知らない他人の事情
『お疲れ様です』
ロングヘアの髪の毛を雑に後ろでまとめた女性。
茶髪に染め上げた髪の毛は色が抜けかけて半分黒くなっている。
扉を小さくノックして返事を待たずに開いてしまうところなど、どこか余裕がなく、そしてやつれているようにも、せっぱつまっているようにも見える。
この女性をあたしは知っていた。
彼女はあたしの総務にいた時の後輩だった。
彼女は仕事ができる子だったので、割とすぐに企画の方に異動になったから、あたしはそんなに話をしたことはない……。
確か名前は芳川優里さん。
『お疲れ様、どうぞ』
あたしはパソコンのデスクの椅子をクルリと横に半回転させて扉の方を見た。
ちょうど芳川さんが大きなトートバッグを抱えて、部屋の中に入ってくるところだった。
所在なさげに部屋を見回している彼女にあたしは部屋の真ん中にあるテーブルの椅子を薦めた。
彼女はおずおずと椅子に座った。
『仕事は大丈夫??』
あたしはコーヒーを淹れながら言った。
『あ……はい……。今日は半日休暇をもらいました』
『お休みを??』
『はい。ちょっと折り入って話があるもので』
折り入って話があるとは……この相談室が始まって以来のことだ。
折り入って……
話……
なんだろう……
通常、相談室には休暇などとらなくても、仕事の合間にきてくれればいい。
仕事を休んでまで来るなんてよほどのことなのかもしれない。
『あら……そう。でも何も休まなくても良かったのに……。相談なら仕事の合間でも大丈夫なのよ』
『それは広報を読んで知っていたんですけど……忙しくてなかなかこちらにお邪魔できなくて。それで思い切って休暇をとったんです』
『この時期ってどこの部署も忙しいからね。芳川さんは今、どこだっけ??』
あたしは知ってて聞いた。
話のきっかけをつかむための会話だ。
そもそも芳川さんとは総務にいたころからたくさん話した間柄ではない。
そうこうしていると彼女は異動してしまったし、あたしは妊娠して人のことどころではなくなってしまった。
お互いのことは同じ部署にいてもさほど知らないということは珍しくもない。
だから知っていて『今、どこの部署だっけ?』と聞いたところで『あれ? 知らないのかな??』ぐらいのものなのだ。
『今は企画部です。年末になると歳末の在庫一斉セールをやる取引先も多くて、その企画で忙しいんですよ』
芳川さんは髪の毛をかきあげながら言った。
だけど彼女は今、後ろで髪をまとめているからかきあげる髪はない。
人は言い出しづらいことを話さなければならないときに内面の動揺がこういう不自然な行為であらわれることがある。
『忙しいのにお休みとって大丈夫なの?』
『本当は大丈夫じゃないんですけど、休みとらないとここには来れないような雰囲気なんで……』
『そうなんだ。あたしみたいにあくびが出るぐらい暇なのも問題だけど、忙しすぎるのも問題よね』
『はい……。あの……その……実はですね』
久しぶりに見た彼女は化粧気が少なくなったように見える。
総務にいた頃の彼女のイメージからはずいぶん変わった……。
確か……総務にいた時は、化粧もキチンとしていたし、着るものにももっとこだわっていたように思える。
相談室には相変わらずクラシックが流れている。
心が落ち着くからだ。
ショパンの『別れの曲』が耳に心地いい。
芳川さんは言い出しづらそうに話を続けた。
『あたし、子供がいるんですよ』




