第10話・裏切り物の話2
「エイジが遊ばれてる間に、状況を整理しようか」
と、オリンポスがいつもの“考察モード”に入った。
……まあ、俺たちも絶賛女装中で人のこと言えないけどな。
「まず、僕たちはタカレ山脈の調査中、何者か――というか、ほぼ確実にソレナリフに襲撃を受けた」
オリンポスはいつもどおり、冷静に言葉を並べていく。
「それで、ソレナリフは魔族側と繋がっていた。僕たちを“意図的に”このルートへ誘導したのも、彼の仕込みだと思っていい」
「……その、“ソレナリフ側”ってのに、ココも含まれるのか?」
俺は、言葉を絞り出すようにして尋ねた。
オリンポスは、少しだけ言葉を選んでから頷いた。
「そうだね。ココさんも、明らかにソレナリフと“共謀”していた。姿を消したのも、あの吹雪も、きっと最初から仕組まれていたことだ」
胸の奥が、ひどく重くなる。
「でも……理由はまだ不明。だけど、僕は“ココさんなりの理由”があったと思ってる。やむを得ない事情か、脅しに屈したのか。どちらにしても、ココさんが主導で何かを企てていた――って可能性は低いと思うよ」
「……そうか」
オリンポスの言葉を否定する理由はなかった。
けど、だからこそ苦しい。
“信じた仲間”の名前が、裏切りのリストにある。
それだけで、喉の奥が苦しくなる。
「ソレナリフは、この裏切りを王国側に知られたくないはずだよ」
オリンポスは、穏やかな口調のまま、鋭く言い切った。
「だから僕たちは、是が非でも王国に情報を持ち帰らないといけない。
王国が“タカレ山脈を奪取された”ってことを知らないまま、ソレナリフみたいな知恵者を相手にしたら――王都が壊滅するかもしれない」
「……っ!」
オリンポスの言葉に、思わず息を呑んだ。
「王都壊滅の危機!? マジかよ……」
「それぐらい“タカレ山脈”は重要な場所なんだよ」
オリンポスの声が、いつもよりわずかに硬い。
「初めにあそこに拠点を築いたのが、頭の回らないやつだったから良かったけど――
僕でもあの場所から王都を壊滅させる手段なら、2〜3個は思いつくからね」
「……おい、それオリンポスが一番危険なんじゃ」
「あはは、冗談だよ」
と言いつつ、目が笑ってないのが余計に怖い。
「……ともかく、王都に急ごう」
俺は拳を握りしめた。
「今は一刻も早く、この情報を届けるのが先決だ」
「問題は……ルートだね」
オリンポスが地図を広げながら言う。
「まず一つ目。タカレ山脈を越えて戻るルートだけど――」
「それ、確実にソレナリフにバレるな」
と俺はすぐに否定する。
「うん。山越えかつ追撃されるリスクが高すぎる。突破できる可能性はかなり低い」
「次は?」と俺。
「相手側の陣地を横切って戦場を通るルート。裏側から突破すればワンチャンあるけど――」
「それ、陣地を正面から攻略するってことだよな?無理だな。出来たらやってる」
「うん、同感」
オリンポスも渋い顔で頷いた。
「最後のルートは――タカレ山脈の麓を大きく迂回して、“パッセ”という街を通る道」
「パッセ……そこを通れば王国側に抜けられるんだな?」
「詳しい行程は、まだ詰めるところがあるけど、大まかにはそんなところ」
「パッセは、タカレ山脈の麓にある比較的栄えた街だよ」
オリンポスが地図を指さしながら言う。
「ただ……今は魔王軍の占拠下にある。無防備に通してくれるなんて、まず期待できない」
「しかも、ソレナリフもここを通るって確信してる可能性が高い」
俺は、手元の地図を睨みながら唸る。
「……つまり、罠の可能性すらあるってことか」
「うん。でも現実的には、旅芸人の一団に紛れてパッセまで行き、そこから強行突破でもなんでもして王国まで辿り着く。それが今の最善手だと思う」
「……了解。じゃあ、その方針で動こう」
オリンポスがそう締めた、その瞬間――
「うーん……なんか、あんまり可愛くできない……」
という不穏な声が隣から聞こえてきた。
「ロイド! オリンポス! 助けろよ! マジでそろそろ限界ッ!」
エイジが絶望の叫びをあげていた。
どうやら、クルックさんによる**“第二の着せ替え地獄”**が再開されたらしい――。
……
「うーん、まぁ――うちの諜報部隊、正直弱いからねぇ」
ソレナリフは肩をすくめながら笑った。
「見失ったみたいだけど……それもまた運命ってやつ?」
あっけらかんとした口調に反して、その瞳はどこまでも計算高い。
「……ロイドさん……」
ココは、ぽつりと呟いた。
目の焦点は合っていない。まるで、何か遠くを見るように。
「まあ普通の軍隊なら、再起不能な損失は避けるよね」
ソレナリフは軽い調子を崩さずに続ける。
「でも僕たちは違う。パッセを押さえておけば、いずれ来る。そこを叩けばいい」
そして、ふとココの顔を覗き込むようにして、微笑んだ。
「ねぇ、ココちゃんはどう思う? アイスに諜報させてるんだろ?」
「……はい。アイスはタカレ山脈の尾根にいます」
ココは、わずかに声を震わせながら答える。
「だから……ロイドさんたちが山に入れば、すぐにわかるはずです。パッセを封鎖すれば、確実かと……」
「やっぱり優秀だねぇ。さすが、僕が見込んだだけのことはある」
ソレナリフは満足そうに笑ったあと――
言葉の調子を変え、あえて無邪気な声で問いかけた。
「僕たちとしてはね、本当はロイド君を捕まえない方が都合がいいんだけど――」
彼はひと呼吸置き、さらりと続ける。
「……でも、もしそこでロイド君を捕まえちゃったら、どうする?」
沈黙が、場を飲み込んだ。
ココは小さく唇を噛み――何も言えなかった。
ただ、胸の奥でなにかが軋む音がした。
その沈黙を破ったのは、翼をバサリと鳴らしながら降りてきた一人の男だった。
「黒騎士様。コマンダー諜報部隊、貴殿の傘下に入りました。勇者一行の諜報も可能です。如何なさいますか?」
鳥のような頭部をもつその男が、恭しく片膝をついて尋ねる。
ソレナリフはちらりと彼を見て、やや不機嫌そうに手を振った。
「……いいよ、まだ動かさなくて。パッセに確実に誘い込んで、そこで全部終わらせる。それが一番スマートだよ」
その声はどこまでも穏やかで、冷たい。
そして――
両陣営の思惑が静かに交差する中、
旅芸人の一行は、決戦の地“パッセ”へと足を踏み入れるのだった。
……
「……他の街ではスムーズに進めたな」
「この変装だ、さすがにバレてねぇだろ」
クマ姿のエイジが、もこもこしながら胸を張る。
「だといいんだけど……」
その時、オリンポスの歩みが止まった。
「――駄目だ、バレてる。目の前に……」
その視線の先には、数人の兵とともに並ぶ二つの影。
ソレナリフと――そして、ココの姿があった。
「ぶぉっ、はははっ! なにこれ、仮装パーティでも開くの?」
ソレナリフが腹を抱えて笑い出す。
「ソレナリフ……! そして、ココ……」
俺はその名を絞り出すように呟いた。
「ロイドさん……その……可愛い格好ですね」
ココが、どこか哀しげに微笑む。
その一言で、頭が真っ白になりそうだった。
けど、今は羞恥心よりも――答えを知りたい。
「まあ、女装って身内にバレると恥ずかしいよね」
クルックの軽口が場に割り込む。
「それをやらせたのは君だよね?」
オリンポスがすかさずツッコミを入れる。
俺はココの方を見つめたまま、問いかけた。
「……ココ。なんでだよ。なんで……ソレナリフなんかに」
一瞬、彼女の瞳が揺れる。
そして、ぽつりと一言――
「ごめんなさい、ロイドさん……」
その瞬間、吹雪が舞った。
彼女の魔法が、静かに、けれど確実に戦いの幕を開けた。
パッセの街に、吹雪が突然荒れ始める。
それはココの魔法――彼女の意思の現れだった。
「また吹雪だ……! 総員、警戒! 視界が悪くなる。慎重に動いて!」 オリンポスの声が冷静に響く。
「くそっ、こんな中でやりあうなんて無茶だぞ」 エイジが舌打ちしつつ構える。
「ココ……なんで、こんなことを……」 俺の問いは、風と雪にかき消された。
「引き気味に戦って! 援軍が来るまで持ちこたえるよ!」 オリンポスの声に兵たちが頷く。
「援軍だと!? そんな話聞いてねぇぞ」 エイジが叫ぶ。
「状況不明だけど、王国側からの捜索隊か、それとも偶然か……どちらにせよ、合流すれば戦況は変えられる」
吹雪の奥、敵軍が退いていく。
「……援軍と合流されたか。ココちゃん、撤退だよ」 ソレナリフが言い残し、身を翻す。
「はい……」 ココの声は、まるで風の中の囁きのようだった。
「待てっ! 逃がすかよ!」 エイジが猛然と追う。
だがそのとき――
「おっと……滑ったっ!?」 ソレナリフの足がもつれ、頭を石に打ちつけて倒れ込む。
「ソレナリフ、確保!!」 エイジの声が響いた。
俺は吹雪の中に、ココの姿を見つける。
「ココ!」
戻ってきてくれ。
しかし――
「ロイドさん……来ないでください!」
その拒絶の言葉と共に、吹雪はさらに激しく舞い上がる。
「駄目だ、ロイド。これ以上は危険すぎる。あの中じゃココさんを見つける前に、遭難しちゃうよ。」 オリンポスが俺の肩を掴んで言う。
「……チッ」
俺は拳を握り締めた。
ココは、俺たちの手から――心から、遠ざかっていった。
「……一度戻ろう。まずはソレナリフを王国に引き渡す。それから、だ」
俺たちは後ろ髪を引かれながら、吹雪の中を後退した。