ハデスロード
ようやくか、俺は静かに思う。
ようやく嘘の平和で構成された世界から真の闘争で染められた世界に戻ってきたと言える。
俺が立っているのは日本のある科学研究所、と表向きはそうなっている。
しかし、科学実験をしているのはほんの表層だけであり、地下はろくでもない連中の巣窟である。
「あら、おかえりなさい」
声をかけてきたのは門番の女性だ。
こんな俺であるが、彼女の前では無力なものだ。
彼女の実力は俺を軽く凌駕している。
だから、彼女に関していえばどう殺すかではなく、どう殺されないかを俺は常に考えている。
幸いにも彼女は俺を殺す気は今のところないようだ。
無論油断していない、今はそうなのであっても、一分後も同じだとは限らないからである。
「ジジイは在宅か?」
「ええ、あのクソジジイならいつものところにいるわ、いい加減ぶち殺して欲しいんだけど?」
「貴様に無理ならば俺には不可能だ。そもそもジジイの性質はそこに集約しているだろう」
「ごもっとも」
研究所の地下への扉をくぐる。
表面的にはなんの改修もしていないようだがそれはあくまで目で見たものでしかない。
内部構造は同じであっても性能が同じだとは全く思っていない。
警戒、用はその一言に全てを集約する。
回避の行動範囲を決定、咄嗟の対応を状況に応じて287通り予測、逃走経路及び敵の勢力の行動パターンを予想、これくらいは最低でもやる。
何事もなく目的地の最下層に到達した。
これで練り上げた合計3万4812通りの計画は無駄になったわけだ。
だからといって勿体無いや残念などといった感情を抱く俺でもないが。
ロックが解除され、扉が開く。
広い会議室のような場所の一番奥にジジイはいた。
「ほっほっほっ、相変わらずワシをどうすれば殺せるか?門番のセレラをどうすればかわせるか?この場所からどうすれば離脱できるか?そればかりを考えているような顔じゃな。久方ぶりだというにゆっくりと話もできんのか」
「よう、相変わらず生きていたか。初対面の時の歓迎はもうしないのか?」
「懐かしいのぉ、あの時は噂を確かめようと冗談のつもりで準備したものじゃ。いやはや本当に傷一つつかなかった。問題はそのあとじゃったな」
「ああ、俺は貴様を殺しにかかった。138回ほど殺したか…いや138回殺しかけたといった方が正しいな。あの時はさすがに驚いたよ」
「138回瀕死になってようやく話ができたのじゃったな。ワシの性質を身を持って体験したようじゃから和解も早かったのぉ」
「殺せないので諦めたという方が正しいな。だいたいあの138回の間に通常の人の人生を何往復分したと思っている?貴様の真の恐ろしさは性質でも異能でもなくその精神だ」
「ワシも驚いたな。異能と性質を二つ持っている人間なんぞ聞いたこともなかったからのぉ。殺せないなら壊してしまえという考えにも心底感服したものじゃ」
「結局殺せも壊せもしなかったがな。その性質、『不死身』捉え方によっては死ねないともとれるが?」
「死にたいと思ったことなんぞ一度ないのぉ。世の中を掻き回すのは全く興味が絶えないものじゃ。あの時からワシも警戒という言葉を覚えたしのぉ」
「では彼女は護衛か?死なないくせに?」
「ほっほっほっ、彼女とお前の相性は極めて悪いからのぉ。全世界探してもなかなかいない人材じゃよ」
「確かに彼女の性質と俺の異能二つは相性が悪い。しかしそれを言ったら貴様の異能と彼女の性質も相性が悪いだろう?」
「うむ、何か一つでもお前を上回る駒を持ちたいという儚い願望じゃよ。しかし彼女も困ったものじゃ死なないからとワシをオモチャのように遊びよる。今朝も致死性の毒カレーで腹を下した」
「…お大事にな、そしてそのままくたばれ。そろそろ仕事の話をしても良いか、ジジイ?」
「ほっほっほっ、良いじゃろう。お前が珍しく挨拶と世間話をすると思ったら今の会話からセレラの弱点を割り出したのか。面倒が起こる前にさっさと済ましてしまおう」
「貴様が彼女を雇うからだ。で、何だ?情報提供や情報交換ではなく依頼というのだから俺以外にもはや適任がいないということか?」
「さよう。ところでこの国で唯一殺人が黙認されている場所を知っているか?」
「……王審教導院だ」
「そこのある人物を暗殺してもらいたい」
「了解だ。ありったけの爆薬とリモコン式の起爆装置を寄越せ」
「待つのじゃ。焦るな。落ち着け。」
「俺は冷静過ぎるほど冷静だ」
「ワシの話を最後まで聞け、あの教導院は院生同士を殺しあわせ日々エリートのレベルを上げることを目的としておる。殺し方はそれぞれ。爆殺など珍しくもないのじゃ」
「つまり校舎に何らかの防爆措置があるということか、ならば致死性の毒薬と猛毒ガスを頼む」
「待つのじゃ、殺人衝動を抑えろ」
「依頼しているのは貴様だろう?」
「目的は一人、何も院生全員を手にかける必要などない」
「俺の知ったことではないな。俺は殺しすぎた。いまさら何百人追加しようと支障はない」
「そういうことではないのじゃ。殺して欲しい人物はあの場所で最強と認められた者にしか会わんのじゃ。それ以外ではどこにいるのか全く分からん。じゃからお前にはあの場所に潜入し、最強になってもらう」
「断る」
「な、何じゃと⁉︎」
「この話聞いていると俺には損しかない。あの教導院は普通ではない。院生達は上位ともなれば俺の四つの異能と性質、さらに俺だけのその上を使っても手に余る」
「…教導院では毎日毎時間毎分毎秒が殺し合いと聞く。常に周りを警戒するお前にしかできんのじゃ。それに何のメリットがないわけでもない」
「珍しく必死だな。いいだろう続きを言ってくれ。俺のただでさえ危険な日常をさらに危険にしてまで俺が得られるメリットとはなんだ?」
「…まずは金、これは最強になれば自然に付随してくるものじゃ。さらにワシが報酬を払う。そして地位、あの教導院で最強になるということは世界で五指に入ると同義語じゃ。仕事の内容や報酬もレベルが格段に上がる。最後にお前自身の力の向上、普段から殺しあっている院生はそこらの殺し屋や軍人などとは比べものにならんほど強力じゃ。さらに年齢制限もない。彼らを相手にすればお前の力も確実に上がる」
「なるほど…全く魅力がないというわけでもなさそうだ。いささかリスキーではあるが…。よかろう受諾する。聞くが俺が最終的に殺すべき人物の名は何だ?」
「センジャドウ…」
「なんだと?」
「天帝センジャドウ、またの名を死神。教導院最初の最強じゃ」
「俺の人生で一番の大物だな。正直俺が腕を上げても微妙な所だと思うが?」
「さっきの話じゃ、センジャドウとお前は相性の問題がある。特にお前だけの力以外ではセンジャドウには対抗策がない…」
「そういうことか、貴様もただ世間話をしていたわけではないようだな。なぜ貴様が天帝を狙うのかということはあえて聞かないでおこう。俺には関係のないことだ」
「そうしてくれるとありがたいのぉ」
「必要なものはないが、教導院への潜入手段は?」
「あそこは毎日人が死んでおる…。ゆえに毎日転入生がくるのじゃ。入るのはそれほど難しいことではない」
「了解だ。明日から行く。報酬を用意しておけ」
「分かった。くれぐれ気をつけのぉ」
「俺を心配するとはな」
「代わりがいないのでな」
「そういうことか」
•
「セレラか?」
「なんだ、気づいてたんですか」
「お前のその性質は奴とってやはり脅威じゃな」
「『無存在』…。いくら彼でも存在しないものは攻撃できませんからね」
「ワシの『地獄眼』は視認するだけで効力があるからのぉ」
「そうですね…。さっさとくたばれクソジジイ!そういえばその彼は?」
「奴ならもう行ったぞ」
「なぜ彼を行かせたのです?」
「適任じゃからにきまっておるではないか」
「それだけで天帝の情報を教えるとは思えません。それに彼は天帝のことを言われてから明らかに態度が変わりました。天帝と彼には何か繋がりがあるのではないですか?」
「そうじゃよ。じゃからワシは天帝のことを教えたのじゃ。奴なら必ず食いつくと睨んだからのぉ」
「…彼を殺す気ですか?」
「死んだらそれまでの男じゃったということじゃよ」
「ふふ、素直じゃないのですね」
「年寄りは頑固じゃよ。全ては奴しだいじゃ。死神に届きうる王となるか、死神の前に屍の道の一部となるかはな」
最強、それはありあらゆる分野で存在する。
しかしこの世界での最強とは文字通り絶対の力を持つ者である。
死神への王の道はまだ始まってすらいない。