第1話・雪女の話1
吹雪の中、雪女の少女ココは雪山に佇んでいた。白銀の世界の中心で、彼女は一人、秘めた想いを紡ぐ。
「ロイドさん。ごめんなさい。私魔王軍の幹部として、ロイドさんと相対します。」
「人間になれるなんて思ってないけど、ロイドさんは魔王軍である私を追い詰める。多分、私はロイドさんに倒される運命。」
「雪女っていう魔族に産まれた私にはロイドさんと一緒になる未来なんて無いけど。せめて彼の手で終わる、そんな未来を夢見ても、良いよね。」
彼女の目には涙が浮かんでいた。
俺と出会わなければこんな悲痛な結論を迎えなかったんだ。
そうこれは、俺が彼女を巻き込んでしまった、そういう物語である。
彼女、ココとの出会いは数カ月前の出来事だった。
最近、魔族の目撃情報が増えている。その言葉に槍を背負った青年――エイジがうなずいた。
「ああ、そうらしいな」
エイジは黒髪と黒い瞳を持つ異世界から来た転生者だ。少し軽口を叩くこともあるけれど、槍の腕は確かで、俺達勇者パーティの諜報部隊のリーダーでもある。なので、街の噂にも精通していた。
勇者パーティとは、俺、勇者ロイドを中心とした、特殊な軍隊で総勢500名程度の若き優秀な戦力を持つ。
「まぁ仕方ないよ。魔王軍は人間の国だけじゃなくて魔族の国も滅ぼしてるんだ。滅ぼされた国の難民がこっちに来るって事」
そう口を挟んだのは、銀髪の軍師・オリンポス。
年は俺と同じくらいだが、いつも落ち着いた口調で、的確に状況を読み解く。頼りになる仲間だ。
体格には恵まれず、中性的な顔立ちの男である。
「ただ、魔族が増えるって事は、魔王軍のスパイも入りやすくなるから……対処が難しいよね」
俺達の国王国は現在、魔王軍と呼ばれる魔族の国家と戦争を続けている。
そして、魔王を倒せる象徴として勇者である俺がその一軍を率いて戦っている。
俺達は魔王軍の敵将であるオークヒーロー・ギガガルドを仲間達との協力で倒した。
ギガガルドは攻撃的な策略を使う強敵であったが自身を過信する性格で、それを逆手に取った策で勝利をすることが出来た。
ギガガルドを倒した事で前線は拮抗状態となり、特殊部隊である勇者パーティは数日の休日を得られたという訳だ。
今日はそんな戦いの合間に訪れた、昼下がりの束の間の休息だった。
「ロイドは魔族、駄目だったか?」
エイジが聞く。魔族の国家との戦争が続く中、魔族憎しと言う声は少なくない。
「駄目じゃないよ。ただ、父さんが前に言ってたなって思い出してた」
『魔族にも人間にも、いい奴と悪い奴がいる。魔族でもいい奴とは仲良くなっていけ。そうじゃなければ、魔王軍よりもっと悲惨な戦争がやってくる』
理想論だとは分かっていたけど、それでも――当時の俺は、何の疑いもなくそれを信じていた。
「えっと、その女の子、誰?」
俺は偵察から帰って来たエイジにそう声をかけた。
「いや、ちょっと面白そうな子だったから声かけてみたんだ。名前はココって言って、なんと俺達のファンだってさ。まあ、どうせロイドのファンだろうけどな。あ、茶入れて来るから、適当に寛いでおいて」
エイジはそんな感じでココの事を紹介してきた。
ーー後から聞いた話によると、エイジは俺達の宿舎を意味深に見つめる彼女を見つけ声をかけたそうだ。それは魔族の少女だった。
「でエイジ、僕の話聞いてた?そんなあからさまなスパイ候補を僕たちの宿舎に連れ込んだの?」
とオリンポスは宿舎の給湯室で愚痴る。
「別に、スパイと決まった訳じゃないだろ。ロイドが言う良い魔族かもしれないじゃん」
だがエイジは全く反省の色を見せない。
「ただ女の子だったからじゃないの?そのうち美人局に引っかかるよ?」
オリンポスは呆れた表情でエイジを見るのだった。
その間、俺はいつも3人で話している作戦室で、必死にココと場を繋いでいた。
「……あはは、エイジたち遅いですね。」
「えっと、そうですね……」
ココは視線を泳がせながらも、俺の拙い話に耳を傾けてくれていた。
その態度はどこかぎこちないけれど、嘘をついているようには見えなかった。
エイジが湯気の立つ湯呑みを両手に持って、奥からひょっこり顔を出した。
「よ、悪い、悪い、お待たせー」
彼は笑いながら、湯呑みを一つずつテーブルに並べる。
「じゃあ俺も混ざって良いか?ココさんの話聞きたいしさ」
「え、えーっと……何をお話すれば……?」
戸惑うココに、エイジはさらにぶっちゃけた。
「そうだな……おいロイド、魔族ってどんな所に住んでるんだ?」
その瞬間、空気が凍る。
あえて聞いてるのか、それとも本気で無神経なのか――
エイジのことだから、どっちとも言いきれない。
「っ、あ、あの……騙してたわけじゃなくて……!」
ココは慌てて身を乗り出し、両手を胸の前で振った。
その目には、恐怖と焦り、そしてほんの少しの悲しみが滲んでいる。
「大丈夫、大丈夫、わかってたし」
エイジが手をひらひらさせて、ココを安心させるように笑った。
「まぁまぁ、俺ら魔族に対して詳しくないからさ」
ふっと空気が和らぐ。
「だから、魔族の文化とか色々教えて欲しいんだよね」
オリンポスが静かに出てきて話を引き取る。
自然と皆が頷くような、そんな落ち着いた声だった。
「おいオリンポス、いいとこ取るなよ〜」
エイジが冗談めかして突っかかる。
彼のこういう軽口は、もはや日常の一部だ。
ココは少しだけ、はにかむように笑った。
「ほっ……わかりました。私に分かることなら、お話しできます」
こうして俺たちは、魔族の少女――ココから、彼女たちの世界についての話を聞くことになった。
ココの話は、とてもためになった。
戦場でよく顔を合わせるゴブリンやオークだけでなく、平地を駆けるケンタウロス、森に住むドリアード、泉に住むセイレーン――
魔族の特徴や生息地について、彼女は丁寧に、わかりやすく説明してくれた。
「なるほど。魔族にもいろいろな種族がいて、それぞれ性格も考え方も違うんだね。興味深いよ」
オリンポスが頷きながら、話をまとめるように言った。
「魔族も一枚岩じゃないってのは……新しい発見だな」
俺も素直に感心する。
今まで敵としてしか見てこなかった彼らに、少しずつ興味が湧いてきていた。
「彼女、連れてきて正解だっただろ?」
エイジが得意げに胸を張る。まるで、自分が授業でも開いたかのような顔だ。
そんな空気の中で、ココはふと目を伏せ、小さな声でつぶやいた。
「雪女は……雪深い山奥で、ひっそりと暮らしていて……あまり知られていないかもしれませんね」
それは、彼女自身の話だった。
そしてその言葉に、誰も口を挟むことなく、ただ静かに耳を傾けていた。
――けれど、このとき俺たちはまだ知らなかった。
彼女の言葉の奥に、雪女たちが抱える悲恋が秘められていたことに。
「雪女かー。いいね、ここで働かない?」
エイジが突然、想定外の提案を口にした。
「……エイジ?」
オリンポスが、怪訝そうな目で彼を見た。
「いやさ、オリンポスはココをスパイだって疑ってたじゃん。でもぶっちゃけ、スパイだったとしても――こっちの情報を渡さなきゃいいだけの話だろ?」
エイジは真顔で続ける。
「逆に、魔族の情報引き出せるんだったら得しかないぜ。使えるもんは使わなきゃ損だって」
そのドライすぎる理屈に、俺とオリンポスは一瞬言葉を失う。
「……確かに、一理ある」
先に口を開いたのは俺だった。
「ココさん。君さえ良ければ、ここで働いてくれないか?」
俺はココをスパイだとは思っていなかった。ただ――彼女と一緒に過ごせる時間が増えることは、素直に嬉しいと思っていた。
「えー、ロイドまで!?」
オリンポスが肩をすくめる。
「……まあ、仕方ない。スパイが潜り込んでいる前提で動くべきだね」
呆れたように言いながらも、彼の目はもうどこか遠くを見ていた。
すでに頭の中では、いくつものシナリオが組み立てられているのだろう。
オリンポスの“戦略モード”に入ったときの沈黙は、俺たちにとってはいつもの光景だ。
その空気の中で、ココは小さく身を縮める。
「えっと……本当にスパイじゃないので……魔王軍の情報とか、そういうのはちょっと……」
戸惑いながらも、彼女は精一杯の声で言った。
その姿がかえって、彼女の言葉に嘘がないことを感じさせた。
「ああ、備えの話だから問題ないよ」
オリンポスは推論を終えたように言い、視線をココへと向ける。
「ココさんさえ良ければだけど――検討してみてくれない?」
「……えっと、わかりました」
ココは小さくうなずいた。
「皆さんのもとで働けるなら、嬉しいです」
その言葉に、自然と俺の顔がほころぶ。
「じゃあ、ココ。これからよろしく」
「うわ、ロイド、いきなり呼び捨てかよ」
エイジがすかさず茶々を入れてくる。
「ん? 仲間なんだ。そういうもんだろ」
俺は肩をすくめてみせた。間違ったことは言っていない。
「ふふっ……よろしくお願いします」
ココの笑顔は、さっきよりもずっと柔らかくて、どこか楽しそうだった。
「さて、仕事の時間だ」
オリンポスが立ち上がり、場の空気が引き締まった。
「あー、郊外に魔王軍の斥候部隊と思われる一団が確認された。至急、対処してほしいってさ」
エイジが斥候班のリーダーとして、珍しく真面目な口調で報告を始める。
「……えっと、戦いってこと、ですよね? 私が聞いてて大丈夫なんでしょうか……」
ココが遠慮がちに問いかける。けれど、もう彼女は仲間だ。
聞かれて困るような情報じゃない。
「相手の規模と動きは?」
俺は、必要な情報を確認するように問うた。
戦闘前の確認は、毎回欠かさない。油断が命取りになるのは、何度も経験してきたからな。
「相手はゴブリンが主体。で、地面を掘ってるのが目撃されてる」
エイジが腕を組みながら、視線を宙に投げる。
「うーん、おそらく、爆発物を使った奇襲の準備かなんかじゃねぇか?」
情報に推測を交えながらも、彼の直感はたいてい当たる。油断はできない。
「あ、ココさんはそのままでいいよ」
オリンポスが静かに言う。
「この規模なら、戦力的に問題ない。僕たちで対処できるから」
俺は一歩前に出て、声を張る。
「全員、戦闘態勢に移行。斥候部隊を叩く!」
空気が一瞬で切り替わった。