間話 : その頃、不運の妹 2
四章も中間地点です。
所変わって、妹さんのお話。
ではどうぞ!
…………イヤな夢を見ていた。
兄さんが、わたしの兄が、どこか知らない人と……。
その、抱き合っている夢だった。
相手の姿は、よく見えない。
それを遠くから眺めていた。
こっちと向こうの景色との間を、地割れのような深い闇があって隔てている。
――――すぐに理解した。
これは……夢だと。
なぜって、兄さんは居なくなってしまったのだから。
わたしの前から突然に居なくなってしまったのだから。
去ってしまったのか、消えてしまったのか、それすらも知らない。
でも、最後に電話をしてからもう既に一週間、ずっと。
ずっと、ずっと、会っていなかった。
居なくなってから、あれから、わたしは家族や兄さんの親しい知り合いにも行方を一通り尋ねてみた。もちろん、ムリの無い範囲で。
だが誰一人として兄の所在を知っている人は居なかったのだ。
いや、それぞれに『留学した』『家の用事で休学した』などと居なくなった原因を話してはくれたのだけれど…………。
どれも全く辻褄が合っていない。
その理由も、尋ねる人ごとにバラバラだという有り様。
彼らはウソをついている様子も無かったし、それを本当だと頭から信じているようだ。
わたしが違和感を感じるのはそこだった。
言ってることはバラバラだが、『兄さんが居なくなった』という結論だけは同じ。
理由は判らない。
だが、明らかにおかしい。異常だ。
まるで誰かがノートに書かれていた文字を消して、その人の好き勝手に書き換えてしまったかのよう。
兄さんが突然消えた事を知っているのは、わたしだけ。
どうやら自分だけが、その事実を明確に捉えていた。
居なくなる直前にまで電話で話していたからだろうか?
それとも………………?
まあ、長くなってしまったけど……だからこそ。
今見ている場面は、夢だ。
夢だ。
夢だからこそ、こんな非現実的なシーンを見てしまうのだ。
兄さんが誰かと抱き合っている、なんて。
それをこんな離れた位置から眺めさせられている、なんて。
本当に、タチの悪い夢。
だって兄さんが……、兄さんに、そんな抱き合うような親密な関係の人なんていない。
家でぐーたらと寝そべって、お父さんと一緒にゲームしてるのが日課だと広言していた兄に。
部活も大学のサークルも入らず、一人暮らししてものんびりテキトーに過ごしていた兄に。
そんな人、いるハズがない。
絶対にいないんだ。
これが夢じゃなかったら、何が夢だって言うのか?
しかし、自分にそう言い聞かせても。
わたしは知らず知らずの内に手をきつく握りしめていた。
向こうの景色との間にある暗い裂け目は、自分にはどうする事も出来ない。
わたしの夢の中なのに。
……一体誰なんだろう、あの相手は。
そもそも、その場所は。
その場所は、わたしの――――――――
べしべしっ。
……べしっ。
「うう…………お兄ちゃんは……わ、わたしの…………」
「おきろーっ、おきろーっ、ミヤー?」
誰かが机に突っ伏した頭を軽く叩いている。
続けて、近くで呼びかけられる。
どうやら、いつの間にか眠っていたみたいだった。
机から顔を離して飛び起きる。
「――――兄さん!?」
「だ、誰がアンタの兄じゃい!! 男じゃねぇぞ私は!」
ゴンッッ!!
と思いきや、ごちーんと頭を殴られた。
「ったーーーーーー!?」
「うおぉ寝ぼけてんのかミヤはぁーーーー!!」
さっきまで揺すられていた頭を突然思いっきり叩かれたのだ。それはもう一気に目が覚めた。
ひっぱたかれた所を手で押さえ、寝起きでぼやける視線を上に向ける。
すると、目の前には――――。
「数!?」
「ミヤ、アンタはぁー…………」
そこには、見知った同級生の姿があった。
額を見せたショートの髪に半袖シャツ、動きやすそうな紺のデニム。
ついでに頭から二つ、ぴょいっと出ているくせっ毛。
呆けているわたしを見てわなわなと口を震わせている。
…………ついでのように、拳も構えている。
握った手と反対の手でわたしをビッと指差した。
「どうしたの、スー!?」
「どーしたもこーしたもあるかい!」
「え? え?」
「ミヤ、私はアンタの兄じゃねーーーー! ついでに言うと女だ私はーーーー!!」
そんなに男っぽく見えるんかー! と叫んで再び手を振り下ろしてくる。
空いている片方の手は腰溜めだ。
「ついでに高校の空手部の頃から溜まってる日頃の恨み! くたばりゃぁっ!!」
日頃の恨み!? なんで!?
――などと返している余裕もない。
どう見てもそれは、寝ている人間の目を覚ますというレベルではない腰の入った本気の手刀だった。
殺意のこもった、完全に人を倒しに来ている速度だ。
「ちょっと! 何すんのよ!」
咄嗟に座ったまま、迫る腕をヒジの内側から横へ払いのけた。
パスっと軽い音がして、軌道が逸れる。
「せいっ」
軽く息を吐いて、同時に反対の手で肩の付け根を軽く押さえて動きを止める。
さらに、ついでに相手の腕を外側にヒネって固定。
もちろん腕を折るようなマネはしない。
「ぐぬあぁーーーーーー!!
わけわからんぐらい激しい痛みがぁーーーー!!」
「いきなり何すんのよ、スー!」
「ごめんなっさい!!
でも先にこの腕をいだでで極まってる、なにこれ私の腕がヘタすると二つに分割統治されるくらいにえげつない感じに極まってる!!」
「あっ、やばっ、ひねり過ぎた!? 痛かった?」
慌てて手を離すと、相手はぐあぁんと声に尾を引かせて床に崩れ落ちた。
息も絶え絶えの様子だった。
自然にこちらに頭が下がる形になり、普段はびょんっと立っている二本のアホ毛も水やりを忘れたアサガオの芽のようにしなっとしている。
「寝起きでヘンな事言っちゃったのは一応謝るけど、なんでそんなに本気で飛びかかって来たの?」
「うぐぐ…………スキがあったから、今なら私でもミヤを倒せると思って……。
ていうかなに今の関節技………………?」
なんでわたしは、普段の生活で隙を見せたら襲われるのか。
あんたは刺客か。
それに日常生活の中で空手の技を使うんじゃない。
しかし五秒も経つと、膝を屈した姿勢から一転。
すぐにシュバッと立ち上がった。
「み、ミヤめぇ、うごごごーー!!
不意をついたくらいじゃどうしようもないなんて、もう私はどうミヤと接すればいいんだ!?」
「普通でいいでしょ……」
むしろなんで普通にできないのか。
そこが疑問だった。
「ダメだね! 私の事を男と間違えるなんてそりゃあ私は女らしさなんてないけど!
くそぅ、そりゃミヤと比べりゃ月とスッポンどころか縁日のミドリガメがいいとこさ! そうさ、カメさんさ!」
「また変な例えを……」
「カメさんなのさ!!」
女らしさはさておいて、わたし達が小さい頃にももうカメなんてお祭りで見かけなかった気がするけど。
金魚がせいぜいだったような思い出がある。
ちなみに兄さんは金魚すくいをしようとすると、紙の網を持った途端に風が吹いて網が破けていた。
妹ながら、不憫な兄だと思う。
そんな昔を思い出すわたしを意に介さず、目の前の小柄な女子はまたビッとこっちを指差した。
異議を叫ぶ弁護士のようなポーズだ。
姿だけは堂々としている。
やっているコトは理不尽だけど。
「ええいこうなったらこの場でミヤのスリーサイズを公開してやらぁ!
確か上から順に、はちじゅうよ――――」
――――えぁっ!?
「き、キャーーーーッ!? なんで知ってんの!?」
あらん事を口走り始めた友人を、力ずくで止める。
前にあった人差し指を掴んだ。
そのままひねる。
「ギェェエエエエ!! 指が一瞬で反対方向に折れ曲がったのになぜか痛くない!!
何これどうやってんのむしろ痛くないってどうなってんのーーーー!?」
………………数分たった後。
「すみませんした……」
隣の机に座っている、くたっとなった相手が言った。
わたし達の周りでは、わたし達と同じくらいの歳の人達が思い思いの席に着いて、雑然とした雰囲気を出している。
こんな事があったために思い出すのが遅れたけれど、ここは大学の教室。
朝の授業が始まるよりも早く来て予習でもしておこうかと思っていたのに、いつの間にか始業の時間になっていたようだ。
ふと周りを窺うと、他の学生の姿勢が若干こちらに集まっている事に気付く。
今さらながら、集まる視線が少し恥ずかしかった。
「スーあんたね、教室で騒ぐのは止めときなさいよ……」
「……でも、いきなり私のこと兄さんとか言い出すミヤもいけないんだ……。
私が男勝りでボーイッシュ、親しみやすい性格だと周りから言われてるのを気にしてるって、知ってただろうに……」
「ご、ごめん」
…………初耳だ。
しかも途中から、ただの自慢のようになっていたのは気のせいだろうか。
……取り敢えずそれは黙っておいた。
話がまたややこしくなってしまうから。
するとわたしが謝ったことで話はもう済んでしまったのか、彼女が起き上がった。
うあー授業やだなーさぼりたいなー、などと言いながら自分のスポーツバッグを机の上に放り出して文句をたれる。
腕を極めたことも特に引きずっていない様子。
……口はやかましいが、回復力の高い友人だった。
双葉のくせっ毛も、もうシャキンと復活している。
なんで連動してるんだ。
対してわたしの方はと言えば、まだ眠気が残っていた。
目をこすってはみたものの、頭のぼんやりした感じは一向に晴れない。
なんだか夢見も悪かった気がする。
悪かったというよりは、妙に不愉快な夢だった気もする。なんでだろう。
「ミヤ、朝早くから来てココに居たんだ?」
「うん。大体八時には教室に着いてたかな」
「早いなっ!? それからずっと寝てるってぇ…………なんかミヤ、弱ってますなぁ。
…………じゃ、おしゃれ雑誌でも読もうぜ!」
「いきなり!?」
話が一足飛びで進むどころか、もはやワープしているレベルの脈絡の無さ。
突然脈絡の無いことを言い始めた友人は、手に取った筆箱からシャーペンを出している。
その筆箱には、律儀なんだかなんなんだか、油性ペンで『にいがた』とひらがなが見えた。
別にお米のおいしい県のことではない。
新潟 数。
今は隣に座っていてああだこうだと話していて、先程には攻撃を仕掛けてきたこの友人の名前だ。
たまに友人と言っていいものか悩む時もあるけど。
高校の部活、女子空手部の同期であり、この大学へも受験して来たクラスメイトである。
高校、大学と繋がりがあるあたり、何かしらの縁があるのかも知れない。
ミヤというわたしのアダ名を付けたのも彼女だったりする。明宮だからミヤなんだそうだ。
安易だけど、わたしもあっちをスーと呼んでいるのだから大差ない。
その友人が、自分のバッグから雑誌を引っぱり出す。
へっへーとか自慢気に取り出したそれの表紙は、妙に肌色な部分が多かった。
スーが表紙の文字を読み上げる。
「これこれ! えーとなんだって?
……ふむ、『男子が選ぶ! 女子の好きなカラダのパーツ第一位大公開』?」
グラビア雑誌だった。
わたしは無言でそれを引きちぎった。
「私のおしゃれがまっぷたつに裂けたぁーーーー!?」
「なにがおしゃれだこの大バカーー!!」
片面だけになった雑誌を突っ返すと、スーがそれを見て驚く。
「うわ、これエロ本だ!」
「気付かず持ってきてたの!?」
わたしの方が驚きたいくらいだった。
というかどうしてそんなの持ってたんだろう。
スーが眉をひそめる。
こっちを、信じられないものを見るかのような目で眺めた。
「いやいやアンタ、ミヤ……こういうの読むの、趣味だったのか……?」
「次はスーがこの雑誌と同じ目に遭いたいの?」
「ごめんなさい」
持ってきた理由を聞くと、大学デビューとの事。
声をひそめて、周りに聞こえないようにわたしに言ってくる。
「ほら、こうさ、オシャレにきめてこうバンドとかのオシャレサークルに入って、オシャレ男子共にモテたいじゃん?」
「………………それが、その雑誌?」
「うん!」
…………。
……もう何も言うまい。
理由もアホなら、やってる事もどうしようもなかった。
オシャレも連呼しすぎだ。
と言うかオシャレサークルって、何。
溜め息を一つ吐いて顔を離すと、スーは首を傾げた。
グラビア雑誌の残骸をカバンの中に再び押し込んで訊く。
「なぁー、さっきからなんで、そんなに弱りきってるんだ?
いつもならもうちょっと技にキレが…………いや、技は今くらいでももうお腹いっぱいだけど、でもそんなんじゃ大学の運動部じゃ通用しないぞミヤー?」
「わたし、今はサークルとか入る気無いけど……」
「マジか!? イヤだよ、私と一緒にまたカラテやろうぜ!?
私達二人で組めば、きっと世界だってとれる!」
いつから空手はダブルス戦になったんだ。
それに一言前に言ってたオシャレサークルはどこ行ったんだ。
「でもホントに、今はちょっと……。
あと……、わたしはあんまり試合とか興味ないから」
「なんでだよ、ミヤは大会とかになると勝てなかったけど!
でもアンタの兄さんだってあんなに応援してただろ!!」
恐らく、兄さんが「うおぉぉおおおお! アカリ頑張れーーーー! 全力で頑張れえぇぅうおおおーーーーーー!! 頑張れ気持ちで負けたらもうそこで負けなんだからあああうぉぉおおっしゃあああああそこをもっとぬんゴホッゴハッ喉がっ!?」などと叫んでいた時のコトを言っているのだろう。
そして自分の方が全力で叫び過ぎて、試合が終わった頃にはわたし達よりもぐったりしていた。
ちなみにある時は注意まで受けていた。審判に。
試合とは離れた位置で審判が注意していた。
「スーも覚えてたんだ?」
「すっごく目立ってたからな!
部の中でもウワサにもなってたんだぜ、ミヤの兄ちゃんはこうなんか…………、なんかよく判んねえけどすげぇって!」
「あ、あはは……」
なんだろう、身内として少しだけ恥ずかしい。
でもやり方はどうであれ、兄さんが応援に来てくれたのはすごく嬉しかったけど。
授業参観で親に見られるのが恥ずかしいと言っていた子と同じような心境だろうか?
「だけど正直、あそこまで必死に応援されてもなぁ……?
私も道着着てて気合い入れてなきゃあ、あの気迫に色々とちびってたかもしれねぇ」
「さ、流石にそこまでじゃないでしょ?」
何を思い出したのかお腹の下の方を押さえて脂汗を流している友人は大げさだとしても、あれはちょっと頑張りすぎだったと思う。
しかも、わたしの方が実のところ試合には熱心に取り組んでいなかった、となれば微妙に罪悪感すら抱いてしまう。
まあ、今はその話はいいか。
「その割りにはよく道ばたでヘンな勧誘だの不良だのに絡まれてるのも見かけたしなー……。
ミヤの兄ちゃん、結局強いの? 弱いの? どっち?」
「なんでアンタはその二つでしか物を考えてないのよ!!
兄貴は別に、武道も格闘技もやってないから!」
流石、人数は少ないとは言え空手部でずっとレギュラーメンバーだったスー。
考え方が基本的に強さ基準だ。
脳筋とも言う。
「………………」
――――でも。
でも、実はわたしの兄さんは強いのだ。
近くで見ていたわたしには判る。
目の前の彼女に言ったように腕っぷし的な意味では全く無いけれど。
学校の成績だってそこまで良くないけれど。
ついでに、休みは一日中、家でだらーんとゲームしているようなぐーたらだけど。
色んなものに絡まれたり巻き込まれたり、一人で外を歩かせるのが不安になるくらいダメな人だけど。
それでもしかし、どこか芯の部分で兄さんは『硬い』のだ。
言葉では説明しづらいけど。
刃物のような周りに向ける強さではなく、家柱のような『頑丈さ』、と言えば伝わるだろうか?
ただ、ちょっと運が悪いのかハプニングに遭いやすくて、そのクセにお人好しだから、さらに揉め事に巻き込まれてしまうのだ。
自分にとってのキャパシティなんてまるっきり考えずに。
そんなんじゃ、例え丈夫な柱だって折れてしまうのは判りきっているのに。
だから、誰かが守ってあげないと。
ほんの少しででも、肩代わりしてあげられれば。
……まあ、こんなことスーには口が裂けても言わないけど。
恥ずかしいし。
それになんとなく、他の人には言いたくなかった。
「兄さん、か…………」
しかしその兄さんは、居なくなってしまった。
突然わたしの前から。
何かあれば、わたしが前に立たなきゃいけなかったのに。
本人が居なくなってしまっては、これじゃ何のために武道を習っていたのかも判らない。
「おーい、ミヤー? また溜め息ついてるぞー?」
目の前で手をヒラヒラと振られて、意識をスーに戻した。
「なんか悩みか? ならこのアタシに話してみ?
ほら、同郷のよしみって言うだろ?
さあ洗いざらい吐くんだな! ゲロっちまいなぁ!
深夜の地下鉄の駅で落ちてるようなアレな感じに!」
前で菓子パンをかじっていた生徒が噴きだした。
「朝から吐くとか言うな!」
「ぎぇん!!」
これ以上周りに迷惑をかける前に、隣の元凶に鉄槌を下して止める。
迷惑をかけた前の人にはわたしから謝っておいた。
まずい、この子に話すのが物凄く不安になってきた。
こんなスーみたいな人に話して良いものだろうか。
でも、気安いと言えば気安く話せる相手ではある、と思うんだけど…………。
スーを見る。
ものすごく気疲れする相手でもあるからなぁ…………。
しばしの間、逡巡してから。
(……まあ、話すだけなら)
わたしは居住まいを正した。
スーと向かい合う。
「………………判った。じゃあ聞いてくれる?
できれば、話した後であんたの意見も聞かせてくれると嬉しいかな」
「任せてくれいー!!
そう、大船…………いやそんなもんじゃねぇ、ジェットボートに乗ったような気持ちでかかってこいよ!」
加速した意味は、何。
どこに向かって走っていくつもりなんだ。
しかも、速くてもすぐに沈んでしまいそうな予感がするのは気のせいだろうか。
不安だ。
しかしまだ、大学も始まって間もない。
こんな事を他に話せる人も居ないわたしは、この朝から恐ろしく陽気な友人に、今自分が陥っている状況を話すことにした。
一気に本題から切り込む。
「……やっぱりスーも、わたしの兄貴の居場所は知らないの?」
「んー? だって居場所も何も、留学しに行くって聞いたぞ?」
どこに、と聞くと前の少女がむむむと悩む。
やはり兄さんが留学に行ったものと、周りの皆が信じ込んでいるようだ。
うちのお父さんはマケドニア、お母さんはコロンビアに行ったと証言していた。
両親なのに既に言っていることが違う。
――――と、スーが顔を上げた。
「ナイジェリアだったかな」
もうダメだ。
国の名前どころか、大陸すら合っていない。
と言うか最後の『ア』以外どこも共通した部分が無かった。
「…………ちなみに、誰から聞いたか覚えてる?」
「うーん?
私の……田舎に住んでるじいちゃんだったかな?」
わたしは頭を抱えた。
スー、流石にそこは疑問に思って欲しかった。
きっとシワの無いツヤツヤした脳みそを持っているのだろう、この子は。
でも、実際に他の人もこんな答えが出てくるから手に負えない。
スーだけがずば抜けておバカなワケでは無い。
…………と、思う。
「ミヤ、溜め息ばっかついてないで、一体なんなのか話してくれよー!
気になるだろー?」
「えぇー…………」
「ぬ、バカにしてるな!?
私はボーイッシュなのは甘んじて認めるけど、言われのないバカ扱いは認めないぜ!」
それならと、今度はスーのカン違い(思い込み?)を正す所から始める事にした。
一つずつ説明する。
丁寧に、丁寧に。
兄さんが突然消えてしまった事。
それ以来、ずっと姿を見ていない事。
そもそも留学なんてするような人じゃないのだ、という事。
しかし探しても見当も付かない上、周りの様子もなんだかおかしい事。
「あー、そりゃ駆け落ちだね! 間違いないね!」
すぐさまとんでもない結論が帰ってきた。
わたしが話し終えてからほぼノータイムだった。
しかも妙に嬉しそうだった。
「いやいやいや!?
わ、わたし、兄貴が居なくなる直前まで電話してたんだよ!?」
そうさっき説明したコトを言うと、スーは小難しい感じの表情で肩をすくめられた。
謎の解けた探偵が、何も判ってない刑事に対してするような表情だった。
正直似合ってない。
しかもなんだか腹が立つ。
「ミヤ、男女の仲ってのはそういうものさ……。
汚れを知らないまっしろしろすけなアンタさんは知らないだろうが、怖いもんなんだよ……」
そしてさらに、ふふっと苦笑いを浮かべて遠くを見るような表情をしている。
なんでわたしが諭されてるんだ。
あとそんなさも自分は辛酸を舐めてきたと言わんばかりにポーズを取っているけど、スーはどうなんだ。
「……そもそも、どうして口調変わってるの?」
「気のせいだ! まあ、私もよく知らないんだけどな!
男女の仲って何? おいしいの?」
「ダメじゃん!!
でも……兄貴にはそんな人いないよ?」
そもそも隠し事のできない兄さんのこと、何か変化があればすぐに、誰よりもまず先にわたしが判ると思ってたんだけど…………。
「きっとミヤも知らない所でいたんだろー、きっと。
そう、女と男の関係ってのは怖いものなんだよ……」
「さっきからそれしか言ってないじゃん……。
だけど、本当に兄貴については心当たりないんだって。ほら」
手にしたケータイを見せる。
「これは?」
「兄貴のよ」
「……アンタの兄は、パスワードもかけないのかい?」
「幾らなんでもそこまで不用心なコト兄貴もしないって。わたしが解除したの」
一度パスワードを解除してからは、念のために解除したままにしておいたのだ。
誰かに中身を見られないように、絶対に失くさないよう気を使ってはいるから大丈夫。
「それでね、これを…………。
今は連絡先がからっぽになってるけど、一応このアドレス帳に載ってた相手には一人一人会って尋ねるか、それが無理そうなら遠くから観察するだけにして調べて来たのよ。兄貴は部活にもなんにも入ってなかったから同性はまだしも、異性はそれより人数が少なくて単にクラスメイトか同級生って程度。家族はわたし含めて3人、そっちは除外。
それで、その相手が無関係だって判ったらアドレスを消してったんだけど、結局、兄さんとは全員関係なかったみたいだから、これ以上はどうしようもなくて…………」
兄さんの持っていたはずのケータイを操作している内にまた不安が増してきて、つい長く話してしまった。
わたしの名前だけが表示された兄さんのケータイをしまって、俯く。
話していると、兄さんが居ないということをイヤでも実感してしまうのだ。
胸に大きな風穴が開いているような、どこか虚ろな感覚だった。
「怖いわーーーーーー!!
むしろあたしゃ男女とか以前にミヤの事が怖くなったよ! しかも私のほうが今すげーどうしようもない気持ちだよ!!」
しかし、いつも元気な友人はただはしゃぐばかりで、今のわたしの不安をまともに取り合ってくれない。
友達とは言え、お互い違う個人。
兄妹でもなければ、どうしても伝わらないことはあるのだろう……。
「でも、もしアンタの兄貴が帰って来た時はどーすんのそれ? 困るでしょ?」
「わたしのケータイに全部データを移してあるから大丈夫」
兄さんなら笑って許してくれるだろう。
必要悪なのだ。
「アンタの兄さんのプライバシーって……」
「へ? プライバシー?
兄妹で、そんな隠すことなんてある?」
「ホントにないのか!! 怖いな!」
アケミヤの家は相互監視社会なのか、と言っておおげさに慄いている。
他の所も同じようなものじゃないの?
少なくとも、わたしと兄さんの間には無いハズだ。
そうわたしが言うとスーは、そうなんだ、よかったなとなんだか悟ったような顔で遠くの方を向いて真顔になっていた。
確かスーは一人っ子だと言っていたから、そう言われてもあまり想像が出来ないのかも知れない。
「まあでも………………。
確かにそんなら、ミヤの知らない所でお兄さんが消えるってのも変なハナシだなぁ」
前の黒板の方を見て腕を組み、眉をひそめてスーがうなる。
教壇の方にはまだ先生が来ていないから、授業が始まるまでにはもう少しかかるのだろう。
こうして話すのには丁度良かった…………のかも知れない。
「そうでしょ?
兄貴は一人暮らししてたけど土日はわたしが出向いて掃除しに行ってたし、ご飯も作ってあげてたし、お金の扱いも小遣いから銀行の通帳までわたしが管理してたし」
「やっぱり怖いわーーーー!!
ミヤのお兄さんはそれで暮らしてけるのか!?」
「え? すげぇ助かる、ありがとうって言ってくれてたよ?」
「………………そっか…………」
なんだか今まで見たことの無いような顔をしている。
年老いた賢者のような顔だった。
……あ、そう言えば。
確か、わたしのケータイには居なくなった時の事を写真に撮っていた。
兄さんのカバンが捨ててあった現場の近くの写真。
「スー、それでこっちが、兄さんが消えた証拠」
「お、どれどれ」
それには興味があったのか、身を乗り出して覗きこむスー。
「うわ、こっちの地面、ムチャクチャ焦げてるなー……」
「消防士の人も居たけど、そこに人は見当たらなかったって」
「でもミヤ……家って、こんなに丸く焼けるもんなのか?」
「――――――え?」
いきなりスーがぽやっと口にした言葉の意味が理解できず、わたしは困惑した。
途端、頭にズキリと痛みが走り、すぐに止む。
自分で撮った写真を見直す、と。
見た瞬間、その違和感に鳥肌が立った。
「ホントだ…………どうして…………?」
――――――焼け跡が、不自然過ぎる。
わたしが現場に来た時に居た消防士の人は、火事だとして処理していたけど。
焼け跡を調査してから、出火元が判らないくらい焼けているけど人は巻き込まれていないようだ、と結論付けて帰って行ってしまったけど。
その言葉を聞いて、わたしも納得していたけど。
そんなハズは、無い。
見たらすぐに判る。
どうして今まで気付かなかったのか。
単純に家が焼けただけなら、どうあっても家の柱や壁面は残っているだろう。
だがこの『火事』だったと言われた場所には、何も残っていない。
そもそも、こんなに黒い円形を描いて焼け跡が残っているワケが無いんだ。
「わたし、行かないと!」
「どこに!?」
どうして消防士さんも、わたしも、他の人達も疑問に思わなかったのか。
むしろ自分が疑問に思ってしまった今、その事にこそ違和感があった。
『誰も気付かないのに自分だけが気付いている』というのを、一つ、わたしは既に知っている。
兄さんの所在について、だ。
「え!? 授業は!?」
「代返お願い!」
「授業サボんの!? あのマジメなミヤが!?
ど、どうしてそんな…………いや、止めはすまい、ミヤにとってそれ程重要な事ってこっちゃな…………」
なにやら言いながら一人で納得しているスー。
別にそこまで真面目にしていたつもりは無かったけど…………でも、これはもうそんなベクトルで語れる話では無くなってしまった。
何もかもが明らかにおかしい。
やはりあの場所に、兄さんが居なくなった原因の『何か』があるのだ。
それなら、行かないと。
しかしスーは、立ち上がって教室を出ようとしていたわたしの方を見た。
「ミヤ!」
「何?」
「これは、このスーちゃんの勘だがな……。
………………ん? あれ…………、なんかスーチョンって言うと中国の人っぽい……? ミヤはどう思う?」
「じゃあね!!」
「ま、待て待て! ムシはやめてさびしいからぁー!」
立ち去ろうとしたのを、肩を掴まれ止められる。
そして、スーがまた腕を組んで仕切り直した。
「ミヤ。私はなんだかイヤな予感がするぜ。
ほら、わたしゃあんまり頭も良くないバカだろ?」
「うーん………………、うん」
「悩んでから頷くところがまたリアルだな!
ま、まあいいや……。でもバカだからこそなんとなく、深いところがなんとなく見えるんだよ」
直感的に捉えているから、ごちゃごちゃと考えを巡らせるよりも物の本質が見える、という事なのだろう。
判るような気もする。
でも、スーがそんなちゃんとした事を言うとは思わなかった。
いつもバカなことをしているスーが、だ。
「だから、さっきの写真に写ってた物な……なんかヤバそうな気がするんだよ。変なことに巻き込まれそーな、そんな気がな…………」
話すその表情は、真剣なものだった。
いつもバカなことをしているスーが、だ。
だけど、わたしは……。
と、口を開く前にスーがわたしを手で制した。
「そうは言ってもミヤは兄さんが消えたって主張、やっぱりやめないんだろう?」
兄弟姉妹ではないから、心の底までは理解し合えないけど。
友人だからこそ、通じ合えるものもある。
わたしはスーに頷いてみせた。
「…………うん」
「高校の時から、口を開けばやれ兄貴は弁当食べたか、遅刻せずに学校着いたかとか言ってたけど……。
ホントにお兄ちゃんが好きなんだな、妹のミヤちゃんはー」
ぼっ、と。
自分で判るほどに顔が熱くなった。
な、なっ!?
何を根拠にそんなコトを!?
「ばっ…………!? そんなワケ無いでしょ!
わ、わたしが兄さんのこと好きなんてあるワケないんだから!!」
「ここにきて否定!? マジで!?
だってなんかもう兄妹で手ぇ恋人繋ぎに組んで街歩いてそうな勢いだったじゃん!」
「そんな事してない!!」
まだしてない!!
「そ、そうか…………。
いや、もうぶっちゃけどっちでもいいや!
行け、ミヤ! 私はもう止めねえ!
自分の信じた道をゆけー!!」
「別に兄さんの事は好きじゃないけど判った! わたしは、兄貴のコトを信じるわたしを信じる!!
行ってくるね!!」
「おお、なんかドリルでも撃ってきそうな気迫だ! これが愛か!」
「それは違う! けど代返は頼むねスー」
「ういっすー」
そうして、わたしは廊下に飛び出した。
まずは……そう、あの火事跡をもう一度調べる。
意地でも何か手がかりを見つけてやるんだ。
肩にバッグをかけ直し、いっそ正々堂々と、開き直ったような気持ちで校門から出た。
「で、ミヤ、その写真の場所はどこなのさ?」
後ろから話しかけられる。
「なんでスーが居るの!?」
「え? だって、背後は任せろって。
ほら、今もぴったり寄り添ってるぜ?」
「そういう意味じゃないんだけど!?」
CQCでもするかのような背後の至近距離に立たれていた。
「なんだか面白そうだからな!
スーちゃんも着いてくに決まってるだろ!」
「おとなしく授業受けてきなさい!!」
スーも一緒に連れていかなければならないらしい。
どうやら、同行者が増えてしまったようだ。
………………。
…………。
……不安だ。
兄妹愛です。
お読みいただきありがとう御座いました!
ご意見ご感想お待ちしております!