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第二十一話 : 紫色の朝


なんだか間が空いてしまいましたが、第二章の最後のお話になります。

※ただし長くなってしまったので三分割に……。


それではどうぞ!


 


 頬に畳のい草がチクチク当たっている。


 その所為せいで目が覚めてしまった。


 周りを見回すと、辺りが暗い。

 窓の外からの光量が減っているのだ。


 うつ伏せになっていた体を起こすと、外がもう夕暮れを過ぎ、夜に差し掛かっていた事が判った。

 天井の明かりも点いていない。


 今、部屋の光源になっているのは、やりかけのゲームだった。

 テレビに繋がれ、起動したままで放置されている。


「ヨシヒコの奴……」


 ぼやいてそちらにのろのろと向かう。

 寝起きだからか立ち上がるのが妙に億劫だったので、のっそのっそと床を這うようにしてゲーム機の所へ辿り着いた。


 あのヨシヒコめ、おれが寝てるのを良いことにゲームを点けっぱなしで帰りやがったな……。


 二人で始めたのにギャラリーがゲーム観戦を放棄して寝ちゃったのは悪いとは思うが、ヒドい仕打ちだ。

 帰ったんなら、せめて起こしてくれてからでも良いだろうに。


 と、そこで気付いた。


 ゲームの電源が点いているどころか、まだデータ自体がプレイ中だったのだ。


 やっていたのは人気の『アナザーワールド・ファンタズマゴリア』、通称AWFMとも呼ばれるRPGが、ヨシヒコは起動しっぱなしで放置していた。


 見ると、おれが昼寝する前に戦っていたボスのすぐ後。

 実はこの局面、ボスの騎士を倒しても終わりではない。


 闇の力とかそんな素敵なサムシングで凶悪に強くなって復活した騎士と連戦になるのだ。

 想定の範囲内だよぉ!! といった感じである。


 ここの展開は結構難易度が高く、攻略サイトや本を見ずに戦った時はなかなか骨が折れた。


 試行錯誤して味方のバフ、補助魔法を整え、おれ一人のプレイで最初にこのボスを撃破した時は思わずうおおとガッツポーズ、隣の部屋の妹がうるさいと殴り込んで来たほどだ。


 腕を振り上げたポーズからコンマ数秒で日本式五体投地の姿勢になっていなければ、文字通り殴り込まれていた。


 そのボスの攻略をヨシヒコにもノーヒントで挑戦させてみたのだが、どうやら敢えなくリタイアしたようだった。


 まったく、勇者だなんだと言っといてプレイヤーが逃げちゃダメだろ……、と思った所で、画面が目に留まる。


 特に理由があったワケではないけど。


 コントローラを握って一時停止、ポーズの状態になっているのを再開してみた。


 画面が切り替わる。

 暗い部屋にゲームのBGMだけが、自分の仕事を思い出したかのように音を流し始める。


 だが、おれはすぐにため息をついた。


「あー……、こりゃ諦めるわ……」


 テレビに映ったのは案の定、二戦目のボス戦だった。

 黒い鎧に黒いオーラを更に濃くした巨躯の騎士が、胸の前で地面に剣を突き立てて待機している。


 この待機状態の時、まだ敵の体力は健在なのだ。

 おおよそHPがあと全体の七、八割は残っているだろう。


 対して、ボスに挑むプレイヤー側の陣営は半ば戦線崩壊を起こしていた。


 主人公とその仲間合わせて五人。


 仲間の支援職である補助魔法使いはかなり後方でとっくに倒れていて、アタッカーであるはずの二刀流の盗賊シーフは防御魔法が切れたためか、騎士の足元でヤムチャしていた。


 残りの二人だってヒドいものだ。


 二人は両方とも女性キャラで、それぞれ戦闘では防衛職タンク回復役ヒーラーを担当していたようだ。


 ヨシヒコ曰く、


「やっぱり勇者を守るのは若いちゃんねーじゃないとなグヘヘ」


 だそうだ。

 確かそう言っていた。


 ちゃんねーって何だ。

 ヨシヒコおまえ、もしかして本当は年齢二倍くらいあるんじゃないのか。

 ちょっと髪も歳の割に薄い気がするし。


 まあヨシヒコの年齢詐称疑惑は置いておいて、今はゲームの話だ。


 そのタンク役の女性騎士だが、そちらはまだ体力は残っている。

 半分以上はHP(ヒットポイント)が残っているのがメーターで確認できる。


 でも、体力が残っているというだけだ。


 もう後方から補助や回復が届く見込みなんて全く無く、たぶんボスの使用する強力なスキル、『黒十字(ブラッククロス)』を受けたら一撃で隣のシーフのようになってしまうだろう。


 あれは対象が単体ではあるけど威力が冗談みたいに高いから、この時点で持てるどんなに防御力の高い防具を装備していてもキツイ。

 範囲攻撃でないのが唯一の救いではあるが。


 じゃあ回復すれば良いじゃんとは思うものの、そうはいかない。

 ヒーラー役のキャラもプレイヤーの勇者の横に控えている、のだが。


 画面を見ると、彼女の頭の上に石のマークが点滅している事が判る。

 そして極めつけに、キャラの立ち姿が灰色のグラフィックになっていた。


 『石化』しているのだ。


 どんなゲームでも悪評高いこの状態異常は、このAWFMでも変わらず凶悪なバッドステータス。

 罹った場合、ヒーラーの魔法か対応するアイテムを使わない限り、治ることは無い。


 ちなみにアイテム欄を見ると、その治療アイテムは誰も持っていなかった。

 そういえばあの勇者(ヨシヒコ)、ボスが第一形態の時にもりもり使っちまってたな……。


 と言ってる間に、敢えなくボスの前で奮闘していた味方の女性騎士は、例のスキルで倒されてしまった。

 残るのは今おれが操作してるプレイヤーキャラ、勇者だけだ。


 すぐさま相手のAIは生き残っているPTメンバー、つまりこっちに狙いを定めて突進して来る。

 防御用のスキルを使ってはみるものの、あっさりと斬り裂かれ、ノックバックでふっ飛んでしまった。


 そもそも、このボスは第一形態でもソロで勝つことは難しく、第二形態ともなれば尚更だ。


 防御役がきちんと前で踏ん張り、後ろからの補助をしっかりと行い、他のメンバーでダメージを堅実に与えていくことでようやく倒せる相手。


 プレイヤーが一人になった時点で勝ち目はほぼ、無い。


 おれは、コマンドのカーソルを下に動かした。


「やっぱりダメかー……」


 明かりの少ない部屋で溜め息をつく。


 そこには『逃げる』という文字。

 だが、普通の戦闘なら白色で示されているその文字は、今は灰色になっていて選択できない。

 基本的にボス戦やイベント戦では、逃げるを選ぶことは出来ない仕様なのである。


 …………。


 ちょっと気になった。



 ――――『勇者』はなぜ逃げられないのだろう。



 だって、周りが塞がれて閉じ込められているならまだしも、この場面ではどこぞの教会での戦闘。逃げようと思えばどこからでも脱出できるのだ。

 ボス戦だから逃げられない、なんて決めつける事は無いだろう。


 相手の動きも早いとはいえ、こちらも移動系のスキル・魔法を使えばそこまで遅れは取らない。



 しかし、『逃げる』は灰色のままだ。



 味方が斃れていて、その仇を討ちたいというのも判る。

 ボスの騎士を倒さないと教会を取り戻せない、というのも判る。


 だけど。

 自分の命は惜しくないのだろうか。


 ここからどうやっても戦闘が続く限りやられてしまう事は判然としているのに、どうして戦いを続けようとするのか。

 自分に無理を強いて、それでも戦うのか。


 だって、一旦逃げて態勢を整えれば良い。

 それから再び挑み直せば良い。


 あるいは再戦の準備をしている間に、自分以外の誰かが勝手に解決してくれるかもしれない。

 少なくとも自分一人がむざむざと切り裂かれにいく必要はないハズだ。

 そんなもの勇敢どころか、蛮勇とか無謀ですら無い。


 それでも。


 だが、それでも。


 画面の中のアバター、プレイヤーの操作する勇者はノックバックから立ち直り、体力は減ったクセに、何事もなかったかのように持っていた剣を構え直す。

 次の攻撃でやられてしまうのは判りきっているのに、武器を構え直す。


 うーん……、どうしようかな。


 味方を蘇生アイテムで回復できるなら、まだチャンスがあるんだけど……。

 こちらをバッチリ目標にしているボスを見る限り、それは出来ない相談だ。


 そして、相手はこちらのキャラよりも丈のある大剣を振りかぶ…………ることなく、腰から小型の筒のようなものを引き抜く。


 銃だ。


 そのまま騎士は、バン! とこちらを遠くから一発で撃ち抜いた。

 CGで描かれた勇者が、力尽きてぱたんと前のめりに地面に倒れる。


「卑怯くさっ!」


 この銃による攻撃があるために、後方の支援職も気を付けなければならないのだった。

 ヨシヒコのPTに居た補助魔法使いも戦闘フィールドの遠くでやられていたが、恐らくこの攻撃で斃れてしまったのだろう。


 結局、勇者はあっさりとやられて、画面にはゲームオーバーの文字が表示された。


 そして、『CONTINUE?』と文字が大きく表示されて、下にイエスかノーかの選択肢が表れる。

 ノーを選択すればゲームはタイトル画面に戻ってしまうが、イエスを選択すると直前のセーブポイントまで戻ることが出来る。


 流石にヨシヒコもセーブを怠るなんてへまはしていないだろうから、ボスに挑む直前からやり直せるだろう。アイテムを更に補充したいなら、街に戻らないといけないけど。


 ああ、そういう事か。


 ようやく合点がいった。


 プレイヤーの操作する勇者は、一度倒されたところで、何度でも復帰してやり直しが出来るのだ。


 それならば自分を顧みない行動を取れるのも頷ける。

 立ち寄った村の困り事を解決するために、命を張れるのも納得できる。


 だって、プレイヤー自身は傷つくことがないんだもんな。


 そうだよな。


 そんな適当な結論で考えをまとめて、おれはゲーム機に近付いた。

 もう外はこんなに暗いから夕方も過ぎているだろうし、そろそろアカリが夕ご飯を手早く作り終えている頃合いだから。


 我が家の優秀な妹も、もう少しすれば皆をリビングに呼び立てるだろう。

 今からゲームなんて始めてたら、おれではなくゲーム機の方がアカリの有情破顔拳の如き一撃を食らって安らかに壊されてしまう。

 ちなみにおれは別に安らかな顔にはならない。涙目にはなる。


 アケミヤ家の長女は習慣に厳しいのだ。


 まあ、元よりほんの気まぐれにコントローラを握ってみただけ。

 ゲームの中の勇者はプレイヤーが操作する限り戦い続けなければいけないが、プレイヤー自身はヨシヒコのように、そして今のおれのようにあっさり離れることが出来るのだ。


 別にそこには何の疑問も差し挟む余地はない。


 ……ないはずだ。


 それなのに。


 頭の奥に、妙な濁りがあるように感じるのはなんでだろう。


 濁りというべきか。


 何というべきか。


 ムリヤリ言葉にすれば、それは……。


 それは…………。



 ――――『違和感』かもしれない。





 そうしておれはゲームの電源を落として、部屋の電気を点けようと――――――











「…………!! ……!」


 目が覚める。


 閉じた窓の外から遠くに聞こえる騒がしさが、部屋にも響いていた。


 その部屋はと言うと、一昨日、昨日と二日を過ごし、もうだいぶ見慣れた木張りの簡素な部屋。

 木板の壁には、昨日おれが掛けておいたリング付きのパーカーと、隣にはジーンズがわが物顔でぶら下がっている。


 異世界エリネヴァス、その首都にある食堂の一部屋だ。


 身体を起こし、大きく伸びをする。


 甘えたことを言っちゃうと、もし昨日食堂から出て行くことになったりしたら、結構キツかったかもしれないな。精神的に。

 突然どこぞの宿屋に泊まることになれば、気が張って仕方なかっただろう。

 対して、この部屋には慣れもあるし、寝付きもバッチリだった。


 フランさん達食堂一家には、もう頭が上がらないな……。


 昨日お祖父さんは『世話を焼きたいから焼く』と言っていたが、それでは余りにも心苦しい。


 よし、それなら食堂の手伝いにきっちり参加しよう。


 まだ朝は早いようだが、外にはもう喧騒が戻っている。

 まるで一日目に見てきた中央通りのバザールが、すぐ近くで開かれているかと錯覚するほどの賑やかさ。


「…………べ! ……っ…………」


 昨日の人の少なさがウソのようだ。

 確か、昨日はこちらの世界の曜日で言うなら『水』の日で、一昨日が『火』の日。

 『光』の日、三日前が休日だったから火の日が営業再開の書き入れ時、そして昨日がクールタイムになる……、とかベアさんが言っていたな。


 それなら今日は、しゃおらぁ次の光の日までまた気合い入れてこ―ぜ! というようにバザールや店舗の人達が張り切っている、といったところか。


 なんで体育会系な感じになったのかは知らない。

 むしろ祭りっぽい。


 うむむ、どうにもまだ頭が働いていないようだ。ぼんやりする。

 変な夢でも見てたんだろうか。


 気付くと、自分の手が胸の中央の辺りを抑えていた。


(………………?)


 すぐに離す。

 そして、柔らかいベッドから名残惜しさを蹴っ飛ばして飛び起きる。


 そこでやっと、かかりが悪いとちまたでウワサになっているおれの頭のエンジンが動き始めた。

 そもそもお前のはエンジンじゃなくてゼンマイ式じゃないの? という声もある。

 非常に余計なお世話である。


 窓外の街の声も、だいぶ明瞭になって耳に入ってきた。


「早く…………ろ! …………るぞ!!」


 ……いや、なんとなく喧騒の質が違わないか?


 何だこのイヤな感じ。

 どうしようもなく焦燥感が迫ってくる感じ。


 これは『賑やか』なんてモノじゃない!


 おれは窓に駆け寄った。

 頭はもう既に、突然冷水を掛けられたかのように覚めている。


 そして、窓を開けて声の発信源を探そう…………として、止まる。

 ガラス窓の留め具を外そうとしたところで、それ以上動けなくなった。


 なぜなら、外の光景が目に入ったから。



 ――――紫色(ムラサキイロ)になった空が、見えてしまったから。



 街の景色が変わっていた。


 陽は出ているのに、街並みにも昨日と変わった所はないのに、空だけが昨日と変わっている。空の色だけが違う。

 様子がおかしい。


 それは、おれの見たことの無い何か。


 元の世界は無論、異世界に来て食堂で過ごした二日間にも目にしなかった異様な光景。


 食堂…………。


(……そうだ、フランさんは!?)


 フランさんなら、この食堂のお祖父さんやお祖母さんならこの『何か』を知っているんじゃ!?

 少なくとも、おれよりは絶対にこの街に詳しい!


 窓を突き飛ばすようにして部屋の反対、ドアを開けて廊下へと出る。


 寝間着から着替えることも忘れていたが、そんなの今はどうでも良い。

 胸中で膨れ上がる不安の方がそれを上回る。


 何よりも、まず一階に行かなければ。


 おれは一足飛びに階段を、手すりを伝って駆け下りた。

 大きな音を立てて着地し、階下に辿り着く。


「あ、ヒカリ! 朝からそんな音立てちゃ、駄目でしょうー?」

「フランさん!!」


 ホールに着くよりも早く、目的の人と出会えた。

 その事に少しだけ安堵する。


 なぜか、もう会えないのではないかと思ってしまったから。


 目的の人、いつものように赤髪混じりの栗色の髪をバレッタで留めた彼女は、おれを見て柔らかく微笑む。いつも通りの光景だ。


「どうしたの―?」


 フランさんはと言えば、木で出来た水桶を手にしていた。

 いつの間にか回収されていたおれの服、昨日の午後から借りていたお祖父さんの服も小脇に抱えられている。


 まったく、この人は朝から働き熱心だなあ……。


「いえ……大丈夫です。フランさん、その桶は?」

「んー? これ?

 今から洗濯しておかないと、仕事が間に合わなくなっちゃうからねー」


 よく服を汚して帰ってくる子もいるしー、とまた微笑む。

 ほにゃっとした笑い顔も、見慣れたもので。


 おおかた、昨日も朝に行っていたホール掃除のついでに、残った水で衣類も洗ってしまおうといったところだろうか。


 ……なんだ。

 こんなに焦ることはなかったのかもしれない。

 おれの早とちりか。


 そこまで考えて、緊張を解く。

 下を向いて膝に手を付き、寝起きに走るという健康に悪そうな運動をかましたために出ていた汗を拭う。


「なーにヒカリ、そんなに汗かいちゃっ、て……」


 言葉が途切れると同時、ゴドン、という音が床に響く。


 木の床を映す視界の端から、水が広がってきた。


「……ん?」


 顔を上げる。

 妙に時間の経ちが遅く感じられた。


 途端。


 地面に落ちた水桶を見るか見ないかのおれの目の前が、ふわっとした栗色で覆われる。


 フランさんに抱きつかれたのだ。


「ふ、フランさん!?」


 突然の事に、肩を押さえ引き離そうとする、と。


 彼女は糸が切れたように崩れ落ちそうになる。


 慌てて肩を掴み、支える。


 そしてそこで漸く、目の前の女性の状態に気付いた。



 ――――――意識を、失っている。









「やっぱり……」


 フランさんの額に当てていた手を離し、エマさんがこちらを振り返る。


 こちらとは言っても、おれとシスターさんとの間にはフランさんの祖父母、テルムさんとジナさんがイスに座っていた。

 そこから少し離れた所に、微妙に所在のないおれがつっ立っている感じだ。


 あれから、食堂でフランさんが倒れてから、おれはすぐに彼女を施療院に運んできた。

 お祖父さんとお祖母さんに先に行ってもらい、自分も院に駆け込んだのは良いのだが……。


「やはり、他の方達と同じ症状ですね。

 生命に別状はありませんが、でも…………」


 診断していたエマさんがこちらを見て、さらに奥のほうを見る。

 おれも後ろを振り返った。

 そこには、現実とは思えないような光景が広がっている。


 施療院の奥にあるこの場所からは入口の方までが見えるの、だが。

 どこもかしこも、人で溢れている。


 元から備え付けられていた石造りのベッドではもう足りず、床にありったけの毛布や布を敷いている。

 その上に、寝ている人、しゃがみ込んでいる人、 壁にもたれ掛かっている人…………。


 彼らの体勢こそ様々ではあるが、共通しているのは。

 全員が苦しそうにしていること。


 その身体から、毒々しい色――紫色だ、ここでも――の得体の知れない煙のようなモノが出ていること。


「それで……、一体これは、何なんですか?」


 尋ねると、シスターさんは一瞬考えるような表情になり。

 そして口を開く。



「『魔素侵蝕(マソシンショク)』です」



 魔素(マソ)とは、この世界で魔法を使うために必要な元素のようなもの。『火』・『水』・『風』・『土』の四元素に対して働きかけ、魔法を形作る。


 そんな説明はどこかで聞いた覚えがある。


 確か、こう…………暗くてジメジメしたキノコとか生えてそうな場所で、聞いたような気が?

 ……いや、それは今は別にどうでもいいんだ。


「魔素、侵蝕」


 口の中で呟く。

 言葉からして、嫌な響きしかしなかった。


 そしてエマさんに説明してもらった内容は、次のようなもの。


 『魔素制御法』、要は魔法マホウの行使に必要な魔素だが、この世界の人々はそれを一旦体に取り込んでから自分の物にして、それを今度は外側に向けることで魔法を発動している。いわゆる『MP(マジックポイント)』とは、この取り込んだモノを数値にしたものである。


 この『自分の物』というのがミソであり、MPの最大値は『魔素を吸収して、保有出来る量』を示している。


 では、その吸収量を超えて過剰な濃度の魔素が体に浸透してしまうとどうなるか。

 その状態が長く続いてしまうとどうなるか。


 四元素に働きかける魔素は、過剰量になるとヘタすれば体組織を破壊してしまうため、身体は処理しきれない魔素を外へ排出して対応しようとする。


 カゼを引いた時に、自分の体がウィルスを追い出そうとするのと同じ感覚だろう。


 さらに問題なのは、この病気は能力値ステータスの中にあるRES(魔法抵抗力)の高低は関係がなく、魔素の濃度によって罹ってしまうということ。

 ややこしい事に、RESは正確には『魔法』にどれだけ耐えられるかを示す値であり、『魔素』そのものへの抵抗力は関係ないのだそうだ。


 その結果が、高熱と、体を取り巻く紫色の瘴気。

 丁度、今のフランさんのような状態だ。


 治療法は、魔素の薄い場所で過ごし、身体から魔素が抜けるのを待つことしかない。

 明確な対症療法は無いのだ。


「なので、しばらく施療院ここで安静にしてさえいれば、身体の魔素の濃度も下がり、体調も良くなるハズなのですが……」


 言い淀むのも判らなくはない。


 なにしろ、患者の数が多過ぎる。

 おれ達の後ろ、院の広間で寝かされている人達。


 ――――その全員から、瘴気が出ているのがよく見ずとも判る。


 間違いなく魔素侵蝕の症状だった。


 外に居た人達の結構な人数が突然バタバタと倒れ、こちらに運ばれてきたのだ。

 今でも運ばれてくる患者は増え続け、エマさん含むシスター達が対応している。


「こんな、沢山の人が一斉にかかるものなんですか?」

「いや、特に魔素の濃い南方の大森林でもないと、ここまで酷い侵蝕にはならないハズなんじゃがな……」


 おれの質問に答えたのは、お祖父さんだった。

 この現象について知識があったのだろう、フランさんに顔を向けたままこちらに答える。


 確かに、魔素侵蝕の話を聞く限り、これは日常生活をする中で罹るような病では無いだろう。

 それだとそもそも生活出来なくなってしまう。


 しかし今は、外に出ているだけでこの病気に罹る可能性があるらしい。


 つまりこれは平時ではあり得ない事態。異常な状態。

 すると、空が紫色に染まっているのも何か関連性があるのだろうか?


 そう言うと、まだ詳しいことは判りません、とエマさんに返された。

 院のシスターである彼女も、全容を把握してはいないとのこと。


 と、そこで、表の方でエマさんを呼ぶ声。

 また新しく倒れた人が運ばれて来たのだ。


 フランさんをお祖父さんお祖母さんに任せ、おれもそちらについて行く。

 一先ず彼女に命の危機は無いと聞いて、安心したというのもある。

 院の中にいれば病状は悪化しないと信じよう。


 入り口に行くと、呼びつけた他のシスターさんの隣に、腕にウロコの生えた青年が荒い息をつき、彼より年上の職人らしき人を背負っていた。


「大変だ! 通りで店出そうとしたらよ、お師匠さんがぶっ倒れちまって!」

「大丈夫ですから、落ち着いてください」


 そう声を掛けてウロコの青年を宥めたエマさんが、お師匠さんと呼ばれた人を診察。

 やはり他の人と同じ様な症状が出ているのを確認して、広間の空いているスペースに運ぶことになった。


 おれとウロコの青年とで両側から抱えるようにして運びながら、前を歩くエマさんに訊いてみる。


 こんな前後も判らないような状況だけど、それでも。


「何か、おれに手伝える事はないですかね?」

「え……?」

「たぶんシスターさん達も手一杯でしょうから、自分にも出来ることがあれば良いな、と」

「そう、ですね……」


 エマさんは、床に新しい患者を横たわらせたおれの言葉に思案し、それから隣の青年を見て――――。


 躊躇いがちに、口を開く。



「では、お願いしたい事が一つあります」


 


お読みいただき有難うございました。


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