第Ⅵ部 少女は囚われて
スレイは珍しく興奮していました。目の前には椅子に縛りつけられた少女。肘掛けに手首を縛られ、先ほど飲ませられた薬の影響で呼吸は荒くぐったりしています。
「お前たちの根城はどこだ?」
先ほどから繰り返し尋ねている質問ですが、少女は答えません。スレイ自身実はもうどうでもよくなってきていました。傍目にはいつも通りの冷静を保っている表情の内側では、長年研究していた能力者が目の前にいるという事実に歓喜しているところでしたから。
「………はっ、ぁ…」
サーヤは息をするのも苦しそうで、気絶したほうが楽なほどの状態でしたが、気絶しそうでできないギリギリのところにありました。
「クルー家の令嬢ともあろう方が堕ちたものだ。野蛮な集団、しかも幹部だとは。しかしそんなのはどうでもよい。ようやく長年の研究対象をこの目で見ることができたのだから。あの男も能力者だろう。あれもぜひ欲しい」
サーヤは持っていかれそうでそうでない微妙なところにある意識に苛立ちながらも、スレイの言葉を聞いていました。
「研究………対象ですって……?それに……あれ……ってなんの…ことかしら……」
蚊の鳴くような声ながらもサーヤの声はスレイに届いたらしく、彼は嘲りの表情を浮かべました。
「おや、言葉がわからないのかね?文脈からわかるだろう。水を操る男のことだよ」
うつむいていたサーヤはきっ、と顔を上げます。顔を上げる姿勢を保つのすら苦しいのか、顔をしかめましたがその目は強い光を放っていました。
「わたしはもちろん、シィジィも………道具なんかじゃないわ……!人を……人として見られないあなた、は……愛することを知らない可哀想な人…ね………!」
憐れみの視線を向けられたスレイは表情を変えこそしませんでしたが、サーヤの真ん前まで来ると頬を思い切り張りました。サーヤの頬は赤くなっています。
「憐れまれるべきはお前だ。偉そうにわかった口をきくな」
スレイは舌打ちをして不愉快そうな表情をしましたが、落ち着きを取り戻したようです。それにしても、能力を発動させて逃げればよいものをなぜサーヤはそうしないのでしょうか。
「十数年前、お前の祖父が行っていた研究を勝手に引き継がせてもらった。ところがある程度のところより先に進まない。研究成果はといえば、能力者の発動を抑える薬を開発したことくらいだが……そこまで体力を消耗させるようでは改善の余地があるな」
どうやら先程サーヤが飲ませられた薬は、能力者に対してのみ効果を表すものらしいですね。
「な、ぜ……」
スレイの言葉を聞いたサーヤは、みるみる顔を白くさせていきました。彼女の祖父が行っていた研究ーー彼女はこの話をされることにひどく怯えていました。
「なぜ?なぜお前の祖父、クルー家先々代当主の研究を私が知っているのかという意味ならば、私がこの地位を得るために血の滲むような努力をしたから、というのが答えだ。この研究は実に面白い。研究は進んでいないが、先々代はかなりのデータを遺してくれた。このデータを基に、私が政治を行っていけばこの国は大いに発展するだろう」
いけない。サーヤは混乱しながらも、この男がもつ危うさを憂いました。いけない。この男は危険だ。あの研究は忌むべきもの。けれど、それをいくら伝えようとこの男は聞く耳持たないことも、わかっていました。
「さらに先々代は素晴らしいものを遺してくれた。お前にはなんだかわかるだろう?サーヤ・クルー」
そう言ってスレイがサーヤの頬に左手で触れた途端、彼女はびくりと肩を震わせました。静電気のような刺激が体中を駆け巡りましたが、すぐに収まりました。
「そん、な……あなた…も………?」
サーヤの脳裏にたくさんの言葉が浮かんできて止まりません。言葉は強烈で、ひどく歪な負の力を持っていました。
ーーお前は生まれてくるべきではなかった。
その言葉が浮かんだのを最後にサーヤは気を失ってがくんとうなだれてしまいました。
スレイは彼女が気を失ったと見ると、人を呼び、隣室に寝かせて決して部屋から出さぬよう命じました。
ゆらはレンシスと並んで宿の玄関でひたすら待っていました。さっきまでスナミとキーブがいましたが、ふたりとも買い出しに出かけてしまいました。女将のナノハはキッチンで晩ご飯を作っています。シチューでしょうか、いい匂いが漂ってきますが、ゆらは険しい表情です。
「まだそこにいるの?心配しなくたって帰ってくるわよ」
二階から降りてきたクク=コルクが見とがめましたが、レンシスが代わりに頷いただけでゆらは返事をしませんでした。かれこれ5時間、彼らは微動だにしていません。
クク=コルクがナノハからティーポットに紅茶を入れてもらって再び二階に上がると、ようやくゆらが口を開きました。
「みんな大丈夫だよね。無事に帰ってくるよね」
レンシスにはその声に不安がこもっているのがよくわかりました。でも、彼は根拠のない慰めの言葉しか持っていなかったし、それで納得してもらえるほど言葉が巧みでもなかったので、黙ってゆらの手を握りしめました。
それからわずか数分後、ようやく玄関の戸が開かれ、ヴィ・ヴィ=ルーが入ってきました。ゆらはぱっと顔を輝かせ、椅子を蹴っ飛ばす勢いで立ち上がり、手を繋いでいたレンシスはつられてゆっくり立ち上がりました。
「おかえり!ルー!みんなは?」
ヴィ・ヴィ=ルーは玄関に入っていきなりふたりがいるとは思わなかったので多少なりとも驚いたようでしたが、すぐに微笑むとただいま、と返してゆらの頭を撫でました。
「悪いけど、留守番組全員呼んできてくれるかい。テント集合だよ」
レンシスが頷いて二階へ残りのメンバーを呼びに行きます。ゆらはヴィ・ヴィ=ルーが微笑んではいるけれど、本当の気持ちは違うと敏感に感じ取っていました。
「ねえ、ルー……」
「大丈夫だよ」
みなまで言わせず遮られたことが、一層ゆらの中の不安を増長させました。まもなく、レンシスがメンバーを呼んできたのでみんなでテントに向かうと、ワタクシ含め全員がステージの上で丸く円になって座っています。
「……サーヤとシィジィがいないね」
クク=コルクが眉を顰めます。場は重く、みな険しい顔をしていました。ヴィ・ヴィ=ルーがとりあえず座るように促し、全員が座ると、ワタクシは口を開きました。
「そう。見てわかると思うけど、ふたりは城に残った。スレイがねー、やっぱり捕らえるつもりだったみたいで、僕たちを逃がすためにね」
軽く状況説明をすると、留守番組だけでなく、一緒にいったメンバーからも我慢してたのか一気に言葉が溢れてきました。
「だからあいつらには早すぎるって言ったんだ!」
出ました、マリー・ベルの心配症親父担当リーグ。
「だまんなよ、一度了承したんだったらつべこべ言うんじゃあないよ。それでも男か!」
んー、アービーはきっぱり男らしいですねー。誤解のないように言っておきますと、アービーはれっきとした女の子です。ちょっとばかり気が強いですけれど。
「だーいじょーぶだって!あの子たちのことだもぉん」
リッコは楽観的。まあ、ワタクシもほぼ同意見ではあるのですがねぇ。なぁんかねぇ。
「とりあえず様子見なきゃでしょ。脱出してくるとは思うけど、城内の様子によってかかる時間も違うでしょ」
うんうん、クク=コルクは冷静ですね。
「資料によりますと城内の人事にもスレイ大臣が介入しているらしく特に地下牢の警備が厳しくなっているそうです。抜け出すのには時間がかかることでしょう」
マリー・ベルの頭脳ともいえるハイワードがまとめた資料をめくりながら、ホクシミィが相変わらず早口でまくし立てました。
そのほかのメンバーは各々考え込んだり、彼らの話を聞いていたりしていました。
しばらく様子を見て、明日の朝までに戻らないようであればその時考えようと、告げようとした時でした。
「シィジィだ」
レンシスが呟いた一言はちょうど議論の合間の、静かなタイミングで発せられたのでみんな聞き取ることができました。全員が一斉にテントの入口を見ましたが、彼はいません。けれど、全員レンシスの能力は知っていましたので、そのまま視線を外さずにじっと見ていると、果たしてシィジィが現れました。
「あれ?なんでみんなこっちにいんの?」
宿の方にいると思ったらしく、素っ頓狂な声を上げたシィジィにメンバーの反応は様々でした。脱力したり、普段通りおかえりと言ったり。ゆらは心底ほっとした顔を見せました。先ほどから固まっていた表情がようやくほぐれましたね。
「や、君たち置いてきちゃったしね。宿じゃ話せないでしょ〜」
「ああ、そっか。で、サーヤは?」
彼の一言に場はまた凍りつきました。
「………一緒じゃあないのかい」
ヴィ・ヴィ=ルーが代表して尋ねると、シィジィも渋い顔をしました。
「帰ってないのか。あいつのことだから先に帰ってるかと思ったんだけどな。おれは城でちょっと野暮用済ましてて出るのが遅くなったし」
……さて、これは少しまずい。シィジィが遅れて帰ってくるならまだわかりますが(彼は寄り道が大好きなので)、シィジィが帰ってこられる環境にありながら彼女が帰ってこないということは、囚われているということでしょう。どうしたものか、と思案にくれているとレンシスがちらちらと入り口を見やるのでいつもどおりの口調で言葉を促してやります。
「どうしたの〜、レンシス」
「……シィジィ、女の人、寒そうだよ」
女の人?シィジィはああ、と答えるとテントの入り口の幕を上げて、客人を招き入れました。彼女は遠慮がちに、だがどこか堂々とした振る舞いで入ってくると軽く頭を下げました。薄いベールを頭に被っているので顔は見えづらいのですが、どこかで見たことあるような気もします。
「えーと、話せば長いので省略すると、この人はエル。つまりこの国の王女サマ、です」
……………おやまぁ、それはまた珍しい客人ですねぇ。
当然といえば当然ですが、テント内は一瞬の沈黙のあとに「えーっ!?」と見事にハモりました。それはもう見事に。
さてさて、この騒がしくなったメンバーたちと、立ち尽くしている王女殿下と、それから厄介事を増やしてくれたシィジィ。どれから解決しましょうか?