その内面にあるもの
コンコン……
運命が扉をたたく音がする。
『どうぞ』
扉を開けて入ってきたのは杏奈だった。
結婚してからは初めて会うのだが、疲れているというか……少し元気がない感じがする。
いつものショートカットの髪型は少し伸びつつあり、印象も独身時代と比べてぴりっとした感じがない。
なんとなく、表情にもいつもの明るさやキレがない……と思うのはあたしの先入観のせいなんだろうか?
『お疲れ様。どうしたの??』
『ちょっと聞いてくれる?!』
杏奈は少しイライラしていた。
何か不安とか分からないこととか……状況を打破するためにひと手間かけなければいけないことがあると彼女はイライラし始める。そうなると少し周りが見えなくなり、相手のことなどお構いなしに自分の不満をぶちまげるところは独身時代から変わっていない。
まあ……人間と言うものはそうそう変われるものではないのだ。
あたしにしても結婚して主婦になれば、もう少しスピーディーに物事を運べるのではないか? と思っていたが、結局、そんなに変わっておらずとろいままだ……。
要はそんなものだろう。
杏奈の場合、不満をぶちまげるときの迫力が相談というよりまるで怒っているかのような勢いで話す。それが原因で彼女は多くの人間から避けられてしまっているのではないかとあたしは思っている。
怒っているかのように話す……というが、実際には怒ってはいないのだ。
ただ虚勢を張って弱い自分を隠そうとしているのである。
そういうことは表面的には分からない。
もしかしたらあたしと杏奈は『山月記』の袁傪と李徴の関係に近いのかもしれない。
隴西の李徴は郷里の秀才。
その才能ゆえに一役人の仕事に徹することができずに、詩人になろうとするが片意地で自負心が強く、プライドの高い性格が災いしてうまく行かず……ついには行方不明になってしまう。
李徴の数少ない友人である袁傪はそんなプライドの高い李徴の気持ちを柔らかく察することができる人物だったのでは? と確か高校の頃の国語教師は解説していた。
袁傪とは違いあたしの場合は相手の『気持ちを柔らかに察する』ということはできないと思うから……ただ単に鈍いだけなのだと思う。
あたしの記憶が正しければ、この『山月記』の結末は、最終的に、李徴はその片意地で自負心が強い獣のような凶暴さを自分の中に抑えることができずに、気が付けば本当の虎になってしまう……と言った話だった。
虎になった李徴が袁傪と再会し、どうして自分がこうなったのかを邂逅していくシーンがあの物語のもっとも素晴らしいところだと思う。
もっとも……いくらあたしが阪神ファンでも杏奈に虎になられら困るが……。
何の自信もなく相談室に勤務しているあたしだが……鈍いという意味では案外この仕事に向いているのかもしれない。
相談室とは自分が普段持っている不安、不満、喜び、悲しみなどを吐き出す場所で、そこにいる相談員はそれらをある程度受け入れてやらなければならないとあたしは思っている。
受け入れるという作業は、非常に疲れる作業で、いい意味で鈍くないとできない仕事でもあると思う。
この鈍さとは違って重要なのは、専門用語でいうところの『傾聴』と『共感』である。
傾聴とは……人の話をただ聞くのではなく、注意を払って、より深く、丁寧に耳を傾けること。自分の聞きたいことを聞くのではなく、相手が話したいこと、伝えたいことを、受容的・共感的な態度で真摯に『聴く』行為や技法を指す。それによって相手への理解を深めると同時に、相手も自分自身に対する理解を深め、納得のいく判断や結論に到達できるようサポートするのが傾聴のねらいではあるのだが……。
あたしは……この『傾聴』がどこまでできているのだろうか……。
ただ『聞く』だけならできているのだが……。




