第7話・異世界人の話3
《日誌より抜粋》
私は、魔王を倒したとき、世界の間を見た。
魔王とは、超自然的なエネルギーの塊である。
その力こそ、異世界の扉を開く“鍵”。
おそらく――あの時、私は元の世界に戻ることができた。
しかし私は、戻らなかった。
すでに、この世界に“愛するもの”があったからだ。
私はなぜ、あのとき帰らなかったのか。
帰っていれば、“幸せな思い出”だけを胸に抱けたはずなのに。
私は、“帰還”の手段を探した。
だが――魔王のいない世界に、そんな力は残されていなかった。
帰りたい
帰りたい
帰りたい
帰りたい
ページを閉じる音が、やけに重たく響いた。
「どう思う、ロイド」
オリンポスが小声で問いかける。
「……これ、エイジに見せてよさそう?」
そんなの、俺にわかるわけがなかった。
「……“魔王が異世界への鍵”か」
俺はゆっくりと息を吐く。
「でも、“倒せば帰れる”って、そう単純な話でもなさそうだな」
「うん。魔王を倒すことで一度は扉が開く。でもそれが唯一の機会だった……って可能性もある」
オリンポスは冷静に言葉を継ぐ。
「ていうか、そもそも“今の魔王軍”に“魔王”がいるのかどうかも怪しいよ」
「……どういうことだ?」
「現状、魔王軍は普通に戦術と戦略で動いてる。超常的な力で蹂躙してくるわけでもない。むしろ“聖剣”の方がよっぽどチート性能してるくらいだよ」
そう言われると……確かに。
「魔王がいないと“帰れない”」
ココが、静かに口を開く。
「この情報だけだと、エイジさんは――さらに絶望してしまう可能性も、あると思います」
重苦しい空気が漂う。
「……父さんに聞いてみる」
俺は言った。
「何か知ってるかもしれないし、他の手がかりがあるかもしれない。わずかでも、望みがあるなら――俺は、試したい」
「あー、まぁ……聞いた話ならしてやれるよ」
父さん――カットールが、肩を回しながら言った。
「って、なんで剣持ってんだよ!」
思わずツッコミを入れる。
「再戦だ」
父さんはニヤリと笑う。
「お前が、どれだけ強くなったか。見てやるよ」
「……前に俺が勝ったの、気にしてたのかよ?」
「当然だ。情報が欲しいなら――俺に勝つんだな」
バカかこの親。大人気ないにも程がある。
しかも今回は、戦闘用装備も整ってないし、聖剣も気軽に使えるわけじゃない。
「突撃の威力、明らかに前より上がってるし!」
目の前で剣が風を裂く。バチバチと火花が散る。
「ふん、まだまだ手加減してんぞ」
「さあ、どうする? 降参するか?」
……容赦がない。けど、戦いの中でわかる。
隙が少なく、技に無駄がない。普通に強い。
――だが、癖は治ってない。
「集中して、ここッ!」
ズバァッ!
「ふぅ……なかなかやるじゃねぇか」
息を切らしながら、父さんが剣を納める。
「そう何度も、負けてばかりいられねぇよ」
俺がそう言うと、横からオリンポスがすかさず聞いてきた。
「ロイドって、カットールさんに……何勝何敗なの?」
「256戦2勝。ちなみに勝ったのは今回と、少し前の戦いだけだな」
少し恥ずかしいが、子供の頃からずっと挑み続けての戦績だ。まあ、誇ってもいい……かもしれない。
「……もう少し勝てるようになると、いいね」
オリンポスが優しい目で言った。なんか慰められてる気もするけど。
「それで、情報っていうのは何だ?」
カットールはひょいと椅子に腰を下ろしながら言った。
「うんにゃ、初代様のこと調べてただろ? どうせ“召喚”に関する情報が欲しいんだろ?」
「……本当にこの人、知略150なのかな?」
とオリンポスがぽつり。
「絶対もっとあるよね」
思わず同意してしまう。
※ちなみに:
オリンポスの知略は500。
ココは450。
……父さん、あれで150。ホントかよ。
「召喚はな、だいたい50年に1度使えるって言われてる」
カットールは腕を組みながら語り出す。
「原理は知らん。だが、“異世界の住人をこちらに呼び寄せる術式”らしい。……ま、50年前は誰も使ってねぇがな。魔力の消費がえげつないって話だ」
「……で、戻る方法は?」
「初代様の日誌、読んだんだろ?」
カットールが目線をこちらに寄越す。
「ああやって、“帰れない”って記録されてるなら……そんな方法、どこにもねぇよ」
「……でも、“カットールさんが知らないだけ”って可能性はある、と?」
「ま、それも否定はしねぇよ」
肩をすくめながら、カットールはあっさり言った。
「でも――アゾアラスがコイツ(エイジ)を召喚したってのは、まぁ……ろくでもねぇ話だろうな」
「ありがとう、カットールさん」
オリンポスが丁寧に頭を下げる。
「多分、アゾアラス本人に聞くより、よっぽどまともな話が聞けました」
「……父さん。助かったよ」
「子供を助けるのは、親の役目だからな」
と、ふっと目を細めて笑う。
「ま、また行き詰まったら来い。飯でも食わせてやるよ。――あと、孫の顔が見たいから、さっさと彼女作れ」
「いらんお世話だッ!!」
「……情報としては、有意義だったけど」
俺はポツリと呟く。
「でも結局、エイジを“元の世界”に戻す手段は、見つからなかった」
オリンポスが静かに頷く。
「“魔王を倒すこと”が――唯一の可能性、ということ……でしょうか」
ココの声にも、どこか力がなかった。
「……それをエイジに伝えて、何になるかって話だよな」
俺は深く息を吐く。
「ただでさえ追い詰められてる奴に、“魔王を倒せば帰れるかもしれない”って、希望を与えるべきかどうか……」
「むしろ、余計に――絶望が深くなるかもしれない」
誰も反論しなかった。
重く沈む空気が、三人の間に広がった。
「とりあえず、次だ」
俺は気持ちを切り替えるように声を出す。
「ラトがサラダ大公側の人物か、調べるんだったな」
「その予定――っと、彼女の工房に着いたね」
とオリンポスが、立派すぎる門を指差した。
「……ここ、工房だったのか」
屋敷と呼んでも違和感がないレベルだ。さすがは王国技術部の技師。
「何か、騒がしいような……」
と、ココが眉をひそめる。確かに中がやたらザワついてる。
「お、オリンポスたちか。ちょうどいい」
技師らしき一人が走ってくる。
「ラトが、なんか暴れてるんだよ!」
「ラトって……あのサイズだろ? 幼女だぞ?」
思わず首をかしげる。大人が止めれば済む話だろ、普通は。
だが――その直後、地鳴りのような振動とともに、影が差した。
「――あれは」
「巨大ゴーレムが暴れてる」
と、オリンポスが淡々と状況を口にする。
……マジかよ。
「ラトが……あの中にいる!?」
技師の同僚が叫ぶ。
「頼む!暴れてるゴーレムを止めて、中のラトを助けてやってくれ!」
「けど、どうやって助ければ――!?」
俺は剣に手をかけながら叫ぶ。
中の人間を傷つけずに止める方法、それがなければ話にならない!
すると、その場にもう一人――エイジがいた。
彼もまた、暴れる巨大ゴーレムと戦っていた。
「……あのロボットは、“分解・再合体機構”が付いてるんだ」
息を荒くしながら、エイジが言う。
「一度、装甲を破壊すれば……小型のゴーレムと、ラトの入った“コア”に分離する。頼む、オレだけじゃ――救えないんだよ」
「エイジ!」
俺は即座に頷く。
「わかった。まずは装甲を破壊するんだな!」
「まずは関節部分から攻めてみよう」
オリンポスの冷静な分析が飛ぶ。
「人体型のゴーレムなら、関節が弱点のはずだ」
「違う!」
エイジが叫んだ。
「ラトはそのへん分かってる! 弱点なんか、最初から対策済みだ!」
「……どこを狙えばいい!?」
「“腹部”は避けろ! コアが近い。狙うなら“胸部”だ。ラトがそこだけ装甲を厚くしてんだ。……聖剣なら、貫ける!」
「了解……行くぞ」
俺は聖剣を構えた。刃が光を帯び、唸りを上げる。
「ロイド、気をつけて! 聖剣の光を察知されて、そっちに向かってる!」
「俺が止める!」
エイジが真っ直ぐ飛び出した。
「ロイド、お前は――確実に胸部の装甲をぶち抜け!!」
(……エイジが、止めてくれる。なら――)
「集中……今だッ!!」
バキィィィィィン!!
閃光とともに、聖剣がゴーレムの胸部を貫いた。
次の瞬間――
「な、ゴーレムが……小型ユニットに分解された!?」
「ラト!」
そこにいたのは、見覚えのある小柄な少女。
顔を伏せて、声を震わせながら、ラトが言った。
「エイジ……ご、ごめん。私……エイジを救いたくて、それで……」
「それで、ガッシャーンを暴走させて――みんなに迷惑かけて……死ぬとこだったんだぞ!」
エイジは顔をしかめて叫んだ。
「安全性、確保した上で使えよ! バカッ!!」
「!? 次は……安全機能を拡充して、ペイルアウト機能とかも……あ、ふぇ、エイジ!?」
ラトが動揺していた。
エイジに――強く、抱きしめられていたから。
「……俺なんて、救わなくていいから。……でも、生きててよかった……」
その一言に、俺の中で何かがはじけた。
「いや、エイジ! お前も救われなきゃダメだ!」
「ロイド……何言ってんだよ。俺も“勇者”だぞ? 救ってもらう必要なんて……」
「あるよ」
俺は強く言った。
「別に“勇者”が救われたって、何が悪いんだよ。
俺なんて、戦略が得意なわけでも、諜報や仲間集めが得意なわけでもない。
特別な技能もない。だから――仲間に助けてもらわなきゃ、何もできない自覚はある」
「でも、それでいいんだよ。助け合って生きてく。それが“仲間”だろ」
エイジの目がわずかに揺れた。
「……でも、どうやんだよ」
絞り出すように、エイジが言う。
「俺だって、救われたい。報われたい……でもな、そんな方法、どこにもねぇんだよ!」
「方法はあるよ」
オリンポスがすっと前に出る。
あの得意げな表情――ドヤ顔ってやつだ。
「君を救う方法は、“ある”。むしろ、実行可能だ」
「ああ、“魔王軍作戦”だな」
俺が先に言った。
オリンポスが一瞬ムッとしたような顔をしたが、すぐ頷いた。
「……魔王軍?」
エイジが不思議そうに眉をひそめる。
「なんだそれ? どういう作戦だ?」
俺たちは――
エイジに「もう一つの道」を見せるために、
あの、“狂った策”を語る準備を始めた。
“魔王軍作戦”――
それは、俺たち勇者パーティが魔王軍の幹部に“偽装”し、
エイジが率いるサラダ大公軍と真っ向から戦うという、ただそれだけの作戦だ。
「なるほどな」
エイジが腕を組む。
「たしかに、その方法なら……“サラダ大公”からは逃れられそうだな」
「それなら……」
ココが言いかけたその瞬間、エイジの目が鋭く光った。
「――だが、俺にも“プライド”がある」
静かに、でも鋭く。彼は言った。
「ただで負けてやる気はねぇ」
「ロイド。オリンポス。――勝負だ」
「勝ったほうが“勇者”、負けたほうが“身を引く”。これは、そういう戦いだろ」
その言葉に、俺は何の迷いもなく、即答した。
「――分かった。受けて立つよ」
「ロイドー。エイジ、けっこう強いよ? ほんとにいいの?」
オリンポスが渋い顔で問いかけてくる。
「強いなら――なおさら、受けるしかないだろ」
俺は即座に応えた。
「俺も“勇者”だからな」
その言葉に、オリンポスはしばし黙り――
「……はぁ。わかったよ」
と、苦笑まじりにため息をついた。
「真剣勝負ってやつだね。仕方ないな。」
「えっと、それって……危ないのでは……?」
ココが不安げな顔をこちらに向けてくる。だが、違う。
「――これは、止められないんだよ」
そして、それを一番よく分かっているのがラトだった。
「あはは。こうなったら、もう男の子は止まらないよ」
にこっと笑って、ラトが言う。
「だって、“ロマン”なんだもん」
そう――
これは、誰かに決められた戦いじゃない。
自分たちで、選んだ“決着”なんだ。
俺たちは、“二人の勇者”として最後の戦場に立つ。