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公爵令嬢(6)、今日も威厳を保ちたい!

作者: 錆猫てん
掲載日:2025/10/20

 ユーフィリア・クレイジオ――

 この名を知らぬ者は、王国の上流階級にはいない。


 彼女は公爵家の一人娘であり、王太子の婚約者であり――

 そして何より、社交界を牽引する存在であった。


 艶やかな金糸の髪、氷のように澄んだ青い瞳。

 容姿の端麗さはもちろん、その才知と礼儀作法の完璧さから、彼女は「威厳の化身」とさえ呼ばれている。


 一歩、彼女が舞踏会の床を踏みしめれば、貴族たちは自然と道を空ける。

 一言、彼女が微笑めば、侯爵夫人たちが息を詰める。

 そして、ひとたび視線を投げれば、若き騎士たちがその場で硬直する。


 ――それほどの令嬢であった。


 そんなユーフィリアが、ある朝。


 目を覚ますと――


「…………え?」


 視界がひどく低い。

 寝台がやたらと大きく見える。

 そしてなにより……自分の手が、信じられないほどぷにぷにしている。


「お嬢様、そろそろお目覚めの――」


 扉が開き、侍女たちが部屋に足を踏み入れた。

 直後、一瞬で世界が静止する。


「……え?」

「お嬢さま……?」

「ち、ちいさい……え、ええええええええええええええっ!!???」


 部屋が悲鳴に包まれた。

 家令も慌てて駆けつけ、扉の向こうでは「きゃああああっ!」という侍女の声が反響する。


 寝台の上に座っていたのは――

 ふわふわの金髪と、あまりにもあどけない顔立ちの、六歳ほどの幼女だった。

 もちろん、それは他でもない。ユーフィリア本人である。


 本人は驚きこそしたが、眉ひとつ動かさなかった。

 なぜなら、彼女は公爵令嬢。

 多少の異常事態などで、威厳を失うわけにはいかないのだ。


「じじょうは分かりましぇんが、公爵令嬢たるわたくちが、この程度でどうようするとでも?」


 舌足らずな声で、威厳たっぷりに言い放つ。

 しかし、「ぱちん」と鳴らした指先は「ぺちっ」と頼りない音を立てただけだった。


「エルザ!」


「はっ、はいっ! お嬢様っ!!」


「登校じこくでしゅ、しょうきゅうにしゅたくをなさい!」


「さ、さすがですお嬢様! ただいまご支度をっ!!」


 侍女エルザが叫び、他の侍女も家令も崩れ落ちる。

 震える声で「かわいい……」と誰かが呟いた。


 ――その日、公爵邸は一瞬で天国になった。


***


 馬車が石畳の上を進む。

 窓の外に広がるのは、整えられた街路樹と、朝の澄んだ空気。


 ユーフィリアはいつも通り、背筋を伸ばして座っていた。

 本人は「いつも通り」のつもりだったが、実際には――ふわふわの金髪が陽の光を受けてきらきらと輝き、真っ白なドレスの袖が小さな肩に揺れている。


 到着した学院の門前では、生徒や教師たちが登校していた。

 銀の扉が開く。


 そして――


「……え」

「……あれ、ユーフィリア様じゃない?」

「え、ちいさい……」「尊い……」「まぶしい……」


 騒然となる中、ユーフィリアは一歩を踏み出した。

 ちょこちょこと小さな足音が響く。

 本人は凛と歩いているつもりだが、傍から見れば完全に“歩く天使”である。


「ごきげんよう、みなさま」


 舌足らずな挨拶が響いた瞬間、生徒の何人かが胸を押さえて崩れ落ちた。

 護衛の騎士まで顔を背け、目頭を押さえている。


 そこへ、王太子がやってくる。

 一瞬で彼の瞳が見開かれた。


「こ、これが……あのユーフィリア……?」


 ぽつりと漏れた言葉は、朝の空気に吸い込まれていく。


「か、かわいい……天使じゃないか……」


 そして次の瞬間、顔を真っ赤にして叫んだ。


「ち、違う! 違わないけど違う! ボクは幼女趣味じゃないっ!!」


 騎士の一人が肩を震わせて吹き出した。

 ユーフィリアは当然、そんなことには気づいていない。


 彼女は“いつも通り”、堂々とちょこちょこ歩いて学院の中へと進んでいった。


***


 午前の授業。

 教室に集まる貴族子女たちの中で、ユーフィリアは当然のように最前列に座っていた。

 机に座る姿は……ちょこん、と言う以外に表現のしようがない。


「では、この問題を――ユーフィリアさん、お願いできますか?」


 教師が指名する。

 教室がざわつく。


「わかりましたわ、せんしぇい」


 立ち上がったユーフィリアは、短い足で黒板に向かう。

 んしょ、んしょ……と一段一段、階段をのぼるようにして前へ。


 そして、ぴたりと黒板の前で止まった。


「……」


 しばしの沈黙ののち、潤んだ瞳でこちらを振り返る。


「せんしぇい、申し訳ございません……黒板に届きませんの……(涙目)」


 ズキューン

 教室中に何かが刺さったような音がした。


「か、わっ……すぐに台座を用意させます!」


 教師が理性崩壊しかけて慌てふためき、生徒たちは胸を押さえる。


 小さな踏み台の上にちょこんと立ち、チョークを握って問題を解くユーフィリア。

 その姿は、もはや罪であった。


「……あれが、あのユーフィリア様……?」

「真面目なのに、かわいすぎる……」

「いや、むしろ真面目だからこそかわいい……!」


 教室中がざわつき続けた。


***


 放課後。

 ユーフィリアは予定通り、自身が主催する茶会の会場にいた。


 本来ならば、この茶会は社交界でも一目置かれる「格式高い」場である。

 だが今、その席の主催者は――小さなティーテーブルにちょこんと座った幼女だった。


「ごきげんよう、みなさま。本日はお集まりいただきありがとうございます」


 参加者たちが一瞬で昇天した。

 貴族令嬢も令息も、あまりの破壊力に目を見開く。


「まぁ……」「かわいい……」「尊い……」「これは事件……」


 本人は真剣そのものだった。

 震える手でポットを持ち、少し背伸びして紅茶を注ぐ。

 その一生懸命な姿が、逆に人々の心を鷲掴みにする。


「……さすがユーフィリア様ですわ」

「(いや、意味が違う)」


 会場の外。

 植え込みの陰から、誰かが覗いていた。


(婚約者の状態を視察しなければ……! 断じて可愛いからではない!)


「……かわ……いや違う! 違うのだ!」


 王太子である。

 モブ生徒が「今、王太子じゃなかった?」と小声で囁く。


 しかし、ユーフィリアはそれにも気づかず、きらきらとした目で茶会の進行を務めていた。


***


 茶会は滞りなく――いや、むしろ想定以上の盛況をもって幕を閉じた。


 ユーフィリアはすべてのカップを整え、ゲスト一人ひとりに丁寧な言葉をかけ、完璧な公爵令嬢としての役目を果たした。


 たとえその姿がちびっこでも、たとえ一部の言葉が舌足らずでも――彼女は、ユーフィリア・クレイジオなのだ。


 参加者は一様に頬を赤らめ、感極まったようにため息を漏らしていた。

 茶会の空気は甘く、とろけるような“幸福”に満ちていた。


 ――本来、そんな会合ではないはずなのだが。


 夕刻。

 橙色の陽が地平に傾くころ、ユーフィリアは馬車に乗り込んだ。

 日課である“本日の反省会”が頭の中で開催される。


(なぜか小さくなってしまいましたが、今日も公爵家の令嬢として、威厳を保てました……!)


 胸を張るつもりが、ぽすんと背もたれに沈み込む。

 短い足をぷらぷらさせながら、彼女は小さく満足げにうなずいた。


 けれど――


「……ふぁ」


 瞼がしぱしぱと重くなる。

 陽の光と温もりに包まれて、彼女の表情はあっという間にぽやぽや顔になっていった。


「……エルザ」


「はい、お嬢様!」


「ん……だっこ……(ねむねむ)」


「っ……!!」


 侍女エルザの顔が真っ赤になった。

 その場に崩れ落ちかけながら、彼女は馬車の座席の前にひざまずき、震える声で宣言する。


「はい、お嬢様、こちらへ」

(おおお……! お嬢様……この命に代えましても、馬車からお部屋まで誠心誠意お運びいたします……ッ!!)


「むにゃ……エルザ、お願い、ね……」


(ははあああああっ!! 可愛いいぃいいいッ!!)


 その時だった。

 馬車の扉が勢いよく開き、執務を放り出した父、クレイジオ公爵が現れた。


「フィはどこだ! わしが運ぶ!!」


「だ、旦那様!? お嬢様は私にお願いを……!」


「ええい! 雇用主の意向に逆らうのか!」


「旦那さま! さすがに職権乱用です……!(泣)」


 馬車の中で繰り広げられる、抱っこ権争奪戦。

 ユーフィリアは目を半分閉じたまま、ふにゃふにゃの声でつぶやいた。


「……むにゃ……うるちゃいでしゅ……」


「「ごめんなさい……」」


 天使の一言で、二人の大人が同時にひれ伏した。

 公爵家の威厳など、そこにはなかった。


 その夜――


 王都には、ふたつの噂が流れた。


 クレイジオ公爵家に、天使が舞い降りた。


 そして――


 王太子が植え込みから盗み見していた、と。


最後まで読んで頂きありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
ユーフィリアがとても可愛らしく、ほっこりしました。 彼女を見る人みんなをもれなく癒してくれそうです。
(6)、第6話…?いや違うみたい…と読みましたら、まさかの6歳!! 可愛らしいが過ぎます。王太子の動向をふくめて、いつか続きが読める事を願っています。風邪のイライラが飛びました、ありがとうございます。
ただ一言…続きが見たい
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