動き出す戦場
人間という生物は唯一の個性の一つとして嘘をつくことが可能である。
もちろん人間以外の生物も擬態、擬装、擬声などの偽りの行動をとる生物もいるが、それはあくまでその生物の本能に刻まれた行動であり、意図して偽っているわけではない。
しかし人間は…人間は意図して嘘をつく。
真実を捻じ曲げること、事象を偽ることだと分かっていてなお虚言を吐く。
大部分の人間は一生に一度もそんなことを考えないだろう。
なぜなら嘘をつくということが人間にとっては本能に刻まれた行動だからだ。
誰でも嘘をついたことはあるはずだ。程度の違いはあれど人間ならば声を出せるかぎり嘘をついたことがあるはずだ。
完全なる素直など、完璧な潔白など存在しないのだから。
大抵は冗談で笑って済ませられる嘘だろうが中には冗談では済まされない、命をかけがえのない嘘だってあるかもしれない。
つまり何が言いたいかというと、俺の目の前にいる生物が人間であり、言葉を発しているならその言葉は嘘かもしれないということだ。
信用なんて幻想を一瞬たりとも抱いてはならない。
何も信じず、誰も信頼せず、全てを疑っているからこそ俺はまだ…今のところは生き永らえている。
何度も繰り返すようだが、これはそこらの有象無象の人間にとっては異常なことなのだろう。
だが俺は異常でいい…。
なぜならそのおかげで門番の嘘を見破ることができたからだ。
騙されていたなら今後不利になっていたであろう状況を回避できたからだ。
俺の目の前にいた王審教導院の門番を名乗る口調が癇に障る男。
その男の嘘を看破した俺は躊躇なく、油断なく、その両腕を切断した。
まぁ看破したというより言葉に違和感を持ったというような感覚だ。
もし間違いならば別にいい、門番には気の毒だが俺には何の不利益もないのだから。
しかし、両腕を切断した瞬間に叫び、倒れ、血飛沫と血柱をあげ、のたうちまわる門番を見て、違和感は確信に変わった。
やはり俺の行動は正しかったのだ。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎わ…私の…うでが‼︎‼︎うでがぁぁぁぁ‼︎‼︎な、なんで⁉︎うぉぉああぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎」
門番の両腕はまだ空中をクルクルと弧を描いて飛んでいる。眼鏡も落ちて割れていた。
俺は絶叫中の哀れな門番など気にもとめず、我ながら綺麗に切断出来たものだとかさすがに叫ぶときまであの鬱陶しい口調は維持していないかなどと門番と両腕を見ながら呑気に考えていた。
俺が門番の嘘を見破ったと確信できたのは門番が『両腕を切断した瞬間に叫び、倒れ、血飛沫と血柱をあげ、のたうちまわった』からだ。
この理由が分からないような奴は平凡な世界でのらりくらり生きてきたのだろう。俺にとってこれは明確過ぎるほど明確な証拠だ。
よほど訓練している猛者でもなければ自分の一部たる両腕を失えば、激痛で錯乱して叫ぶだろう、バランスを失い倒れるだろう、血飛沫や血柱をあげるだろう、これは当然のことだ。少なくとも嘘で事象を偽ってるわけではない、
両腕を切断した『瞬間』ではなればだが…。
「いい加減その下手な芝居をやめたらどうだ?」
俺は冷徹な声でそう言い放つ。このままでは門番の派手な演技は収まりそうにもないと判断したからだ。
すると地面で芋虫のように転げ回っていた門番がピクッとその動きを止めた。
俺の背後に門番の腕がドサリと落ちる。
俺は死んだように動かなくなった門番にさらに言葉を重ねた。
「人という生き物はな、他の生き物よりも自然から離れたために『傷』に対しての耐性がないのだ。俺は何度もそんな光景を見てきたが、銃で腹を貫かれた奴も上半身と下半身が泣き別れた奴も攻撃を受けた瞬間に叫ぶなんて芸当が出来た奴はいない。動物ならば傷を受けた直後に回避なり防御なり逃走なりするものだが、人間はまず自分がおかれている状況を確認することを優先する」
口調が教師っぽくなっているが、これは意識してのことだ。
門番の逃げ道を塞ぎ、精神的プレッシャーを与えるには理論を順序立てて説明する必要があるからだ。
「つまり、お前が傷負った瞬間に叫ぶのは不自然なのだ。あれだけ丁寧に切断したなら痛覚も血を吹くまで感じまい、ならば腕を切り落とされてからの動作全てが偽りであると特定するのは容易い…」
もちろん、叫んでいる人間を斬ったならば動作は継続され「斬った直後に叫ぶ」状況は作れるだろうが今回はそれには該当しない。
「何者だ?いやどこの者だ?と聞いた方が答えやすいか?」
相手の逃げ道を完全に塞いだ上で俺は問うた。
門番はさっきから全く動いていない。
諦めたわけでも狸寝入りをするわけでもないだろう。
おそらくこの門番は俺に対して抵抗の術を模索しているのだろう。それは感心するところだ。
だが…わざわざ時間を与えるほど俺は甘くはない。
俺は一つ目の異能の力を門番の頭上に行使した、しかしその寸前で門番に変化があった。
「ひっひっひっ」
門番は笑った。狂ったのでもなくあくまで普通に笑っていた。
「…何がおかしい?」
「いやいやおかしくなどありませんね〜今まで何も疑わずに私に情報を教えていた方々が愚かだと思っただけですね〜」
さんざん黙った末の答えがそれか、くだらんな…。と俺は門番より門番を待っていた俺自身に対して思った。直接な話題を避ける交渉術における時間稼ぎだ。そのせいかムカつく口調も戻ったようだ。
「所詮は王審教導院もたいしたことはないということだ」
俺として門番の戯れ言に付き合う気など毛頭ないが、少し気が変わった。
昨日の五回の襲撃とは違う、そしてこれまでの相手とは違う空気を感じたのだ。違和感というやつだ。
何かこの男の殺害において俺が損をするような直感がある。
門番が両腕を失って小さくなった体で器用に立ち上がろうとする。本来なら俺はこの行動を許さず追撃するはずだ。しかし、なにか頭に引っかかるものがある。
この男は俺より弱い、なのにその態度には余裕を感じる、それにこの男…
「入ってくる人は貴方のように優秀ではありませんがね〜院内ではそうでもありませんよ〜」
「お前のようにか?」
「はい?」
俺は気づいた。
門番は俺を賞賛している、はたから見れば命乞いと思うのだろうがそのメガネの奥には余裕がはっきりと見てとれた。
今もとぼけたふりだ。どうやら演技は継続中らしい。
しかし俺の褒め言葉は本心から出たものだったら俺は今この門番に本気で感心し、またやっと自分のくだらない失態を悟った。
「全く…自分の愚かさに腹が立つな」
「う〜ん?どうしましたか〜?」
「まさかここまでの全てがお前のシナリオ通りだったとは、ここまで策にはまったのは久方ぶりだ」
「おやおや本当どうしたんですね〜?」
口調は相変わらずだが、余裕に満ちた眼鏡の奥の瞳に明らかに動揺の色が混じったのを俺は見逃さなかった。
「どんな形であれ、『俺がお前を最終的に殺すこと』それがお前、いやお前達のシナリオだったんだろ?」
それが目的なら俺は愚行を犯していないことになるが、策にはまりかけた時点で俺にとっては許し難い失態だ。
そんな怒りの中でもはっきりの狼狽した門番の顔は痛快だった。
「そう考えるならそのムカつく口調も、さっきからの言動、行動全て説明がつく…」
さっきのように逃げ道を塞ぐやり方はもうしない、なぜならこの相手に対してそれは意味がないからだ。
しかし用意周到に仕組まれたこの接待を一言でまとめるのは不可能だった。だから俺は続けた。
「まずお前は俺に『名前、所属教室、保有異能、保有性質』を問うたな?俺はそれを疑問に思った、名前と所属教室?は分からんでもないが、なぜ自分の異能と性質をわざわざ明かさなかればならないのか、異能と性質の秘匿はこういう世界で生きている者にとっては生命線と言っても過言ではない。そこに俺は違和感を感じた…。つまりお前を教導院の入口で新入院生を待ち構え、入院手続きに見せかけて相手の異能と性質を聞きだす諜報員だと思ったわけだが…」
すると門番は棒のようになった体と頭をこくりの傾げて言った。
「そうだと思ったから私の両腕を切り落として殺害しようとしているのではありませんかね〜?」
「最初に殺すのではなく両腕を切り落としたのは俺にとっては正解だった。なぜならお前の目的はただの諜報員ではなかったからだ」
門番の顔が少し青くなった。注意していなければ分からないほど些細な変化だが、それは門番にとって余裕がないからだと俺は判断した。
「お前の真の目的は入学者の選別だな?」
門番の表情に変化はない。いや、変化を起こせないほどに動揺して固まっているという表現が正しい。
この門番の仕事はつまりはこういうことだ。
まず、俺との邂逅のようにあたかも自分が教導院の関係者のように装い、入学者の保有異能と保有性質などの情報を聞き出す。ここで第一の選別が行われる。つまりは門番の嘘を見破れる思考の持ち主かどうかだ。さらに保有異能や保有性質は強いが、頭が弱いといったことも選別できる。
そして、第二の選別は門番の嘘を見破った者だ。この場合相手の保有異能と保有性質は分からないが、門番が文字通り体験した経験によってある程度の能力は分かる。しかもこの異常な世界にどれくらい浸かっているかも判別できる、というわけだ。
俺ですら実によくできた方法だと感心した。入学前からある程度の危険度が分かるなら、入学した瞬間に襲う、複数の人間に襲わせる、相手にとって相性の悪い者をぶつけるなど無数に対策が狙えるのだから。
「もっともこの方法はどうやらお前が死なずに情報を持ち帰ることが前提になっているようだから、どうせお前もただの人間ではないんだろうがな、両腕を落とした直後に絶叫したのは痛覚がないのを誤魔化すためか?」
痛覚がないというは便利な機能にも思えるが思わぬ落とし穴も存在する。
痛覚がないということは言い換えれば痛みを認識できないということだ、痛みを認識できないなら傷を負った時に無意識で行われる反射や痛みを紛らわせる神経物質の分泌も行えないということであり、もし痛覚がないことを隠したいのなら痛みを感じている演技をしなければならない。
この門番の演技なら初撃で殺されなかったのならとにかく絶叫する、という演技をしているのだろう。
目の前で喚かれれば大概の人間は不快に思って門番を殺害するだろうし、見ている人間も痛覚がないとは思わないだろう。
ただ、唯一の誤算は俺の練度だ。人殺しを綿密な計算の元に生業としてきた俺にとっては門番の演技もただの目くらまし程度にしかならない。
固まっていた門番はついに観念したのかフゥーと息を吐いた。
両腕が健在であればお手上げとでも言いたげな表情だ、…まぁそれを素直に認めるようなぬるい性格をしている俺でもないが。
「凄まじいほどの洞察力ですねぇ〜本当に何もかもその通りなんですねぇ〜」
開き直ったのか門番はペラペラと白状した。無論、微塵も信用してはいない。
「私の役目は確かに入学する生徒の選別で正解ですねぇ〜この段階まで見破られたのは今回が初めてではありますがねぇ〜」
驚いたものだ、まさかこんな茶番に引っかかる奴が入学生の大半だとは…この分だと最近補充された生徒はあまり警戒しなくても良さそうだな。
「俺一人だけということは俺に対する貴様らの警戒もそれなりに大きいというわけか?」
「もちろんですねぇ〜それはもうズバ抜けて危険ですからねぇ〜そう報告されていただきますねぇ〜」
「ふっ、殺しても無駄だという事実のがこうも気分を害するとはな」
今までも門番は幾度となく殺されてきたことだろう。
ジジイと同じように『不死身』ではないだろうから確実に消滅させる方法があることにはあるのだろうが今はそれを模索している時間はない。
「殺してくれても構いませんがねぇ〜」
「そうしたいのは山々だが俺の不利益しかならないので遠慮しておく」
本当は門番の口を裂いて真っ二つにして杭か何かでそこらの街灯にでもぶら下げておきたいが、どうせ生き返るのだ、その度に殺すのも面倒だろう。…身内にそういう奴がいるので分かりやすいものだ。
そうして俺は門番の横を歩いて、王審教導院の入り口である鳥居へと歩を進めた。
(なるほど、大きさが1mもないのでどう入るのか疑問だったが…)
鳥居の前に立った瞬間、体が吸い寄せられる錯覚を俺は感知した。
おそらく空間をまたぐ際のワームホールの役割を果たしているのだろう。
ワームホールには質量や体積は影響しないからどんなに大きな物でもワームホールを通るには問題はない。
無論、この入り口も門番の罠であるという可能性を無視しているわけではなくしっかりと一つ目の性質を展開してから入り口へ俺は歩を進めた。
(俺は王審教導院を甘く見ていたようだな…。ここは俺と同種の異常者が蔓延っているようだ。
だが天帝センジャドウ、あいつに行き着くまで俺は決して負けはしない)
そして俺は決意を新たにめでたく王審教導院へ入学したのだった。
•
日光が届かない研究所の奥深くで人知れず、ある二人の人物の激突は始まっていた。
片やゆったりと椅子に腰掛けた老人、しかし正体は異能『地獄眼』と性質『不死身』を操り、あまりの強さと不死性に実在すら疑われた『老神』。
片や金と赤の入り混じった髪と黒いサングラス、紺色のローブを見にまとった正体不明の男、しかしその実力は単体で研究所の人間を皆殺しにし『無存在』という性質を持つ女護衛官セレラを負傷させた異能『対象追尾』を宿す襲撃者。
この両者の交錯は静かに始まり、一瞬で決着した。
「かっ…は……」
襲撃者である男は両手の武器であるオモチャのようなナイフを振り終えることもできず、口から泡を吐きサングラスの奥で白目を剥いてそのまま冷たい床に倒れた。
「久方ぶりに骨のある奴がきたかとも思ったがのう。いささか呆気ない決着じゃな」
『老神』は動かなかった。
『老神』がしたことは目を開きただ相手を凝視したということ、たったそれだけだった。
異能『地獄眼』、その右目に睨まれた者はその者にとっての最悪の悪夢を見せられることになる。
金が命より大切だという者は金が自分の金がなくなっていく光景を。
自由が何より大切だという者は束縛で自由が奪われていく光景を。
それはもはやただの幻術にはとどまらない、一瞬で人生分の地獄が脳裏に送り込まれる。
それは相手にとって最悪である光景。ゆえにそんな物を見せられて耐えられる人間はほとんどいない。襲撃者である男もその例外ではなく、自分が生み出した「自分にとっての地獄」に耐えられず精神が崩壊したのだ。
「『地獄を見せる右眼』、どんな地獄を見たにせよおおよそ最悪の死に方じゃろうな」
『老神』は死体に静かにそう呟いた。
人を殺すことに『老神』は抵抗をもたない、そう感じさせるような声色だった。
「タシカニ、そいつの二の舞になりたくナイナ」
声とともに『老神』の全身から鮮血が噴き出した。
•
鳥居をくぐった俺を待っていたのは真っ白で飾り気のない部屋だった。ドアや窓や家具はなく、ともすれば部屋であることも忘れてしまいそうな感覚を覚える。
(罠か?)
そう考え脱出の方法などを思案していた俺だったが、思考の時間はそう長くはなかった。
俺の前方に泡のような光が湧き出したからだ。
俺な咄嗟に身構えて反撃できる体勢を整えた。
泡はぶくぶくと垂直方向に絶え間無く湧き出している。
しばらくその光景が続いたが、やがて光の泡は明確な形を持ち始めた。
時間にして約5秒、俺の目の前に大昔のメイド服をきたような半透明の少女が浮かび上がった。
少女の色彩は髪にわずかに色が濃くなる程度で体などは全て泡と同じ半透明の色をしている。
真っ白で何もない部屋と相成って少女は俺に儚い幻想でも見ているような錯覚を抱かせた、もちろん俺の反抗体勢は全く崩していない。
少女は目の前でゆっくりと丁寧にお辞儀をして口を開いた。
「ようこそ、王審教導院へ。あなたを歓迎いたします」
「貴様は誰だ?」
とりあえずそう問うた。他にも聞きたいことは山ほどあるが、まずは興味より要点を優先すべきだろう。
「はい、私は王審教導院職員にして案内人、《ナビゲーター》と言います。あなたのお好きなようにお呼び下さい」
どうやら王審教導院のナビゲーションシステムをインストールしたアンドロイドのようだ。
こいつが事実を語るとは限らないが、機械であるため余計なことを言わないのである意味俺との相性は良いと言える。
「質問がなければ入学手続きに移りますがよろしいですか?」
「構わん、質問があるならその都度質問していくことにしよう」
「わかりました。では、入学手続き移ります。お名前と希望の所属教室を言ってください」
「名前と所属教室だけで言いのか?」
「はい、それをもって入学手続きは完了となります」
あの門番め…という単語が脳裏をかすめたような気がするが気のせいだろう。
それよりも今はこのアンドロイドに聞くことがある。
「質問だ、《ナビゲーター》。所属教室というものは何だ?」
答えるまでに短いタイムラグがあったのは、《ナビゲーター》というのを俺がアンドロイドを呼ぶときの呼称だというのを登録していたのだろうか。
「王審教導院では現在、A〜F組までの教室と呼ばれる派閥が存在し、最強の座を目指して争っています。それぞれ教室には長である【学級委員】を筆頭に【保険委員】、【美化委員】、【参謀委員】、【体育委員】と呼ばれる四人の幹部がおり教室を統括しています。例外として幾つかの委員が兼任される場合もありますが基本的にはこのような構造で教室というのは成り立っています。」
「何故そのような仕組みが成り立つようになったのだ?」
「教室創設の経緯は単体では最強の座に至ることができないと感じた院生達が徒党を組み始め、それを真似る院生も現れ、何度かの闘争、統合、分裂を経て今の形になったと言われています。」
(なるほど弱い者ほど群れる、この異常な世界でもそれは変わらんか)
「《ナビゲーター》」
「はい」
「俺はどの教室には所属しない。それで入学手続きを受理してくれ」
「それは不可能です」
「なんだと?」
今まで従順だった《ナビゲーター》の突然の反抗に驚くよりも先に疑問を感じた。
「入学するには必ず所属教室を選ばなければなりません。教室に所属しながら、その教室に参加しないということは可能ですが書類上は所属教室を選ばなければならないのです」
「つまり、一人でいたいなら勝手にしてもいいが書類上は絶対にどこかの教室に所属しなければならないということか?」
「はい、その通りです。しかしそのような方は入学してまもなく所属しているはずの教室によって暗殺されてしまっているようです」
「チッ」
俺の舌打ちは端的に言えば「めんどくさい」という怒りだった。
(協力しないアブれた生徒は他の生徒のいじめにあって死ぬ…か。ここはいつの時代の小学校だ…)
「《ナビゲーター》」
「はい、何でしょうか?」
「院生が徒党を組む教室の存在は理解した。では何故そいつらは徒党組んでいると思う?最強の座に至れるのは一人だけだ、最後に争うとわかっていて、いつかは裏切られるもしくは裏切ると理解していて何故、教室などというものが成り立っていると思う?」
俺はここでアンドロイドに質問をした。今までの質問とは違い、俺自身でも必要性は感じていない。これはこのアンドロイドが実は人間が成りすましたものではないかを計るための質問だ。
投げかけた質問はくだらん感情論に関する問題だ。
そんな質問はアンドロイドならば「その質問は入学に関係ありません」とか「返答できません」と答えるだろう。
「その質問に対して私は正しい返答を返すことができません」
どうやら杞憂だったようだが。
「そうか、では…」
「しかし」
「なんだ?」
その逆接の接続詞にアンドロイドのあるはずのない感情のような物がこめられているようで、ついつい話を止めてしまった。
「しかし、推測することはできます」
「推測だと?アンドロイドの貴様がか?」
「はい、アンドロイドに感情はありませんが、蓄積したデータから推測することは可能です」
アンドロイドに感情はない、それは現代ではほとんど人間と同一になってしまったアンドロイドの数少ない人間との相違点の内の一つである。
だからアンドロイドの推測というのは興味を引く一方で胡散臭さを感じるのである。
(まぁ推測を聞いてから罠かどうかを判断することにするか)
そう考えてアンドロイドに語るを任せることにした。
《ナビゲーター》は俺の沈黙を肯定ととったのか自分の推測を語り始めた。
「最初に誕生した教室の原形の根底に位置するのは一つは『集団戦によって戦闘を有利する』という思考だったと思われます。個人戦よりも集団戦の方が生存率は上昇しますから」
「まぁそんなところだろうな」
「そのような教室に次いで誕生した教室は原初の教室を模倣したもの、もしくは原初の教室に対処するためのものだと思われます。」
「ふん、共通の敵がいるときに起こるその場しのぎの団結に過ぎんな」
「その後、そうして増えた教室は分裂、統合、吸収、同盟などを経て今の六教室に至ったと思われます」
(つまらんな、所詮はアンドロイドだったか)
「それでは今の教室はその延長上、つまりは『集団戦によって戦闘を有利する』か『それに対抗する』という思考のもとに成り立っているということか」
(俺の予想した通りだったがな、まぁこれでアンドロイドはアンドロイドだという線は濃厚に…)
「しかし、私は教室にもうひとつの側面があると推測しています」
…濃厚にはならなかったようだ。
「もうひとつの側面だと?《ナビゲーター》それはなんだ?」
さっきの推測はほとんど俺が思ったものと同じものであり、正直俺はそれ以外の理由が見当たらなかった。
「はい、原初の教室創った彼らもその後に教室創った彼らにも心のどこかに寂しさと安息に対する欲があったのだと思われます」
「寂しさと…安息に対する欲?」
一瞬《ナビゲーター》が機能不全を起こしたのではないかとも思ったが、エラーを起こしている気配はない。
「はい、人間の心というのは私たちアンドロイドには理解できないほど複雑に絡み合っています。原初の教室を創った方々全員とは言いませんが…彼らの中には建前として『集団戦によって戦闘を有利にする』ということを掲げていても、一人でこの殺伐とした教導院で戦い抜くことに対する寂しさと終わりないような戦いに疲れ、人と人が触れ合う場を求めた者がいたのではと推測します」
「くだらんな、そもそも推測に根拠が見当たらない。そんなものは推測ではなくただの予想に過ぎん。それに寂しさと疲労をもったならば、さっさとここから出て行けばいい話だろう」
すると《ナビゲーター》は表情を全く変えないまま言った。
「あなたは先ほどこうおっしゃいました、『最後に争うとわかっていて、いつかは裏切られるもしくは裏切ると理解していて何故、教室などというものが成り立っていると思う?』と。正しい解答は私には分かりませんがおそらく彼らは人をもう一度信じたかったのではないでしょうか」
俺は無言で先を促した。
《ナビゲーター》は語る、ただのアンドロイドの分際で、しかしだからこそ語る。
「誰もが敵、誰も信用できない、あるのはひたすら続く闘争のみ、永遠に続く戦いを勝ち抜いて最強の座を手にするのはたった一人。相手をどうやって殺害するか、自分がどうやって生き抜くか、それを考える毎日、疲労しても人間のプライドとというものがそれを許さないでしょう。殺伐とした世界にある意味閉じ込められた彼らでも一度は、昔は、人間を信じたことだってあったはずです。だから『集団戦によって戦闘を有利にする』という建前で教室を作ったのではないでしょうか。最後には争わなければならないとわかっていて、いつか裏切られるもしくは裏切ると理解していてもこの教導院の中でも信じられる仲間は存在するということを実感し、寂しさを紛らわせるささやかな温もりが欲しかったのではないかと思われます」
俺は大きくため息をついた。目の前の《ナビゲーター》にではなく、この教導院に対してだ、所詮この程度かと。
「やはり根拠はないな。推測はあくまで推測だ。最強にそぐわぬ弱者の弁としてなら良い線をいっているかもしれんがな…」
「根拠はあります」
「なんだと?」
俺は再びこの感情のないアンドロイドに感情があるのではないかという錯覚を覚えた。
透明な瞳に意思の光があるように不覚にも考えてしまった。
「この教導院では強者だけが生き残ると聞いている」
「はい」
「そんな弱者の弁はやがては淘汰される」
「はい」
「それを覆せる根拠があるか?」
「はい、あります」
「そうか…言ってみろ《ナビゲーター》」
「弱者はやがて強者によって淘汰されます。そして時を経て強者だけの教導院が出来上がっていくことでしょう。しかし…」
そこでアンドロイドは言った。
「昔よりも確実に強者が多く存在する今でも教室は現存しています」
その一言にしばし俺は言葉を失った。
その一言は俺の理論の穴を完璧についていた。
俺の理論によると弱者が強者によって淘汰される、つまり今学園にいるのは多数の強者と少数の弱者でなければならない。
しかし、その中で弱者がつくるべき集団を強者が教室として成立させている。
完全にしてやられたわけだ。
そこまで考えたとき、俺は音速で腕を降っていた、目の前の《ナビゲーター》目掛けて。
ブンッという音と共に《ナビゲーター》の体が揺れる、ただそれだけだった。
「申し訳ありませんが、私に接触することはできません」
アンドロイドは淡々とそう告げた。
俺は腕を見て握りしめた。
そして今の出来事を考えた。
今の俺の感情は紛れもなく憤怒だ、そして人間であれば当たり前の感情だ、そう理解すると俺はさらに自分に対して怒りが湧き上がってくるのを感じた。
気に触れば殺す、それが俺の性だ。しかし、目の前のアンドロイドは殺せない。
「私の推測は以上になります。ご質問がなければ引き続き教導院の説明と教室の選択をおこな…」
「待て」
気づいたときには口に出ていた。
そこらのチンピラであれば失神しかなねないような冷たい死の声だった。
「なんでしょうか?」
しかしアンドロイドは表情を変えない。アンドロイドに感情はない。
「《ナビゲーター》、お前は俺が間違っていると思うのか?」
「所詮は感情のない私のデータの観測と蓄積による推測でしかありません」
俺は目の前のアンドロイドよりも自分が許せなくなった。
これではまるで俺がすねた子供で大人にあやされているようではないか。
「では説明を続行し…」
「もういい…」
俺は《ナビゲーター》の言葉を再び遮った。
これ以上ここにいると自分への自己嫌悪とアンドロイドへの怒りで冷静さを保っていられないような気がしたからだ。
「《ナビゲーター》、俺を一番人数が少ない教室へ所属させろ」
「しかし、六つの教室にはそれぞれに特徴などが…」
「それでいいと言ったのだ。教導院の説明ももういらない。あとは俺が自分で把握する、さっさと登録しろお前は用済みだ」
「…分かりました。では、E組への所属を登録します。お名前をどうぞ」
名前…名前か……。俺はしばし考えた。今まで仕事でも名前というものを使ってこなかったからだ。仕事の依頼も主に依頼主が勝手につけた名前か数ある通り名で連絡をつけていたからだ。コードネームというものも一時期考えたが、使用に至ったことは皆無だ。
教導院に登録するからには今後はその名前で何かと呼ばれたりするのだろうか、ならばあまりにも適当な名前にするのは軽率だろう。
ふと、思い出すのは1人の男天帝センジャドウ、あいつは教導院の中でも本名を名乗っている。
ならば俺もそれに習い、本名を持って対抗するべきではないか。
後から思えばこの時俺は目の前の《ナビゲーター》への苛立ちからか最善の選択を見誤ったと言えるが今はそのことを知る由もない。
「俺の名はレイオウドウだ《ナビゲーター》。これで登録しろ」
「はい、ではレイオウドウ様、E組への入学となります」
《ナビゲーター》は訝しむ素振りもなく淡々と登録した。
やはり機械なのだ、こういうところは俺にとっては望ましいものだ。
「入学手続き完了によりE組に最も近い門に転送いたします」
知らない単語が出てきたが、説明を聞かないと言った手前聞き直すのはカンにさわる。
俺は黙って転送されるのを待った。
《ナビゲーター》への苛立ちは当然消えていないが、転送先に敵がいないとも限らないし、何事も切り替えというものは大切だ。
「ではレイオウドウさま、御入学おめでとうございます」
そして俺は真っ白な部屋と半透明の少女との邂逅を経て、王審教導院の入学を果たした。天帝センジャドウ、ついに死神への道は開かれたのだ。
•
世界の何処にも存在しない虚無に満たされた空間が理超える力によって世界という定義を与えられ形造られた。
本来そこにはあるはずない声というものが低く響いた。
「何用だハブランテ?貴様から我輩を呼び出すのは珍しいではないか」
片方の声には並の人間なら血が凍るような声にどこか好奇心が隠されているような声を放ち
「失礼かと思いましたが、少々お耳にお入れしたいことが御座いましてこのような無礼をいたしました」
もう片方の声は相手の声を恐れるどころか相手を慕うような声色に遠慮が混ざられた声を放っていた。
「ハハハ、そう畏まらずとも良い。ちょうど退屈していたところだ。生徒会というのもいささか面白味に欠けるものだ、それでその用件とはなんだ?」
「…レイオウドウ様が先ほど入学手続きを終えられたそうです。」
「ほう…彼奴が本名で入学とはな。珍しい…いやもしかすると初めてのことかもしれんな」
「今までの経歴を見ると初めてのことであるようでございます」
「まぁ大方我輩への当てつけのつもりだろうがな。それにしても貴様はよく彼奴の経歴を把握していたな?」
その声には面白がるような雰囲気があった。
声をかけられた相手はしばし沈黙をしていた。
もし顔がこの世界にあったなら苦虫を噛み潰したような顔を浮かべていたかもしれない。
「申し訳ありません。私もつい興味に負けてしまい…」
「ハハハ、貴様はいつも殊勝過ぎていかんな。興味を持ち好奇心を満たすことは人間の性。いちいち気にする必要もあるまい」
「…はい。それで実はレイオウドウ様の所属教室のことですが…」
「ふむ、まずF組は違うとするなら、どうせ彼奴のことだ常道であるA組やB組には入るまい…とするとC組かD組…ん?もしや貴様の教室かバブランテ?」
「いえ、レイオウドウ様はE組へと入学なされたそうです」
声が一時消える。残響を伴って低く響く声を何度も咀嚼しているような空気が流れた。
「……E組、《ナビ》と何かあったのか?それにしてE組とはな」
「どういたしましょうか?今から別の教室に移させることも可能ではありますが……」
「我輩として職権乱用は好まぬのだがな…」
「しかしE組は委員が誰一人として判明していない上にここ数ヶ月、行事にもまともに参加しておりません。内部の監視や情報収集が困難になると思われますが…」
しばし重い沈黙が世界を満たした。
「…いや、彼奴が選んだ道だ。並大抵のことで死ぬのようなやつでもない、それにE組なら案外彼奴が馴染んで仲間ができる可能性もある」
「よろしいのですか?それにE組に彼が馴染む理由が?」
「ああ」
そこで声の主は一旦言葉を切り
「別名をEtc組…集団に馴染まず、狂人でもない、ただ個人で行動する異端者異常者の集団。それが『その他』のE組だ」
•
レイオウドウのE組への入学を懸念する二人だったが、もっと注意を向けなければならない存在が静かに、そして高速に動いていることを感知することはできなかった。
門からE組の教室への道を歩き始めてからわずか数分、レイオウドウの前に一人の大柄な男が現れた。歩いて来たのではなく降ってきたのでもなく現れたのだ。
「何者だ?」
俺は問う。
「我はーー」
大男は静かに告げる
この時点で俺は失敗していた。
「B組の学級委員兼体育委員ーー」
何も言わず、全力で目の前の男を殺すことに集中すべきだった。
なぜなら
「覇帝ダイ・ガモン」
(五帝クラス⁉︎)
「行くぞ愚かな罪人よ、貴様の命を我が部下への謝罪の証として貰っていくとしよう」
俺が入学最初に相対した男は最強に一番近い男だった。