第2話・雪女の話2
作戦は、単純なスピード勝負だった。
オリンポスが指示した奇襲部隊が敵の前衛を崩し、数が減ったところを本隊で一気に叩く――
時間との戦いだったが、俺たちは迷わず動いた。
……だが、撤退を始めたその瞬間だった。
地面の奥から、鈍く響く爆音が轟く。
「爆発のタイミング、早かったな」
思わず素直な感想が口をついて出る。
もう少し遅れていれば、俺たちの誰かが巻き込まれていたかもしれない。
「何とか倒しきれたけど……実際、危なかったね」
オリンポスも、珍しく声に緊張を滲ませていた。
冷静な彼ですらそう言うのだから、ギリギリだったのだろう。
「爆発か……魔王軍に、爆発物を使う奴がいるって聞いたことがある。そいつの配下だな、これは」
ソレナリフが腕を組みながらぼそりと呟く。
この男、総司令官であるアゾアラスの圧力で勇者パーティに入ったという、いわくつきのオッサンだが――その情報力は、いつだって頼りになる。
「皆さん、手慣れてますね……」
戦闘後の休息の中で、ココがぽつりと呟いた。
「私は、おどおどしてるだけで……役に立ててなかったかなって」
「いやいや、ココも案外いい線いってたぜ」
エイジが軽く笑いながら、肩をすくめる。
「氷で負傷者の手当てとか、手際よかったし。助かってたやつ、何人もいたぜ?」
「……少しでも、役に立てたならよかったです」
ココの表情がふっと柔らぎ、ほっとしたように微笑んだ。
そのとき、ソレナリフはココの魔法に何かを見出したようだった。
けれど――その意味を、俺たちが本当に知るのは、もう少し後のことになる。
「ソレナリフさん、なにか……?」
ココが不安そうに問いかけると、ソレナリフはいつものとぼけた調子で笑ってみせた。
「いやぁ、珍しいと思ってね。氷魔法なんて、あまり見かけないからねぇ」
「氷の魔法自体は、アゾアラスも使うし、別に珍しくはないけどな」
エイジがあっさりと口を挟む。
「いや、アゾアラスの魔法も、相当珍しいんだぞ」
アゾアラスの魔術――ソレナリフの話だと、氷を起点に展開する結界魔法だ。
防御に優れるだけでなく、罠としても使える戦略的な術式。まさに“戦場の知恵”とでも言うべき魔法だった。
でも、ココの氷魔法は……もっと“優しい”魔法に思えた。
冷たいのに、どこかあたたかい。
敵を傷つけるためではなく、誰かを守るための魔法。そんな印象を受けたんだ。
――雪女の氷魔法、その本来の姿に俺は全く気がついていなかった。
「タカレ山脈……次の目的地か」
示された地図を見ながら、俺はぽつりと呟く。
「ああ、そうだね」
ソレナリフが頷く。
「タカレ山脈に、敵側の前線基地があるらしい。そこからゴブリンの斥候が送り出されてるみたいだよ」
さすが、こういう情報は本当に持ってくる。
「ちょっと、そんな重要な話、ココさんの前でしないでよ」
オリンポスが眉をひそめ、低く言った。
「なんでだよ?仲間だろ」
俺は素直にそう返す。
オリンポスが何をそんなに警戒しているのか、正直ピンとこなかった。
「……すっかり信用してるんだね」
オリンポスはため息をついた。
「スパイの可能性も、まだゼロじゃないのに……まったく、君は楽観的すぎるんだよ」
「いや、今回はココちゃんにもついて来てもらいたいんだよね。地元だろ?」
ソレナリフが、どこで仕入れたのか分からない情報をさらりと口にする。
……初耳なんだが。
「え、そうなのか?」
俺が驚くと、エイジも目を丸くする。
「えーっと、道案内くらいなら……可能だと思います」
ココは少し緊張した面持ちで、静かに答えた。故郷への帰郷、それが彼女の心を揺さぶっているなんて知る由もなかった。
「じゃあ決まりだな。ココは道案内。俺たちは、ココを守る」
「はぁ、そういう理由なら……僕も異論はないよ」
オリンポスも、少しだけ肩の力を抜いて賛同した。
「敵側の前線基地だから、警備は厳重だと思うね」
ソレナリフが地図を指しながら続けた。
「今回は短期決戦を心がけよう。目標は――爆発物を使う敵幹部の情報を集めることだ」
「撃破じゃねぇのか?」
エイジが怪訝そうに眉をひそめる。
「情報が少ないうちは、安易な突撃はリスクが高いよねぇ」
ソレナリフは肩をすくめて言う。
「確実に有用な情報を持ち帰ること。それが何よりも優先される」
「……それもそうか」
エイジは不満げに口をへの字にしつつも、納得したように頷いた。
俺たちは、ついにタカレ山脈に足を踏み入れた。
「ここがタカレ山脈……一面、雪原だな」
雪の冷気が頬を刺す中、俺は率直な第一印象を口にする。
「今はこんな感じですけど、春にはお花が咲いて……すごく綺麗なんですよ」
ココが微笑みながら答えた。
その笑顔は、どこか懐かしいものを見るようだった。
「そうなんだ……」
いつか、平和になったら――
みんなでその景色を眺められたらいい。ふと、そんなことを思う。
「うーん、ココさんから……誰かと似た波動を感じるな。でも誰だったか……」
オリンポスが首をかしげる。
たぶん、妹のリーリアちゃんのことじゃないのか?
「少年少女たち、青春だねぇ。でも、先にやるべきことがあるだろう?」
ソレナリフが茶化しながらも、真顔で現実を引き戻す。
こういうとき、意外と大人だと感じる。
「っと、敵軍の斥候を確認したぜ」
エイジが周囲を警戒しながら戻ってくる。
「数は多くねぇが、仲間を呼ばれると面倒だな」
空気が一気に張り詰める。
緊張感が、雪原の冷気と共に、肌を刺してきた。
「今回は、暗殺をメインにした戦略だね」
オリンポスが淡々と告げる。
「決戦に入る前に、相手の頭を落とす必要がある」
その言葉に反応するように――
「暗殺と言ったら俺、参上!」
ひときわうるさい声と共に、あの男が現れた。
“ジャキーン”。
やたらハイテンションな暗殺者。
昔、俺を暗殺しようとして見事に失敗し、今はオリンポスに手懐けられて勇者パーティの威力偵察役として使われている。
強さは確かなんだ。間違いなく。
でも――アホなのが、最大の欠点だった。
「こいつは俺が抑えとくから、さっさと済ませますか」
エイジがジャキーンの背後に立って、抑え役を買って出た。……が、抑えられる気がまるでしない。
今回の作戦はシンプルなものだった。
敵陣を取り囲むように、八方に配置した奇襲兵を使って一気に挟み撃つ――はずだった。
しかし、配置が完了した直後。
「しまった! ジャキーンが乱入する!!」
エイジの叫びと同時に、事態は急変した。
「ひゃはーッ! 暗殺だァ!!」
雪原に響き渡る、ジャキーンのテンションマックスな叫び声。
その声に驚いたゴブリンたちは、四方へ逃げ出そうとする――が、その先にはすでに配置済みの奇襲兵がいた。
逃げ場を失った敵は次々と撃破されていく。
さらに、ジャキーンの“暗殺”という名の強襲によって、逃げ遅れたゴブリンたちは次々と地に伏せられていった。
「よしっ! 倒した! 暗殺成功ッ!!」
拳を掲げて勝ち誇るジャキーン。
こいつにとっての暗殺とは一体なんなのか……
「ジャキーンって……暗殺任務でも使えるんだ。逆に驚いたよ」
オリンポスが皮肉とも素直とも取れる声でつぶやく。
策を潰されかけた怒りをこらえつつ、どうお説教しようかと思案中のようだ。
「すまん、俺は役立てなかった。策略とか、やっぱ苦手なんだよなー」
エイジはバツが悪そうに頭をかく。
ジャキーンを止められなかったことを、ちゃんと反省しているようだった。
「エイジ。人には向き不向きがある」
俺はそっと声をかけた。
「ははっ、そうね。適材適所ってやつだ」
ソレナリフが笑いながら頷く。
「エイジには、人を惹きつける力がある。それが生きる場面もきっとあるさ」
……相変わらずどこか胡散臭いけど、エイジのことをよく見ているのは確かだ。
「はぁ……勉強は得意だったんだけどな」
エイジがぽつりとつぶやく。
地の頭の良さと、策略を練る力は――別物だ。
そう思いながら、俺はなんとなくエイジの背中を見ていた。
「そろそろ、私が住んでいた集落です」
ココが雪の向こうを指さした。
「魔王軍の影響で、今は廃墟になってしまいましたけど……休む場所は、まだ残っています」
見れば、倒れた木造の家々が白い雪に埋もれている。
けれど、その中に小さな祠のようなものが残っていて、身を休めるには十分な場所に見えた。
「ある程度、安全に休める場所は貴重だね。ありがとう、ココ」
「いえ……たいしたことは……」
そのときだった。
「あっ……!」
ココが小さく息を呑んで、遠くの雪原を見上げた。
そこには――
大きな雪豹の魔獣が、音もなく近づいてきていた。
「敵か!? 巨大な魔獣を確認、至急――」
俺は反射的に応援を呼ぼうとしたが、それを遮るように、ココが声を張った。
「あ、違うの! この子は、アイスって言うんです!」
「……アイス?」
俺は警戒しながらも問い返す。
「はい……仲良くしていた魔獣なんです。たぶん、私を探しに来てくれたんだと……思う、ます」
焦ったように敬語が乱れるその様子が、なんだか可愛らしくて、俺は思わず肩の力を抜いた。
「魔獣……知能を持つ動物だね」
オリンポスが少し距離を取りながらも、じっと様子を見つめている。
「確かに、ここまで近づいても襲ってくる気配はない」
「この子は、人間や魔族を襲わないんです。優しい子なんです。だから……」
ココがそう訴える声には、強い思いがこもっていた。
「まぁ、ココが安全って言うなら、安全なんだろうぜ」
エイジが肩の力を抜きながら笑う。
たぶん本当に、大丈夫なんだろう――俺もそう思った。
「うん、倒さないよ。ココの大切な相手なんだろ?」
「うん……ありがとう」
その小さな感謝の声に、俺たちの間にあった緊張がふわりとほどけた気がした。
「それより、休もうか」
オリンポスが言葉を切り替える。
「明日は前線基地の手前まで進む。無駄に体力を消耗するのは避けたいね」
「ん? 警戒はいいのか~?」
エイジがからかうように尋ねる。
「そこまで野暮じゃないやい……」
オリンポスは少しだけ照れたように、そっぽを向いてそう言った。