第Ⅴ部 王女の孤独
「結構減らしたけど、ちょいやばいかね」
シィジィの目線の先にはスレイの側近たち。後からわいて出てきた兵たちは全員急所を外して戦闘不能状態にはしましたが、側近たちは精鋭らしく、さらに7人もいましたので、苦戦を強いられていました。
「そうね。でも、もうそろそろいいんじゃない?」
「そうだな」
ふたりはそう言い交わすと、武器を下ろしました。シィジィはナイフをただの水の形に戻し、サーヤは銃を投げ捨てます。
「おや、諦めたのか」
意外そうにスレイが呟くその言葉にふたりはなにも返しません。スレイの命を聞くまでもなく、側近の数人がふたりを拘束します。抗う様子もなくすんなり捕まるふたりを怪訝に思いながらもスレイは、「まぁいい。地下牢に閉じ込めておけ。場所は離せよ」と命じました。側近は頷き、ふたりは地下牢の離れた場所へ閉じ込められました。
一方そのころ、王女は自室に戻り興奮冷めやらぬ様子で側近の召使い相手におしゃべりをしていました。
「はぁ、もうほんっとすてきだったわね、リン!わたくしまた見たいわ。あの物語もすてき!原作が読みたいわ」
リンと呼ばれた召使いは紅茶を淹れると、王女の目の前の机に置き、自分も向かいに座りながらお茶をすすりました。
「では原作を取り寄せましょうか。わたしも見たいですし」
「わたくしが先よ?終わったら貸してあげるわ」
「早くなさってくださいね。エルさまは読むのが遅いんですから」
友人のように仲よくはしゃぐふたりの会話に割り込む者が部屋に入ってきました。
「うーん?」頭をぽりぽりとかきながら入ってきた王女の側近の護衛に、リンは舌打ちしてからさも嫌そうに声をかけます。
「なによ、ユーロ。エルさまとわたしの話の邪魔しにきたなら帰ってよ?」
リンに睨みつけられたユーロと呼ばれた男性は、「ひっでえな、お前!おれだって交じったっていいだろう!?」と抗議するもリンは取り合わない様子です。
「それで?どうしたの、ユーロ」
王女はそんなふたりの会話はいつものこと、と聞き流してユーロに尋ねます。
「いやね、そこで小耳に挟んだんですけど。なんでも先ほどのサーカス団の団員がふたりほど捕えられたそうで」
それを聞いた王女とリンは目を合わせてぱちくりさせました。
「それ、本当なの?なんで?」
リンが王女の気持ちを代弁するかのように早口に捲し立てて尋ねます。
「う?うーん、小耳に挟んだ程度だから詳しくは知らないけどな。地下牢の食事係のメイドが仲間と話していたのを聞いたから本当だろう。なんでかは……知らない」
役立たず、とリンがぼそっと呟くと、ユーロは「聞こえてる聞こえてる」と苦笑い。
「うーん、わたくしが退室した後になにかあったのかしら。捕えられたのなら多分、スレイの指示よね。…………ねぇ、リン。頼みがあるのだけれど」
ユーロがぎくりと肩をこわばらせるのと対照的にリンはわかっているくせに「なんでしょう?エルさま」と不敵な笑みを浮かべました。
「スパイをしてきてほしいの」
がくりとうなだれるユーロの傍らでリンは「承知しました」と頷き、部屋を出て行きました。部屋ではまだ王女がうーんと悩ましげにしていました。
そろそろ頃合いかな。地下牢に閉じ込められてから数時間。薄暗いところにただ座っているだけなのも飽きてきた頃にシィジィは立ち上がりました。周りの音を探って見張りが何人いるのか探ろうとした時に、新たな足音が響いてきました。すばやくまた座って暇そうなふりをします。
「お食事です」
食事の載せられた盆を持ったリンがシィジィの前で立ち止まって、食事穴から盆を差し出します。シィジィは受け取って床に座ったまま食べ始めますが、リンがいつまで経っても行かないのを怪訝に思って声をかけました。
「なに?どうかしたのかい」
リンはふぅ、とひとつ息を吐くと、その場に座り込んでしまいました。居座るつもりらしい彼女にシィジィは内心で困ったことになった、と考えています。
「ねえ、あなたなにをやらかしたの?」
好奇心で尋ねているのか、はたまたスパイなのか。いや、スパイの線はないだろう。スレイは確信を持った上で捕えていた。と、まぁそのようなことをすばやく考えた上で答える………なんという頭のいいことはシィジィにはできなかったので何も考えずに答えました。
「んー、マリー・ベルって知ってるかい」
リンの顔にわずかに驚きの色が浮かびました。
「噂には聞いたことあるわ。悪どいことをしない、むしろ人々のためになる活動をしている戦闘集団。義賊だって人々の間で親しまれているけれど、なかなか正体をつかめる者はいない。依頼を、と望む者だけが会えるって」
「そう、それ。面と向かって言われると照れるな。だけど、法には触れる。この国は国直属の軍隊以外は戦闘集団を作ってはいけないことになっているからさ。まぁ、それがおれたちだったってわけだよ」
ははぁ……、とリンは考えます。そしてすぐに自分が取るべき行動、すなわち王女が望むことがわかりました。
「よし。出してあげるわ。来て」
リンが立ち上がりながらそう言うと、当然のごとくシィジィはきょとんとしました。
「え?おいおい、出してあげるっつったって、バレたらあんたが危ないだろう」
ここでバレて騒ぎになるより自分で脱出したほうがシィジィには都合がよかったのです。
「黙ってついてらっしゃい。わたしの意向はエルさま……王女殿下の意向よ」
「あ、あんた王女の側近の人か。会場でも王女の隣にいた人」
リンは頷いて鍵を懐から取り出し、牢を開けました。
「ここは地下だから、地上が火事になった時とかに脱出するための隠し通路があるのよ。それなら見張りにバレずに出られるわ。ただし、そのまま逃げちゃダメよ。まずエルさまに会ってもらうわ。約束できる?」
断る理由もありませんでしたし、断ればなにされるかわかったもんじゃないのでシィジィは「いいぜ」とただ一言。リンはそれを聞くと牢の扉を開けました。
「わたしは怪しまれないように入り口から出て行くから。隠し通路は一本道よ。わたしが先に出口で待っているから、そこから案内するわ」
軽い打ち合わせとも言えぬ話をして、ふたりは別れました。
急げばリンが来る前に出口に辿り着いてひとりで脱出することもできましたが、約束どおりシィジィはゆっくり歩きリンの案内で王女の部屋に行きました。リンは王女の側近にされるくらいですから、それなりに立場もあり城の人の動きは把握しているので誰にも気付かれることなく辿り着くことができました。
「リン!その人は……」
ふたりが部屋に入ると、王女とユーロは当然ながら驚いて椅子から立ち上がりました。ユーロは純粋に驚いていましたが、王女はシィジィのもとへ駆けていって手を握り取りました。
「すてき!わたくし、先ほどの劇ですっかりあなたのファンなのよ!また会えて嬉しいわ!」
ユーロががくりと肩を落としましたが、リンはこうなることを見越していたようでにこにこしています。
「エルさま、お気持ちはわかりますけれど、もう少し声を落として」
リンは王女を少したしなめてから、まるでお客様を迎えているかのようにシィジィを椅子に座らせ、お茶を提供しました。
「どうぞ。毒なんかは入っていないから」
物騒なことを言いますが、シィジィはもうすっかりこの三人を信用していたのですぐにお茶に口をつけました。
「ありがとうございます、王女殿下」
「ダメよ、エルって呼んでちょうだい」
「は、いや、でも……」
ふたりがそんな押し問答を開始すると、ユーロがリンに小声で話しかけてきました。
「なんで連れてきたんだよ!?」
「黙りなさい、エルさまならこうするだろうと思ったのよ」
「時には主に意見申し立てをするのも臣下の役目だろ!?」
「だってわたしもこうしたほうがいいと思ったんだもの」
いつだって、ユーロは女性ふたりの意見に押し通されて敵わないのでした。
「あの、おう……じゃなかったエルさまのご迷惑にならないようにすぐ逃げるからさ。長く居座るつもりはないよ。出してくれて助かった」
王女はどうやら“エルさま”呼びで妥協したようでした。
「ああ、それで?どうして捕まっていたのかしら」
どうやらまだ解放してくれる様子じゃなさそうだ、と聞き流されてシィジィは思いました。
「それがですね、彼に聞きましたけれど、彼らはかのマリー・ベルなのですってよ」
リンの言葉に王女とユーロの反応は対照的でした。
「いっ!?」
「まぁ!」
ユーロは顔をしかめ、王女は顔を輝かせて。
「民のために行動する義賊たちね!あなたたちの存在はわたくしの耳にも入っていてよ!」
「やめましょうよ、エルさま……。関わっているのを大臣に知られたら面倒くさいことになりますって」
「そうよ!」
「わかってくれましたか!めずらしいこともあ……」
「スレイ大臣!あの人が大臣になってからロクなことがないわ!実力はあるのでしょうけれど、民の間では圧政に不満を持ち始めている者も多いと聞くわ。国直属の軍隊以外の戦闘集団以外は認めないなんて法律まで勝手に作って……。おかげで傭兵たちも活動がしにくくなって山賊やら海賊やらがのさばるようになっているわ!軍だけじゃ手が回りきらなかったところを今までそういう集団の人たちが抑えていてくれていたのに……」
王女の熱のこもった演説を聞いたシィジィは「へぇ……」とつぶやき、感心していました。
「あんたしっかりしてんなぁ」
思わずといった風情でつぶやいてしまってから、おっとと口を押さえましたが、時既に遅し。ですが、王女は気を悪くしたふうもなく、むしろ喜んでいました。
「ねえ、リン、ユーロ。わたくし、このかたとお話してみたいわ。ふたりきりにしてくれない?あと人払いを。大丈夫、このかたなら信用できるし」
王女の頼みに当然ながら護衛のユーロは渋い顔をしましたが、リンはこの王女の孤独を一番理解している人だったので了承し、ユーロを半ば引きずるようにして部屋から出ていきました。
「ちょ、いいんですか。王女が護衛もなしにどこの馬の骨とも知れぬ男とふたりきりって……」
シィジィは慌てたようにおろおろしていますが、王女はくすくすと笑って心底楽しそうです。
「いいのよ。だってあなたはどこかの馬の骨じゃなくてピーターパンですもの」
シィジィはこの王女の楽しげな様子を見、先ほどの熱弁を思い出し、緊張していた体を傍目にもわかるように解いてリラックスしてみせました。背もたれによりかかって王女ににっこり微笑みかけます。
「おれの名はシィジィだよ、エル。そう呼んでくれ」
王女は数年ぶりにとびっきりの笑顔を見せたのでした。
「シィジィ!わたしこんなに笑ったの久しぶりだわ!今日はすてきな日ね!」
興奮冷めやらぬ王女は、しばし間をあけると今度は急に真面目な顔になり、続いてとんでもないことを口にしたのです。
「ねえ、シィジィ。わたしお願いがあるの。………城からわたしを連れ出してくれない?」
そう頼む王女の先ほどのような笑顔はなりをひそめて、ただひたすら真摯にシィジィの目を見て言うのでした。
「………ころころと顔が変わってせわしないやつだなぁ」
そんな彼女を見たシィジィはまぁ落ち着け、とばかりに手をひらひらさせます。けれど王女は椅子から立ち上がって叫び、先ほどとは違った意味で興奮していました。
「シィジィ!お願いよ!」
「なんでそんなに出たいんだ?そんなに出たいならおれに頼まなくとも、大臣にでも頼んで出かければいいだろうに」
感情的になった王女はシィジィの落ち着いた声でひとまず冷静さを取り戻したらしく、すとん、と椅子に座り直してすっかり冷めてしまったお茶を一口すすりました。
「違うの。その大臣が出してくれないのよ。表向きは第一継承権のわたくしが暗殺されるのを防ぐためとか言っているけれど、むしろ城にいたほうが危険だわ。今、お父様……現国王は病に伏し、政治の指示は出してはいるものの、実質権力を握っているのはスレイよ。こんなこと認めたくないけれど、お父様はもう長くないわ。スレイは多分、いえ、絶対自分が王になろうとしている。だからわたくしが余計な知識を得て、自分が追放されるのを恐れているのよ。だからわたくしをこんなところに閉じ込めて深窓の姫君よろしくさせているのよ。まったく心外だわ!そんなことでわたくしが知識を得るのを邪魔させるものですか!」
また興奮してきましたね。シィジィは、今度はたしなめることはせず、王女の言いたいようにさせてやりました。
「幸い城にはお父様を慕って働いてくれている人が多いから、スレイは今のところお父様もわたくしも殺せずにいるけれど、隙あらば暗殺するでしょうね。人とのつながりって大事よ。その人も、自分自身も守る最大の武器と盾となりうるわ。この城には怪しい者は立ち入れないようにしているし、王を裏切る者はいないもの。スレイの部下は精鋭だけれど人数はわずかよ。まぁ、そんなわけで、つまりスレイはわたくしに目の届かないところに行かれたくないのよ。外に出ないおかげで肌は病的に白くなっちゃうし、あまり動かないから食欲もなくて細くなるし、夜は眠れないし。お父様が伏せられる前までは城下町に出かけるなんてしょっちゅうだったのに……」
確かに彼女の肌は病気かと見まがうほどに白く、体つきは折れそうなほどに細いですねぇ。きっと現王が病に伏せる前……3年前まではもっと健康的な体だったのでしょう。
うんうんと頷きながら彼女の話を聞いていたシィジィは、ここでもまたよく考えもせずに決断してしまいます。馬鹿だけれど憎めない決断。
「わかった、おれがピーターパンになってやるよ」
そして、いつだって彼の決断にワタクシたちは救われ、迷惑をかけられるのでした。
リンが心配症のユーロを宥めすかすのにも飽きてきた頃、新参のメイドが「殿下のダンスの先生が先程からお待ちかねですが、いかがなさいましょうか」と言ってきました。そこでリンは渋々、ユーロはやっとか、と再び王女の部屋を訪れました。
普段ならそのまま入室してしまうのですが、来客中なので気を遣い、三回ノックしてから声をかけました。ところが三拍置いても返事どころか、室内に人の気配がしません。一応「失礼します」と声をかけてから扉を開けます。
巷でよく出回っている小説の展開にありがちな、室内はもぬけの殻、開けっ放しの窓にカーテンが揺れている、といったようなことはありませんでした。無人ではありましたが、窓はきちんと閉められていました。鍵はかかっていませんでしたが。
テーブルの上にはすっかり冷めた紅茶の入ってるティーカップがそのままになっています。その脇にはソーサーをおもりにして手紙が残されていました。どうやら王女の筆跡のようですね。
ーーほんのちょっとだけ、夢の国に遊びに行ってきます。心配しないでね。
さて、これを見たふたりの反応はまったく対照的でした。
ユーロは案の定ひっ、と情けない声を出し、叫ぶのをようやく堪えています。顔面がさーっと青くなるのが見事にわかります。
一方でリンはさほど心配していないらしく、それどころか「まあ、すてき」と顔をぱっと輝かせました。
「なに言ってんだよ、王女が指名手配犯と失踪だぜ!?非常事態だ!」
さすがに王女付きの護衛になるくらいですから、大声で喚き散らかすことはありませんでしたが、気持ちとしてはそれに近いものがあったでしょう。
「大丈夫よ、ちょっとだけって言ってるじゃない。彼がついているのならむしろ城内より安全だわ。エルさまはあんたなんかよりよっぽど賢いもの、お考えがあってのことでしょう」
リンの反論が果たしてユーロの耳に届いたかは定かではありません。なにせ、彼はひとりでブツブツと心配事の種を数え上げていたのですから。
リンはソーサーの下から手紙を抜き出して、また眺めると窓の外を眺めて至極楽しそうに笑みを浮かべました。
「いいわねぇ。わたしも行きたかったわ、夢の国」