第28話・悪魔の話2
そこは、狂気に染まった戦場だった。
通りには無惨に晒された人間の首。鼻を突く異臭が空気を重くしている。
俺たちの姿を見た魔族たちは、恐怖に引きつった表情を浮かべて逃げ出していった。
だが、初日は結局パルメルティの姿を確認することはできなかった。
勇者パーティの面々は、生き残っていた人々を一人ずつ保護していった。
彼らの目には怒りと憎しみ、そして狂気の色が宿っていた。
「うう……皆のごはん、私が作るから。今まで、辛かったよね……ごめんなさい」
ヒナタは小さな手で鍋を握りしめながら、震える声でそう言った。
彼女はラシェの街角で、静かに食事の配給を始めた。
逃げていった魔族たちが、再び牙を剥く可能性は高い。
でもまずは――今ここにいる人たちを、心身ともに少しでも取り戻させてやらなければ。
数日後。
「こら、喧嘩はやめろ!」
エイジの一喝に、大人たちがようやく手を止める。
相手は――魔族の子どもだった。
「ダメだ……狂気が蔓延してる。でも、これは魔法的な影響じゃない気がするんだ」
オリンポスが周囲を見渡しながら、そうつぶやいた。
「えー?パルメルティのせいじゃないの?じゃあ何が原因なのさ?」
ヒナタが不満げに問いかける。
その問いに、オリンポスは静かに答えた。
「原因はもっと根深い。これはパルメルティだけのせいじゃない。彼女を倒したところで、この狂気の連鎖は止まらないんだ」
「うん……まず、この地域にはもともと人間の国家があった。でも魔王軍が占領して、その支配下に置いた。おそらく魔王軍は、貴族のような支配層を持ってなくて、統治の経験もなかったんじゃないかな」
「つまり、無理やり多国籍国家をつくっちまったんだ。魔族が上、人間が下って構造にしてな。そういう構造が、今の地獄を生んだってことだろ」
エイジが補足する。
――父さんが言ってた。
“良い魔族とは仲良くしろ。そうじゃなきゃ、魔王軍より悲惨な戦争がやってくる。”
その言葉の意味が、少しだけ理解できた気がした。
……
「占領下の内政ってさ、基本は二択なんだよ」
オリンポスは指を二本立てて見せる。
「徹底的に滅ぼすか、徹底的に甘やかすか。不完全に抑えつけると、必ず報復が来る。中途半端が一番危ないんだ」
「で、ラシェはどうすんだよ?」
エイジが腕を組んで言う。
「この人口じゃ、街が維持できねぇだろ。どうしても魔族の協力がいる。でも俺たちはあくまで通りすがり……居座るわけにもいかねぇ。なら、今何をすべきだ?」
オリンポスは少し考えてから、静かに口を開いた。
「まず、"魔族"と"魔王軍"を切り離す。魔王軍ってのは、魔族と人間にとって共通の敵だって構図を作るんだ」
そして続ける。
「その上で、魔族にも自治権を持たせる。共存を望む魔族とは交渉して、ラシェの人間たちと一緒に街を治めさせる。逆に、共存を拒む魔族――悪意ある連中は、魔王軍として討つ。それしかないよ」
……
ヒナタは少し眉を寄せて、難しそうに口を開いた。
「うーん、でもさ。良い魔族ってどうやって見つけるの?っていうか、本当にいるの?」
俺はそこで父さんの持論を思い出し、語った。
「魔族も人間も、良い奴も悪い奴もいる。ただ、そもそもの価値観のベースが違う。だから、"良い魔族"を理解するには、まず相手の物差しを知らなきゃダメなんだ。
で、価値観と価値観がぶつかって、互いに削れて、初めて綺麗な石が生まれるんだってさ」
「なるほどね。相手の物差しを知らないと、正義も悪も判断できないってことか」
オリンポスは頷き、次の行動を考え始める。
「まずは近くの魔族の集落を調べてみよう。中には共存の可能性がある部族がいるかもしれない。情報を集める必要があるね」
その時、エイジがぽつりと口を開いた。
「そういえば最近、生き残りの魔族とつながりのある人間がいるって噂を聞いたぜ。なんでも、魔法じゃない不思議な力を使うらしい」
「魔法じゃない力?」
俺が聞き返すと、オリンポスがにこりと笑った。
「面白そうだね。その人物に接触してみよう。新しい道が開けるかもしれない」
方向性は決まった。
後は、どうやって動くか――それだけだ。
……
「ご、ごめんなさーい!」
大きな声で平謝りしながら連れてこられた少女こそ、噂の“魔族とつながりがある不思議な力を持つ人間”だった。
どうやら魔族と仲良くしていたところを街の男たちに見つかり、そのままここへ連行されてきたらしい。ちなみに連れてきた男たちは現在、例の体力バカ──ジャキーンの特別訓練に叩き込まれている最中だ。多少は無駄な威勢が削れてくれればと、街の人々の期待がかかっている。
「ごめんね、君を責めるつもりはないんだ。頭を上げてくれるかな?」
そう声をかけると、少女はおずおずと顔を上げた。
「えっと……わたし、本当に何にもできないんです。ただ……こうやって――」
彼女が手をひらりと動かすと、ふわりとハトが現れた。
「唯一の友達です!食べちゃダメですよ!?……あ、今しまいます!」
言いながら慌てて袖の中にハトを隠す少女。
「これは……魔法じゃない……?」
ヒナタが目を丸くして言った。
「はい、あの、私“手品師”って名乗ってるアーレって言います。昔、魔族の貴族様に手品を見せて暮らしてたんですけど、その方に逃げられちゃって……今は残ってる魔族たちに芸を見せて、ご飯と交換してもらって生きてます」
「なるほど。魔族の中で人間と関係を保ってた人間、か。君にしか見えない風景があるかもしれないね」
「うん、これは本当に魔力を使ってないよ。純粋な技術だね、すごい!」
ヒナタも感心しきりだった。
「とりあえず、疲れたでしょ。ご飯、食べる?」
俺がそう言うと、アーレはパッと表情を明るくした。
「いいんですか!?」
不安定な世の中で、こういう素直な反応をされると、つい世話を焼きたくなってしまう。
……
「ロイドさん、すごく……いい人ですね。お花、どうぞっ」
アーレがぱっと手を振ると、小さな造花が現れて俺の手のひらに乗る。
「……あっ、ご、ごめんなさい!ご飯もらったら何か芸をしなきゃって、条件反射で……!」
顔を真っ赤にして、造花を指先でくるりと回してから、ぱっと消してしまった。まるで魔法みたいだけど、これは手品……なんだよな。
「ふふっ、可愛いよね」と、ヒナタが口元を押さえて笑っている。
その横で、オリンポスは軽く頷きながら優しい声で問いかけた。
「うんと、アーレさん。君がその手品でご飯をもらってた魔族の人たち、紹介してもらえるかな?よかったらでいいんだけど」
「……えっと、はい。たぶん、セイレーン族のおばあちゃんがいい人です。私の手品に合わせて歌を歌ってくれて……それから、ミノケンタウロスのおっちゃんたちも優しいですよっ」
アーレが笑った。その笑顔は、不安や混乱の中にあっても誰かを安心させる、柔らかい光みたいだった。
――この子の笑顔を守りたい。そんな気持ちが胸に灯る。
……
「特定の個人じゃなくて、部族──セイレーン族とミノケンタウロス族の族長に話を持っていったのは、なんでなんだ?」
俺が疑問を口にすると、オリンポスは肩をすくめて微笑んだ。
「んー、ただの横着だよ。ひとりひとり確かめるのが一番確実なんだけど、僕たちにはそんなに時間の余裕がないからね。だったら、まとまりのある集団に話を通した方が早いんだ」
そして少し真面目な声で続ける。
「それに、アーレさんに優しくしてた魔族が、もし部族の意向に逆らってただけだったら?アーレさんが危ない立場に立たされるかもしれないでしょ。だから、部族の代表に正式に話を通すことにしたんだ。彼女を守る意味でもね」
「……なるほどな。味方っぽく見える相手でも、安易に信じちゃいけないってことか」
「うん。でも、信じたいって気持ちもちゃんと大事にしないと、前には進めないよ」
オリンポスはそう言って、少し寂しげに微笑んだ。
……
やって来たのは、筋骨隆々としたミノケンタウロスの中年男性と、どこか気品漂うセイレーンの妙齢の女性。どちらもラシェ近隣を拠点とする部族の長らしい。当然ながら、彼らも護衛を引き連れており、対する俺たち勇者パーティも完全武装の状態だ。交渉の場にしては、明らかに物騒な空気が流れている。
その緊張を、オリンポスの穏やかながらどこか挑発的な声が破った。
「とりあえず、こっちは僕とロイドだけでいいかな。そっちは……うーん、側近5人ずつくらいでどう?あ、それと話すのは代表の方だけにしてくれると嬉しいな」
やけに軽やかな口調なのに、内容は結構挑発的だ。相手が12人でも、たぶん勝てる――とはいえ、セイレーンの呪歌対策に耳栓は外せない。
「ほう、正気とは思えんな……まあいい。ビビって交渉から逃げたなんて、みっともない真似はしねぇさ」 ミノケンタウロスの長は、むしろ愉しむように笑って腰を下ろす。
「勇者の一行……ふふ、面白いじゃない。でもね、我らセイレーンの呪歌、舐めないでね?」 セイレーンの族長も優雅な仕草で椅子についた。
この交渉は、ラシェの支配体制――つまり人間と魔族の共存の可能性を探る、極めて重要な一手になるはずだ。事前の取り決めなし、一発勝負。ここはもう、オリンポスの交渉力に賭けるしかない。
頼んだぞ、オリンポス。
……




