言葉の重み
貴方は、間違った言葉を使っていませんか?
短編で「言葉の重み」について書いてみました。
「そして」と言う言葉。
この言葉は、前に何かしらの言葉が無ければ存在してはいけない。
言葉は人に従い、人が言葉を扱う。言わば主従関係で成り立っている。
だが身分や肩書きによっては、言葉が人の上に存在する場合がある。
会社の上司、目上の人からの「命令口調」...これは誰にでも、何度でも降り注ぐ言葉であり自らも扱う口調である。
さて、急にではあるが少し自分の話を聞いて頂きたい。
私にはとても嫌いな言葉がある。それは「死ね」や「殺す」などと言う、大変不快な言葉。
実は著者の中学生の頃に学校では、前記の不快な言葉が軽々しく乱用されていた。
使っている当人達はきっと、相手に悪気はなく言っていたのであろう。
集団心理で「赤信号、皆で渡れば怒られない」の様に「皆が使っているから平気」「あの人も、この人も使っているから」と言う駄目な心理サイクルに陥っていたのであろう。
よく考えて頂きたい。貴方の大事な人や友達に、もし「死ね」「殺す」と言っていた、言われたら...貴方は、相手はどう思うかを考えてみて頂きたい。
もう最後になるが、人が嫌がる言葉は本来、有ってはいけない言葉。
もし普段、何気無く言っていた言葉に相手を不快にさせるフレーズが入っていたら、あなたはどうしますか?
人に良い事をすれば自分に還ってくる。
小さな親切でも、必ず自分に幸福が舞い戻る。
「親切をして、ほんのちょっと見返りを期待する」それも良いと思う。
だって「親切」をしたのは事実なのだから。