第3話・雪女の話3
俺たちは、ついに前線基地の手前までたどり着いた。
「さて、アイスとココのおかげで、相手の斥候に気づかれずにここまで来られた」
オリンポスが静かに頷きながら、ココとアイスの働きを称える。
「数は少ないが、魔獣たちが妙に連携してたな」
エイジが周囲を警戒しながら言う。
「もしかして、アイスがこの辺りのボスだったりして」
「にゃーん」
タイミングよく鳴いたアイスは、大きな猫のようにも見えた。
……いや、さすがにデカすぎるけど。
「アイス、ありがとね。よしよし」
ココがアイスの背に乗ったまま、優しくその白い毛並みに手を伸ばす。
撫でられるたびにアイスは嬉しそうに目を細めていた。
「ゴブリンの比率が多い。ゴブリンの親玉がいることは間違いなさそうだ」
俺は偵察の結果をもとに、そう推測した。
「後は、相手の戦略が分かれば最高なんだけどねぇ」
と、ソレナリフが軽く言ったその瞬間、ジャキーンが反応した。
「ひとあてしてみるか?」
無邪気にそう提案してくるが――
「駄目。こっちの存在がバレるでしょ」
オリンポスが即座に制止した。
「寡兵で挑むには分が悪いよ」
なんとか事なきを得た。
「そうだな……あ、おい。向こうで演習っぽいことしてるぞ」
エイジが双眼鏡を覗き込みながら指差す。
ゴブリンたちは複数のチームに分かれ、何やら巨大な樽のようなものを運びながら、互いに位置取りをしているようだった。
「どれどれ。」
「行くぞ!」「こいや!」
双方のゴブリンが向かい合い、次の瞬間──両方とも自爆した。
「えっと、今ゴブリンたちが……自爆しましたよね? これ、演習なんですよね?」
ココの戸惑い混じりの声が、やけに印象に残った。
「あー、わかった。相手の戦略……これは、ギガガルドとは別の意味で厄介そうだ」
オリンポスが眉をしかめて、頭を抱える。
「今ので分かったのか? どういう戦略なんだよ」
エイジの疑問はごもっともだ。正直、俺もさっぱりわからない。だから、オリンポスの言葉を待った。
「それは……」
「仲間の被害を顧みない自爆戦法だよ。」
……
俺たちは、ココの故郷である村の跡地まで戻ってきた。
「ここまで……戻ってきましたが」
ココが少し戸惑ったように呟く。
「あの戦法だと、寡兵でぶつかるのは危険すぎたからね。早めに撤退したよ」
俺は戦場からの撤退の理由を簡潔に伝えた。
「じゃあ、自爆戦略の性質と危険性について整理しておこうか」
と、オリンポスが話を切り出す。
「自爆の厄介なところは、敵の戦力を減らしつつ、こちらの戦力も確実に削ってくる点だね」
冷静に、彼は言う。
「つまり、戦力の低い側が先に潰される。」
エイジはそう述べると
「あー、だから、俺たちは撤退したってわけだな」
と納得したように呟いた。
「ゴブリンって、魔族の中でも繁殖が早いんだよな?」
俺はココから聞いた知識を思い出しながら続ける。
「だったら、自爆で一時的に戦力を失っても、すぐに補充できる。相打ち上等で数をぶつける戦略……ってわけか」
……
「相手の戦略の要点は分かったね。じゃあ、次は対策を考えようか」
オリンポスが、さっそく話を前に進める。
「んー……普通に考えると、雨とか雪を待ってから戦えばいいんじゃね?」
エイジが提案する。
確かに火薬は湿気に弱い。それが通じれば理想的だと思っていたが――
「いや、そうもいかないんだよ」
オリンポスが首を振った。
「相手の爆薬に含まれてる物質を調べたんだけど、“オウリン”って呼ばれる成分が使われてる。簡単に言えば、自然発火する物質だね。しかも毒性があって、近くで爆発すると身体が麻痺するケースもある」
「それ、相手も制御できないんじゃないか?」
俺は疑問を口にした。
「たぶん、時限爆弾と同じ要領で使ってるんだろうね。敵兵の意志と関係なく、一定時間で爆発する。雨でも雪でも関係なしさ」
オリンポスは淡々とそう言い切った。
「……駄目かー。ってか、相手マジで仲間にも容赦なしだな」
エイジが憤ったように眉をひそめる。
「怖い相手なのか、ただのバカなのか……判断が難しいけど」
オリンポスは小さく息を吐いた。
「どっちにしても、厄介なのは確かだね」
……
「んじゃ、そのオウリンを作ってる場所を特定するか?」
エイジが即座に提案する。
「相手の本土の方にあるみたいだね」
オリンポスが地図を見ながら答えた。
「精製してるのか自然にあるのかは分からないけど……そこまで進軍するのは、ちょっと現実的じゃないかな」
「そうだな。あとは、相手が寡兵になったタイミングを見計らって、一気に攻めるとかか」
俺は思考を整理しながら口にする。
相手の戦略は“相打ち上等”。
ならば、相手の数が減っている時を狙えば、こちらに分がある。
「現実的には、そのあたりだね」
オリンポスが静かに頷いた。
「でも、今の相手軍の動きは“部下に自爆させに行く”って運用なんだ。警戒心が高いのか、それとも別の理由か……」
「つまり、こっちが待ってても、いつ仕掛けてくるか分からない。時間だけが過ぎて、消耗だけが増える」
そう言いながら、オリンポスは敵前線の戦力と補給状況を推測し始めていた。
だが――こちらは少数精鋭。正面からぶつかれば分が悪い。
どうするか――と、考えを巡らせていたときだった。
「あの、私……考えがあるんですけど」
ココが静かに、けれど確かに強く、そう声を上げた。
……
「少し……危険すぎるかもね」
オリンポスが静かに言った。
「やってくれるなら確かに成功率は高そうだけど、リスクも大きい」
「やらせてください。私の能力と、アイスがいれば……きっとできると思います」
ココは一歩も引かず、まっすぐに言った。
その目には、決意が宿っていた。
「やめとけよ」
エイジが口をはさむ。
「オリンポスやロイドが、もっといい案考えてくれるだろ? そんな危ないの、やる必要ないって」
「……他にいい案がないのは、確かなんだ」
俺は言葉を選びながら続ける。
「でも君だけに、危険な任務を押し付けるわけにはいかない」
そう、これは――
俺たちが、ココを守ることができない作戦だ。
「ま、やるにしてもやらないにしても、今の戦力じゃできることは限られてるしね」
ソレナリフがゆるい調子で言葉を挟む。
「戦力が集まるまでは、待機だ。焦っても仕方ない」
それが、賛成なのか反対なのか。
分からないまま、作戦会議は静かに幕を閉じた。
……
「はぁ……止められちゃった」
ココの呟きが、焚き火の音に混じって聞こえた。
「にゃん」
傍らでアイスが鳴く。
俺はスープを手に、彼女に近づいた。
「やあ。……お邪魔だったかな」
「あ、ロイドさん。ありがとうございます」
ココは素直にスープを受け取ってくれる。その笑顔は少しだけ、寂しそうだった。
少し間を置いて、俺は問いかける。
「……どうして、あんな作戦を?」
「えっと……うまく説明できるかわかりませんが……」
ココは言葉を選ぶように、ゆっくりと話し始めた。
「私、この村の出身で……お母さんやおばあちゃんがいて。でも、この戦争で死んじゃって……悔しいんだと思います」
「だから……うん。私が、やりたいんです」
その瞳に宿った光が、焚き火の揺らめきと重なる。
「僕が、護衛すれば――」
「ごめんなさい」
ココは首を横に振った。
「雪女の力をフルに使わないと成功しない作戦なんです。でも、コントロールできるか分からなくて……」
「だから皆さんを巻き込みたくない。……死んでほしくないんです」
その言葉に、胸が締めつけられた。
彼女はただ、戦いたいんじゃない。
誰かのために、命を賭けようとしている。
「……分かった。あの作戦で行こう。僕が、みんなを説得するよ」
だから俺は、ココを支えようと思ったんだ。
「ほんとですか……? ありがとうございます」
ココの表情が、ふわりとほころぶ。どこか、救われたような笑顔だった。
「にゅーん」
アイスが、満足げに鼻を鳴らした。