仕事……
『明日葉』という名前のうどん屋さんは、会社の近くにあって、朝早くから開店していてランチもやっており、夜はちょっとした居酒屋にもなる。
小さなお店であたしと同じぐらいの年齢の女性が一人で店主をやっているのだが、どれを食べても安くてとても美味しい。
ランチの時間に行くと少し混みあっていることも多いのだが、夜はけっこう空いている。
こじんまりとした店内に静かなクラシックの曲が流れている。
あたしはここできつねうどんを食べるのが好きで、実は少し前にも志保ちゃんと一緒に行ったことがある。メニューを見る限りでは夜の時間も充実しているように見えて、いつかは行きたいと考えていたのだけど、なかなか機会がなく夜に行くのは今回が初めてだった。
そういえば……
飲み会自体、久しぶりだ。
お酒は飲めないことはない。
好きか嫌いかと問われれば好きだ。
いや……問われなくとも、あたしはお酒が好きで、家ではほとんど毎晩のようにお酒を呑んでいる。
そもそもあたしは妊娠する前も毎晩のように呑んでいたのだ。
もちろん、お腹に赤ちゃんがいるうちは飲んでいない。
流産してしまった後もしばらくはお酒どころではなかった。
あれから数か月……
気が付けば、以前と同じようにお酒を楽しんでいる。
流産してヤケになっている……というわけではない。
ヤケになっていないかどうか……と聞かれれば、ヤケになっていないというのはウソになるが、別にお酒におぼれいるわけでもない。
だからそういう意味では健全なのである。
ふとあたしは若い頃を思い出した。
お酒が好きで、日本酒や焼酎の蔵元に行ったりするのが楽しかった。
今でもいくつかの焼酎や日本酒を取り寄せて呑んでいる。
家で吉希と野球を見ながら飲むのも楽しいけど、こうやって外でわいわい言いながら呑むのも好きだ。
もしかしたら今日の飲み会を一番楽しみにしていたのは他でもないあたしなのかもしれない。
結局……
飲み会のメンバーは石岡くん、志保ちゃん、杏奈、山本さん、そしてあたしになった。
山本夫婦の悩みをガッツリ聞かされている分、この飲み会に夫婦で呼ぶのは気が引けたが、山本さんだけを呼んで杏奈にあらぬ疑いをもたれても仕方ないし、杏奈だけ呼んでしまっては、当初の『山本さんを元気づける』という石岡くんとの話の目的が達成されないし……それならもういっそのこと夫婦で呼んでしまおうと思ったわけだ。
まさか二人もみんながいる前では喧嘩しないだろう。
待ち合わせは終業時間の18時から1時間後の19時に……。
あたしは幹事なので少し早めに行くことにした。
相談室の扉を出て、総務の前を通ったら杏奈がおり、偶然にも会社の前で志保ちゃんに出会った。
石岡くんと山本さんは営業だから外回りでたぶん遅れてしまうだろう。
『うちの旦那。絶対に遅れるわよ』
『外回りしてるしね』
『先にうちらだけで始めとこうよ』
あたしたち三人はそんなことを話しながらお店に向かった。
杏奈も志保ちゃんもお酒はそんなにキライじゃないようで、『暑いから早く冷たいビールが飲みたい』という話題でしばらく盛り上がりながら、お店の暖簾をくぐった。
夏は終わり、時折涼しい風も吹く毎日ではあるが、少し身体を動かすとやはり汗をかくし、冷たいビールとはしばらく縁が切れそうにもない。
そういえば、志保ちゃんと杏奈は初対面ではあるが、思ったより話が合う様子だった。
そもそも志保ちゃんは仕事に対して職人気質なところがある。その仕事に対する姿勢が杏奈と合ったようだ。
『生ビール中ジョッキを3つください』
席についてすぐにビールを頼む。
注文をとった若い女の子は『かしこまりました』と言ってすぐに厨房に消えていった。
『素材にこだわればいいものが仕上がりますけど、そうなると原価が上がってしまいますからね……』
『そうなのよねえ』
『でも作っている方としては、なるべくいいものを長く使ってもらいたいって思うんですよ』
『そうそう。会社は原価を安くしてなるべく売上を伸ばせって言うけど、そうじゃないと思うのよね』
仕事に対してこの二人ほどの情熱もないあたしは、二人が最初のビールを飲み始めて、そんな話を初めてからはずっと黙って聞き役に徹していた。
確かに杏奈は営業をやっていた割には商品を売ることよりも、商品の品質にこだわっている。
『いいものを長く使ってほしい』と言う言葉は杏奈の口癖だった。
そんな杏奈だからこそ、逆に営業には向かなかったのかもしれない。
もちろん今の総務の仕事も向いているとは到底思えないが……。
この二人の仕事への情熱はあたしにとっては眩しすぎる……。
というのも、あたしは仕事がそんなに好きではない。
だからと言って、キライというわけではないが……まあ、有り体に言えば、あたしはどんな仕事でも仕事そのものがそんなに好きではない怠け者なのだ。
もちろん極端に好きになる仕事もあるかもしれないが、そういう仕事というのは就ける可能性が限りなく低い、特殊な才能を求められるような仕事であるからして、最初からあたしの中では『仕事』というカテゴリには入れていない。
仕事の何が嫌なのか……。
基本的にあたしは、朝、出勤して、会社の就業規則にしたがって1日ずっと仕事をする、という行為そのものが窮屈なのである。
まあ……そんなことを言ったところで、生活があるわけだから仕事しないわけも行かないからあたしは毎日、仕事をしている。流産した時は……仕事を辞めてしまおうかとも思ったのだが、あのとき本当に仕事を辞めてしまったなら、寂しさとやるせなさに押しつぶされて病気になってしまっていたかもしれない。
あたしは最近、仕事というものはそんなに好きではないからと言ってもやらなくていいものではないということを、つくづく感じている。




