第9話・裏切り物の話1
視界を奪う吹雪の中、俺は叫んだ。
「――総員、全力で退却! 敵が来るぞ!」
肌を刺す風、凍りつく地面。
雪ではなく、“魔力”の嵐だと――俺たちはすぐに気づいた。
「……吹雪そのものが、魔法だね」
オリンポスが目を細める。
「間違いない。これ、ココさんの魔力だよ」
頭が真っ白になる。
まるで、目の前の吹雪と同じように。
「ココ……お前が、これを……」
言葉にならない。
信じていた。戦っていた。笑い合っていた――仲間だった。
「ソレナリフの野郎……っ」
エイジが歯を食いしばる。
「平然と裏切りやがって。アイツ、ココを――!」
「ロイド、エイジ」
オリンポスがぴしゃりと現実を突きつける。
「今は反省でも感情でもないよ、“突破”だ。生き延びて、それから考える」
俺たちは頷いた。
でも、逃げるその足元に。
降り積もる白が――いつか彼女が見せた“優しい雪”と、同じだと気づいてしまった。
「――ここまで来れば、ひとまず大丈夫そうだね」
オリンポスが足を止めて、振り返った。
冷たい風が背中をなでる。だが、それは“彼女”の魔力の範囲外に出た証でもあった。
けれど、俺たちの前には――別の絶望が広がっていた。
「……敵の麓まで降りてきちまってるじゃねぇか」
エイジの低い声が、現実を刺す。
後方タカレ山脈にはソレナリフ軍がいて、前方の平原には何処に魔王軍がいるかわからない。
「……このままだと、挟まれて押し潰される。俺たち、袋の鼠だぞ」
「罠だったんだ。きっと最初から」
俺が呟くと、オリンポスが頷いた。
「……うん。あのルート以外に活路はなかった。だから、あそこを選ぶしかなかったんだよね」
オリンポスの目が険しくなる。
「むー、今から、ここからでも“挽回する方法”を考える。それが軍師の役目だからね」
彼の言葉が、わずかに希望を繋いだ。
でも、俺たちの“覚悟”が試されるのは――これからだ。
「……あそこ、旅芸人のキャンプだな」
エイジが遠くの明かりを見つけて呟いた。
「交易でもするか? それとも――略奪?」
冗談めかした口ぶりだったが、目は笑っていなかった。
それほどまでに、俺たちの状況は追い詰められている。
「いや、交渉して混ざれないか?」
俺は慌てて制止する。
「多少武装してても、民間人の集団と一緒なら街に入りやすくなるかもしれない」
「……理屈はわかるが、難しいんじゃねぇか?」
エイジが肩をすくめる。
「こっちは手負いの武装集団。向こうが警戒して逃げ出すか、下手すりゃ襲いかかってくるぞ?」
「そこは僕とロイドで何とか交渉するしかないね」
オリンポスが前に出る。
「エイジは……悪いけど、待機でお願い。顔が怖いから」
「は? 顔ってなんだよ、顔って!」
「ほら、怖いでしょ?」
オリンポスが無表情でそう言い切った。
「……ちっ。わかったよ。信用されてねぇな、俺」
俺たちはそっと笑った。
緊張の糸が一瞬だけ緩む。
……
「あ、別にいいわよ?」
拍子抜けするほどあっさりと、エルフの女性が頷いた。
「……このお人好しさ、想定外だった」 オリンポスがぽつりと呟く。
「俺たちは魔王軍と戦ってる者たちだ。それも、つい先日敗北したばかりの――敗残兵だ。そんな俺たちを匿えば、あなたたちにもリスクが生じる。……本当に、それでも?」
俺は真摯に、正面から伝えた。
下手に誤魔化すより、真実を語るべきだと思ったからだ。
けれど彼女は、まるで気にする様子もなく――にこりと笑った。
「旅は道づれ、世は情け。ね? 私はこの旅芸人一座のトップ、踊り子のクルックっていうの。なんか悪い人には見えないし、助けてあげるわ」
ウインクすら自然にこなすその仕草に、俺は思わず感嘆していた。
「クルックさん……ありがとう。助かります。よろしくお願いします」
「若そうに見えるのに、一座のトップなんてすごいね」 とオリンポスが軽く茶化すと――
クルックの瞳がすっと細くなる。
「……そこ、エルフに“歳”の話を聞くのは禁止。最悪、戦争になるわよ?」
「ごめんなさーい!軽はずみだった!」
オリンポスが秒で謝るあたり、やっぱりこいつも人間だ。
「んじゃ、他の仲間も呼んできて。こっちも受け入れの準備しておくから」
彼女は軽やかに踵を返すと、笑顔のまま一座の奥へと戻っていった。
……
「……これ、通報されてて、あとで背中から刺されるパターンかな」
思わず口をついて出た俺の弱音に、空気が少しだけ重くなる。
「まぁ、気持ちは分かるけど」
オリンポスが小さく息をつく。
「裏切りが続けば、疑心も育つよね。でも他の選択肢がないのも事実。もし彼らが本当に中立なら、敵も簡単には手出しできなくなる。そこは、ちょっと期待してもいいんじゃない?」
彼にしては楽観的な見解だった。……疲れてんのかもしれない。
「とはいえ、受け入れるって言ってるんだから、しばらくは乗っかるしかねぇだろ」 とエイジが腕を組む。
「……警戒は解かねぇけどな。最悪、旅芸人の一座なんざ、どうにでもできる」
その言い方はどうかと思うが――彼の言ってることも、また事実だ。
「……でも、そういう可能性を“当然”として考えなきゃいけない時点で、気が滅入るよな」
俺たちは、いま戦争のただ中にいる。
人を信じることすら“贅沢”になりつつある。
それが――悲しかった。
……
「なるほど……エイジは連れて来なくて正解だったね」
クルックさんが、何やら真剣な顔で俺をジーッと見つめてくる。
「戦士の空気がにじみ出てて、私でもちょっと警戒したかも。にしても……うん、素質はバッチリだね」
「……え?素質?」
「ロイドたち、顔が綺麗すぎんのよ。貴族様の気配ぷんぷん。旅芸人と一緒にいたら目立ちすぎてしょうがないでしょ?」
「それは……まぁ、否定できないけど……」
「だからさ」
バサァッと取り出されたのは――カラフルなメイク道具とド派手な衣装の山。
「――女郎に化けなさいっ!」
「はぁああああ!?」
「武器はそこに置いて、はい座って。さっさと洗顔からからいくよ、次は乳液!」
「ちょ、待って!心の準備がっ! それに俺、勇者なんだが!?」
「勇者も女郎に化ける時代!はい、目つぶって!」
「わー!」
「……ロイド、ご愁傷さま」
……
「さーて、次はオリンポスちゃんの番ね~」
「え、僕もなのっ!? ロイドと違って僕、貴族じゃないよ!? 普通の一般民だよ僕!」
「その綺麗な手見て言いなよ。十分、化けられるっての」
「ぎゃー! エイジー! 助けてー!」
オリンポスの悲鳴がテントに響きわたる。
すでに逃げ道はなかった。
しばらくして――
「……あー、化けたな」
エイジがポリポリと頬をかく。
「普通に可愛い女の子になってやがる。ロイドもオリンポスも……なんか、おもしれぇな」
「じゃあ、エイジは……」
クルックさんの目がギラリと光ったその瞬間。
「――って、俺は熊の着ぐるみかよ!!」
立っていたのは、もふもふの全身スーツを着た“熊”だった。
「お前は女装向きじゃないしな。キャラ的に」
「くっそ、着せられてる間に抵抗できなかった俺が悪いのか!?」
「リアルな熊だよね」
オリンポスが無邪気に笑う。
「ま、黒い瞳は目立つからねぇ」
クルックさんは肩をすくめる。
「最近は“勇者”だなんだって、周囲もピリピリしてるし。だから、動物の檻に入れときゃ無害に見えるのよ」
「俺はもう、“動物枠”かよ! 誰が熊の演技できんだ!」
「後は、兵士たちの装備にも少し小細工を加えれば完璧ね。今のままじゃ、旅芸人の一団には見えないから」
「えっと……色々考えてくれて、ありがとう」
「気にしないで。半分、趣味みたいなもんだし?」
クルックさんは頬を染めてニッコリ。
その表情は、何かを“完成”させた芸術家のそれだった。
「やっぱりね、可愛い子が、可愛い衣装とメイクで、もっと可愛くなるのって最高なのよ! 髪も綺麗だし、メイクのノリも抜群。やっぱりお貴族様は、普段使ってるものが違うのねぇ〜」
「クルックさん、そういう趣味なんだ……」
「お前らはオシャレに女装して、俺は熊かよ!? しかもリアルな熊かよッ!!」
(ガルル)
「今回は無理だったけど、次こそエイジにも素敵なコーディネートしてあげるから! “可愛くなりたい”って気持ちに性別は関係ないのよ?」
クルックさんの目が、またギラリと輝く。
「そうねぇ、ゴールド基調のジャケットスタイルとかどう? この水玉ボレロもお気に入りだし、妖精の羽根つきフリルワンピも絶対似合うと思うの! あっ、これも見て! 竜柄の総レースミニスカとキャミのセットなんだけど――」
「俺は男だ! 女装趣味もねぇ! 熊の着ぐるみが不服なだけなんだって! な、わかるだろ!?」
「じゃあ、どれが着たい?」
クルックが衣装ハンガーを次々掲げながら聞いてくる。
「聞けよ!? 俺の否定、今の完全にスルーしただろ! その光沢スカートとかなんなんだよ! 熊の方がマシだってよ!!」
「いや、でもエイジ、すでに熊の着ぐるみ着てるし……説得力ゼロだよ?」
と、オリンポスが笑いをこらえつつ毒を吐く。
「ふふふっ、楽しくなってきたー♪」
クルックの目が爛々と輝いていた。
その日、エイジがまた新たな“試着ショー”の餌食になるのは、もはや避けようのない運命だった。
……