第17話・竜騎士の話1
タカレ山脈でのココ奪還作戦は、結局失敗に終わった。
しかも、敵軍の優先目標はココから“俺”に移ったらしい。
こんな大事な時に、どうすりゃいいんだよ……。
そして今、俺たちは“ナルメシアの邸宅”にいる。
安全圏ではあるらしいけど、どうにも落ち着かない。
「でも、なんでここが避難先なんだ?」
俺がそう尋ねると、ソレナリフが肩をすくめた。
「魔王軍も、ナルメシアの事はよく知ってるんだ。“生きる戦略兵器”、下手に手を出した方が負けるってね。
魔王軍もバカじゃない。伝聞を鵜呑みにせず、情報を精査して判断してる。そう簡単には方針を変えないだろう」
「……そうじゃなくて、ナルメシア本人が嫌がらないのか?
他人のために屋敷を開放して、大人数を保護するなんて、最凶の魔女らしくないだろ」
俺の疑問に、今度はオリンポスが答えた。
「ああ、それ俺も気になって聞いたんだけどさ。
『知ってるガキに死なれると、後味が悪い』って、アゾアラスに保護を提案したのは、ナルメシア本人だったらしいよ」
あの最恐の魔女にしては……ずいぶん人間臭い理由だった。
「……なあ、本当にナルメシアって“最悪の魔女”なのか?」
俺はふと疑問に思ったことを口にした。
いまのところ、あの人が“最悪”って感じはしない。
「うーん……僕もちょっと自信なくなってきた。たしかに厳しいところはあるけど、話せば筋が通ってるし、優しさも感じるんだよね」
オリンポスも首をかしげていた。どうやら同じ気持ちらしい。
だが、ソレナリフはあっさりと言い切った。
「それは“視点の違い”だね。
圧倒的な力を持ちながら、誰に対しても公平に取引する――それが“最悪”なんだよ。特に、貴族にとってはね」
「ああ、なるほど」
オリンポスがポンと手を打つ。
「踏み倒そうとした貴族が、容赦なくやられたってパターンか。確かに、相手が悪いよな」
俺もつい同意してしまうが、ソレナリフは軽く肩をすくめた。
「でもね、貴族社会ってのは、理屈だけじゃ動かない。
そんなこと言ってると――寝首、かかれるかもしれないよ?」
どこか冗談めいていながら、底の見えない言葉だった。
「負けた、負けた……さすがに強ぇな……。切っても切ってもビリビリ雲が増えやがる……」
父さんが全身ずぶ濡れで屋敷に戻ってきた。
どうやら、また無茶をやらかしてきたらしい。
「いい練習相手だったぞ。カットール、3回ぐらいは切られたからな。対空砲もなかなか楽しかった」
そう言って満足げに頷くのは――
よりにもよって、雷雲を操る“最凶の魔術師”ナルメシアだった。
「えへへー、ナルメシア様に褒められちゃった!」
自慢げに対空砲を抱えて跳ね回るラト。
その様子が可愛いというか、なんというか。
「……父さん、何してんだよ……」
俺は呆れ気味にぼやいた。
「完全に……人外大戦だよね、これ……」
オリンポスが窓の外を見ながら、ぽつりとまとめた。
うん、俺もまったく同じ気持ちだ。
……
翌日の昼下がり。
静かな風がナルメシア邸を吹き抜ける中、アゾアラスが姿を現した。
「よう、アゾアラス。元気してたか?」
父さんがいつもの調子で気軽に声をかける。
だが、アゾアラスは一切表情を崩さず、静かに言った。
「世間話は後にしよう。……先日、魔王軍の緊急連絡網を通じて連絡があった」
その一言に場の空気が一気に緊張感を帯びる。
「まだ魔王軍と連絡取ってるのかよ……」
エイジが眉をひそめ、呆れたように言った。
だがアゾアラスはその反応に構わず、静かに言葉を返す。
「戦争において、対話の道を絶つのは愚か者のすることだ。話し合いなき戦争は、どちらかの完全な破滅でしか終わらん」
……その言葉には、現実を見据える冷徹さと、かすかな覚悟が滲んでいた。
「それで、魔王軍は何を言ってきたの?」
オリンポスが身を乗り出すようにして問いかけた。
「魔王軍は和平交渉を申し出てきた。そしてその条件として――ロイドの引き渡しを要求してきた」
アゾアラスの言葉に、場の空気が一瞬止まる。
つまり、魔王軍の狙いは――俺。
「……それ、受けてないよな?」
ナルメシアがピリついた声で釘を刺す。
「もちろん。丁重に断った」
アゾアラスは淡々と答えた。
「ならよし」
「……ふーん、なるほど。そういう手で来たんだね」
オリンポスが腕を組み、少し考える素振りを見せる。
「まだ何かあるんだよね?」
彼の言葉は、アゾアラスの報告がまだ途中であることを察してのものだった。
「現在、前線の補給線が何者かに襲われる事件が相次いでいる。恐らく魔王軍の仕業だろう」
「通商破壊と和平交渉を組み合わせて、こちらに交渉を飲ませようというわけ、か……」
オリンポスが即座にその意図を読み取った。
俺は正直、話の全体像がすぐには掴めなかった。だから、つい口に出してしまう。
「つまり、どういうことなんだ?」
「要はね」
オリンポスが言葉を選びながら、俺に向き直る。
「魔王軍は、こっちの補給線を狙って、前線に物資や食料が届かないようにしてる。兵士が腹を空かせてれば、士気も戦力も落ちるでしょ? そうすれば、こっちが戦争を続けられなくなる」
「で、そのタイミングで和平交渉を持ちかける。しかも条件はロイドの引き渡し。つまり、交渉っていうのは建前で、ロイドを渡せって話なんだよねぇ」
ソレナリフがさらりと補足する。
その瞬間、俺はあることに気付いた。
「……つまり、ココの容態が、あまり良くないってことか!?」
「お、ロイドにしては鋭いじゃん」
オリンポスが少し驚いた顔で微笑む。
「そう。魔王軍としては、ロイドを直接奪う手はもう使えない。でも、ココの時間は限られてる。焦ってるんだよ、向こうも。けどナルメシアには手を出せない。出したら終わりだから」
「だから、ロイド自身に動いてもらうよう仕向けてる。戦略的には――“引っ張り出す”方向に舵を切ったってわけ」
くそっ……ココの命の火が、確実に蝕まれてる。
俺は拳を握りしめた。そう遠くない未来、決断の時が来る――そんな気がしてならなかった。
……
「さて、こうなると――補給線を脅かす敵をどうにかしなくちゃならないんだけど」
オリンポスが場を見渡して、ふとアゾアラスへと視線を向けた。
「アゾアラス。何か、意見があるんだよね?」
「ああ」
アゾアラスが頷き、少しだけ視線をずらす。
「エイジ。君の知識を借りたい」
「は? 俺に? 知識って……俺、対したこと言えないぞ?」
エイジが困惑したように答える。そりゃそうだ、こいつは異世界人とはいえ、軍人ってわけじゃない。
でもオリンポスはすでに察していたらしく、ふわりと笑って言った。
「あー、なるほどね。エイジ、異世界の航空戦ってどうだった? 対空砲とか、たぶんエイジの発想から来てるんだよね?」
「飛行機でミサイル撃ったり、爆弾落としたりってのはあったけど……いや、それ聞いてどうすんだよ」
エイジは戸惑いながらも、断片的に思い出して話し始める。
「僕たちは基本、地上で戦うでしょ? だから“空からの脅威”ってのに対する理解が浅いんだよね。だから異世界の航空戦の概念を知りたい。ね? そういうことだよね、アゾアラス?」
「ああ、その通りだ」
アゾアラスは短く肯定する。
……相変わらずこの人は説明の端折り方がすごい。頭の中の結論が先に出ちゃうタイプだ。
「でも俺、軍事は専門外だしなぁ……」
エイジは恐縮したように肩をすくめる。
「そんな詳しくなくていい。こっちはゼロからスタートしてるんだ。基本的な発想をくれるだけでも十分だよ」
オリンポスはそう言って、さらに踏み込む。
「単純に対空砲を量産しただけじゃ足りないかもしれない。だから、もっと根本的な戦術の構造を考え直す必要があるんだ」
エイジは少し黙って、考え込んでいたが――
「……そうだな。飛行機がある世界では、“制空権”ってのが重要だった気がする。空を制する者が戦いを制す、って感じの話」
「制空権……なるほど」
「あと、竜騎士とかいないのか? ファンタジーっぽい世界だしさ。空飛んで戦うタイプの戦士とか」
「制空権! 竜騎士! いいね、いいね!」
オリンポスの目がキラキラしてる。めちゃくちゃノってきてる。
「うわっ、ちょっ、オリンポス近いって!」
エイジが押しの強さに引いてた。まあ気持ちはわかる。
……でも、少なくとも方向性は見えてきた。
空の支配権――それが、次の鍵になるのかもしれない。
……