私はもうそれほど彼女のことを怖いとは思わなくなっていました。
「さあさあ、食事がすんだらすぐに出発しないと。皆さま各自食器をお片づけになって!」
ぱんぱんと手を叩いて皆を追いたてるトンプソンさんに、私もいつしか兵の皆さんに混じって後片付けにいそしむのでした。
日もとっぷりと暮れ始めた頃、一行は街道沿いに馬車を止めました。
旅程はまだ一日あるのだそうで、その日は野営で一泊です。
兵の皆さんは簡易テント、通常ならウィリアムさま、ミセスシェリー、マローバスさんが馬車でお休みになるそうなのですが、私と言うお荷物がいるために私とミセスシェリーが馬車で寝るように言われました。
「そんな、ウィリアムさまを馬車の外で寝かせるなんて。私、テントでいいです」
「馬鹿おっしゃい。うら若き女性を外に寝かせるなど、一国の王子のすることではありません。だからといって、一つ馬車に殿下とマリアさまを寝かせるのは───」
ひえっ、わ、私とウィリアムさまが一つ馬車の中で!?
想像しただけでヤバい光景が脳裡に展開されますが、落ち着け私。
それはきっぱりとミセスシェリーが否定します。
「なので、わたくしとマリアさまが馬車、殿下とマローバスさんはテントでお休みいただきます。それでよろしいですね、殿下」
「問題ない」
そう言ってウィリアムさまは手早く焚き火を起こし始めました。
夜は獣が襲ってこないとも限らないので、兵隊さんと交代で火の番をするのだそうです。
(ウィリアムさまって、本当に何でも自分でやっちゃうんだ……)
一見、無表情で無口なウィリアム殿下ですが、裏を返せば黙っていても何でも一人でこなす、とても優秀な方と言うこと。
レオナルドさまやアントニオさまともまた違う頼もしさを私は感じるのでした。
その夜遅く、私は慣れない馬車の中でなかなか寝付けずにいました。
少し夜風にでも当たろうかと、ミセスシェリーを起こさないように気をつけて馬車をそっと降りると、焚き火の番をしていたのは───ウィリアムさまでした。
「どうした、寝付けないのか」
「はい、まあ……あの、ウィリアムさま。お聞きしてもよろしいでしょうか」
無言で頷く殿下に、私は昼間の一件について尋ねました。
ミセスシェリーに対し失礼はなかっただろうか、と。
「あれは───大抵の料理は見ただけで味がわかるのだそうだ。そして、気にくわないと思ったらたとえ剣で脅されても絶対に口にしない。王都の有名料理店のグランシェフと、一悶着を起こしたこともあるほどだ」
「ええと、ということは」
「よほどマリアのことを気に入ったのだろう。あれが他人の、しかも若い娘の料理を褒めるなど初めてなので驚いた」
それにしては無表情でしたよね、ウィリアムさま。
「ほっほっ、まずは第一関門はクリアと言ったところですかな」
「マローバスさん。お休みにならないんですか」
いつの間にか、焚き火の向こうに白髭の紳士が佇んでおられました。
「そろそろ火の番を交代する頃合いなので。どうぞ殿下、お休みください」
「その、第一関門とは何のことだマローバス」
無表情のまま首を微かに傾げる殿下に、ダンディな紳士は事もなげにこう仰いました。
「それはもちろん、マリアさまがウィリアムさまにふさわしいお相手かどうかの見極めでしょう」
「ふむ……確かに女勇者など史上初の出来事だからな」
とお答えになる殿下に、マローバスさんはやれやれと肩をすくめます。
「殿下がそういう方面には疎いということを忘れておりました……マリアさまも、これからさぞご苦労なさるでしょうな」
「え、ええと、それはいったい何のことで……」
「おやおや、マリアさまも朴念仁の類でございましたか。さあ、明日の出発も早いですぞ、お二人ともどうぞお休みください」
そうして追い立てられるように殿下はテントに、私は馬車に戻りましたが、マローバスさんが何を仰りたかったのかは、結局よくわかりませんでした。




