9 素敵な贈り物
あの日───。
頭からバケツの水をぶっかけられた一張羅は丁寧に洗ったのですが、やはりどこか臭いが残ってしまうようです。
仕方がないのできちんと畳んで、以前に作ったポプリと一緒にカバンにしまい込むことにしました。
そのうちに、服にポプリの香りが移って臭いがやわらぐかもしれません。
「おやおや、最近のキミは以前にも増して地味さに磨きがかかったんじゃないかい? 隣にいると僕の美貌がキミの地味さで相殺されてしまいそうだ」
相変わらずラファエロさまの口調は厭味ったらしいのですが、不思議に私は彼の皮肉な口調にはそれほど腹は立たないことに気づいておりました。
まあ実際に私が地味なのは自覚しておりますし、ラファエロさまの美しさは私とて認めざるを得ないからです。
本当に意地の悪い人間と言うのは、あのニールセンとその仲間たちのような人たちのことを言うのです。
あれ以来、バケツの水をぶっかけられることこそありませんでしたが、ひそひそと陰口を叩かれていることは何となく感じていました。
「マリア、キミさえよかったらなんだけど……今度の休日に買い物に出かけないか」
そう誘ってくださったのはレオナルドさまでした。
「最初の日に何着か服は買ったものの、キミ、あまり日用品を村から持ってきてないだろう? この際、一通りそろえておいた方がいいと思うんだ」
「はあ、けれど私あまり持ち合わせが」
「大丈夫、ボクが書類申請しておいたから、キミが日常で使う費用は今日にも降りるはずだよ。先日のお店の支払いもあるしね」
レオナルドさまは本当に如才のないお方で、私は感心してしまいます。
そう言えば私はもうずっとレオナルドさまの私邸に御厄介になっているのですが、食事やらなにやらもすべて、レオナルド殿下もちと言うことになるのでしょうか。
(一国の王子さまが、お金に困ることはないと思うけれど、申し訳ないです)
学業の傍ら、私も何か働いた方がいいのではないでしょうか。
お針子の仕事くらいなら、王都でも需要があるかもしれません。
けれど、勇者としても半人前の私が働きながら勉強して、そのうえ勇者修行だなんて、本当に可能なのでしょうか。
・・・・・・・・・・・・。
さて、休日となり、私はレオナルドさまの馬車でお出かけすることになりましたが、なぜかラファエロさまも同行すると言い出されました。
「レオンはともかく、キミの美的センスじゃ碌な買い物にならないだろうからねえ。仕方がないから僕の審美眼で最高の日用品をそろえてあげるよ」
「はあ……では本日はよろしくお願いいたします」
アントニオさまとウィリアムさまは私の買い物には興味がないそうです。
まあ女の買い物と言うのはこまごまとしたものが多いので、無理もありません。
レオナルドさまもそこは弁えておられるのか、下着類のお店に立ち寄る時は馬車でお待ちになっておられるのですが、なんとラファエロさまは私の下着選びにまで口を出してくるのです。
「あ~っ、ダメダメ、そ~んなだっさいショーツなんか穿いてちゃ、いつまでたってもセンスが磨かれないってば」
「で、でもおへそまで隠れて暖かそうなのですが」
「まあ、キミは下着を見せる相手もいなさそうではあるけどね。うむ、こっちのキャミソールは最新モードだね」
「ひえ、それはまた派手な……」
ううう、ドレスならまだしも、女に下着のことでダメ出しをなさる殿方には、初めてお目にかかりまし。
まさかラファエロさまは下着のデザイナーまでやっておられるのでしょうか。
私の選択基準はあくまで実用本位。
値段が安くて、丈夫で、なおかつ保温性の高いものが好みなのですが、ラファエロさまのお選びになる下着はやけにひらひらしてレース編みだったり、あくまでも見た目重視のようです。
「うん、このショーツはデザインも布地もいい品質だ」
あのう……それ一枚で私の一張羅よりも高いんですが。
つまり私はパンツ一枚よりも安い服を後生大事に着ていたと。とほほほ。
「お疲れさま、いい買い物はできたかい」
「ええ、まあ……お待たせしてしまい申し訳ありません、レオナルドさま」
そんなこんなで下着以外にも、靴下やネグリジェに靴を数足、さらには化粧水だの頬紅だの香水だの洗顔石鹸だのお白粉などなどなど、こまごまとした日用品をどっさり買いこんで、というか買いこまされてしまいました。
それから先日のブティックにも立ち寄ってドレスの代金をお支払いし、無事に買い物は終了いたしました。
(父さんが見たら、ひっくり返って驚くだろうなぁ~)
「必要なものはだいたい揃ったかい、マリア」
「だと、思うのですが……」
元より田舎育ちの私はそれほど多くの私物を必要としない生活を送ってきました。
着飾ったところで見せる相手もなく、日々の労働に追われる毎日では、個人的な持ち物など少ないに越したことはないのです。
私にしても大切にしている私物と言えば、あの一張羅と母の形見の手鏡くらいのものです。
(あ───あの店ってもしかして)
そのとき、ある一軒の店が目に留まりました。
(ああ、でもこれ以上わたしのためにお金を使っていただくわけには……でも)
「ん? 何か気になる店でもあったかい? おい、馬車を止めてくれ」
「ふん、手芸の店か……まあ、さすがの僕も個人の趣味にまでは口を出さないよ。代金のことは気にしないでいいから、好きなものを選んで来るといい」
「は、はいっ」
私は心の中で小躍りしながら、手芸店に入りました。
そうして刺繍に必要な用具や布、色とりどりの糸をどっさ……たっぷ……いえ、まあ初心者に見合ったほどほどの量を買わせていただいたのです。
「庶民ってのは、つくづく節約家なんだねえ~」
今までは贅沢品だと思って我慢していたのですが、実は私は前々からずっと刺繍を趣味にしたいと思っていたのです。
それがまさか、自分が勇者になることで叶うことになるとは、夢にも思いませんでした。
「欲しいものが見つかったようだね、マリア」
「はいっ、ありがとうございます!」
「おやおや、初めて女の子らしい顔をするじゃあないか。ああそうだ───レオン、最後にもう一軒、寄って欲しい場所があるんだが」
そう言ってにやりと微笑むラファエロさまに、私はなぜかいやな予感を覚えます。
「これはこれはレオナルドさまにラファエロさま。ラファエロ殿下、ご注文の品、出来ましてございます」
ラファエロさまが向かうよう指示したのは、仕立屋さんでした。
既製品を売る服屋さんではなく、仕立屋。すなわちフルオーダーメイドのできるお店です。
私は何の疑いもなく「ああ、ラファエロさまの服を注文されていたんだな」と思いました。だって、フルオーダーメイドの服なんて、庶民には夢のまた夢、贅沢中の贅沢ですから。
「この間の試着でマリアくんのスリーサイズは大体把握できたから、サイズは問題ないと思うけどね、さ、試着してくるといい」
「えっ、わ、私ですか!?」
試着室に突っ込まれた私は、手渡された服を見て「あっ」と声をあげました。
襟元のデザインと言い、カラーリングと言い、これはまさしく勇者アカデミーの制服……ただし下はズボンではなくスカート。
つまりこれは勇者アカデミーの女子制服。
試着室のカーテンを開けると、レオナルドさまも聞かされていなかったのか目を丸くされ、ラファエロさまはうむうむと満足げに頷かれました。
「ん~、いいじゃないか、さすが僕のデザインだ。ほら、ウェストのラインが実に女性的で、これなら地味なマリアくんでもなかなかキュートに見える」
「あの、それはいいのですが、ちょっとスカート丈が短すぎるのでは」
「いやいや、それくらいがベストなんだよ。ほら、くるっと回るとスカートがまるで花のように広がって、ここのプリーツが絶妙だと思うんだ」
「ちょ、め、めくらないでください!」
「アカデミーの女子制服とは驚いた……ラファエロ、いつこんなものをオーダーしたんだ?」
レオナルドさまの問いに、ナルシス王子さまはさも当然というように答えます。
「そりゃあもちろん、マリアくんが五人目と分かってすぐデザイン起こしから始めたさ。マリアくんだって我がアカデミーの生徒なんだから、制服がないとおかしいだろ?」
「ラ……ラファエロさま……」
ああ、普段はお口の悪いラファエロさまですが、私の知らぬところで私一人のためにそんなことをして下さっていたなんて。
もしかして、この方の優しさと言うのは少しわかりにくい、けれどとても温かいものなのかもしれないと私は思いました。
「それにさぁ~、これ以上あのだっさい普段着で学内を歩き回られたら、僕の審美眼に歪みが生じそうでねえ」
まだ言いますか。前言撤回しますよ。
でもたとえそれが真実だったにせよ、ラファエロさまが私のためにデザインし、オーダーしてくださった制服です。嬉しくないわけがありません。
「レオナルドさま、あの、どうでしょう」
「ああ、素敵だよマリア。本当によく似合ってる。明日からはそれを着て登校だね」
そうです、男子の制服とデザインのよく似たこの女子制服なら、私も校内でそれほど浮かなくてすむかも知れません。
(もしかして、そこまで考えてデザインして下さったのかしら……)
こうして私のお買いものの一日は過ぎていったのですが、最後の最後にもう一つサプライズがありました。
買った荷物を使用人の皆さんが運んでいる時、ラファエロさまがレオナルドさまに気づかれないよう、そっと私の耳にささやいたのです。
「次はバケツの水をぶっかけられないようにしておくれよ。もっとも僕の目の届く限り、二度とそんな真似はさせないけどね」
えっ……それってまさか、ラファエロさまはあの日のことをご存じだった?
「レオンには言っちゃ駄目だよ。あいつに知れたら、確実に血の雨が降る」
最後に恐ろしいことを口にして、ラファエロさまは飄々と帰って行かれたのです。
お口の悪い王子様ですが、ラファエロさまはもしかしてそれほど悪い人じゃない、いえむしろよく気のつく親切なお方なのではないでしょうか。
私はそんな気がしたのでした。
はいっ、みなさまお疲れさまでした。
ここでひとまず一段落、「村長の娘 立志編(ウソです)」は終了となります。
前話で切るとマリアさんがかわいそうなままなので、2話連続で投稿することにしました。
次回からは「村長の娘 青雲編(ウソだってば)」が始まります。
乞う、ご期待!




