第1話・雪女の話1
最近、魔族の目撃情報が増えている。
そう言うと、槍を背負った青年――エイジがうなずいた。
「ああ、そうらしいな」
エイジは異世界から来た転生者だ。少し軽口を叩くこともあるけれど、槍の腕は確かで、俺たちの中でも情報には明るい。
「まぁ仕方ないよ。魔王軍は人間の国だけじゃなくて魔族の国も滅ぼしてるんだ。滅ぼされた国の難民がこっちに来るって事」
そう口を挟んだのは、銀髪の軍師・オリンポスだった。
年は俺と同じくらいだが、いつも落ち着いた口調で、的確に状況を読み解く。頼りになる仲間だ。
「ただ、魔族が増えるって事は、魔王軍のスパイも入りやすくなるから……対処が難しいよね」
俺――勇者ロイドは、エイジとオリンポスと共に魔王軍と戦っている。
俺たちが強敵ギガガルドを倒したことで、戦況はようやく拮抗状態になった。
今日はそんな戦いの合間に訪れた、昼下がりの束の間の休息だった。
「ロイドは魔族、駄目だったか?」とエイジが聞く。
「駄目じゃないよ。ただ、父さんが前に言ってたなって思い出してた」
俺は昔聞いた言葉をふと思い出した。
『魔族にも人間にも、いい奴と悪い奴がいる。魔族でもいい奴とは仲良くなっていけ。そうじゃなければ、魔王軍よりもっと悲惨な戦争がやってくる』
理想論だとは分かっていたけど、それでも――当時の俺は、何の疑いもなくそれを信じていた。
……
「どうした、その子」
「んー、ちょっと面白そうな子だったから声かけてみたんだよ。名前はココって言ってさ、ファンだってさ。まあ、ロイドのファンだろうけどな」
エイジが軽く肩をすくめながら、経緯を話してくれる。
ーー後から聞いた話によると、エイジは偵察中に彼女を見つけて声をかけたらしい。それは魔族の少女だった。
……
「でエイジ、僕の話聞いてた?そんなあからさまなスパイ候補を僕たちの宿舎に連れ込んだの?」
とオリンポスは愚痴る。
「別に、スパイと決まった訳じゃないだろ。ロイドが言う良い魔族かもしれないじゃん」
とエイジは反省の色を見せない。
「ただ女の子だったからじゃないの?そのうち美人局に引っかかるよ?」
呆れた表情でエイジを見るのだった。
その間俺は必死にココと場を繋いでいた。
「……あはは、エイジたち遅いですね。」
「えっと、そうですね……」
ココは視線を泳がせながらも、俺の拙い話に耳を傾けてくれていた。
その態度はどこかぎこちないけれど、嘘をついているようには見えない。少なくとも今のところは。
そのとき、エイジが湯気の立つ湯呑みを両手に持って、奥からひょっこり顔を出した。
「お待たせー」
彼は笑いながら、湯呑みを一つずつテーブルに並べる。
「さて、ココさんについてちょっと聞かせてよ。ね?」
「え、えーっと……何をお話すれば……?」
戸惑うココに、エイジはさらにぶっちゃけた。
「そうね……ロイド、魔族ってどんな所に住んでるんだっけ?」
空気が、わずかに凍る。
あえて聞いてるのか、それとも本気で無神経なのか――
エイジのことだから、どっちとも言いきれない。
「っ、あ、あの……騙してたわけじゃなくて……!」
ココは慌てて身を乗り出し、両手を胸の前で振った。
その目には、恐怖と焦り、そしてほんの少しの悲しみが滲んでいた。
「大丈夫、大丈夫、わかってたし」
エイジが手をひらひらさせて、ココを安心させるように笑った。
「まぁ、俺ら魔族に対して詳しくないからさ」
ふっと空気が和らぐ。
「だからこそ、魔族の文化とか――いろいろ話を聞かせてほしい」
オリンポスが静かに話を引き取る。
自然と皆が頷くような、そんな落ち着いた声だった。
「おいオリンポス、いいとこ取るなよ〜」
エイジが冗談めかして突っかかる。
彼のこういう軽口は、もはや日常の一部だ。
ココは少しだけ、はにかむように笑った。
「ほっ……わかりました。私に分かることなら、お話しできます」
こうして俺たちは、魔族の少女――ココから、彼女たちの世界についての話を聞くことになった。
……
ココの話は、とてもためになった。
戦場でよく顔を合わせるゴブリンやオークだけでなく、平地を駆けるケンタウロス、森に住むドリアード、泉に住むセイレーン――
魔族の特徴や生息地について、彼女は丁寧に、わかりやすく説明してくれた。
「なるほど。魔族にもいろいろな種族がいて、それぞれ性格も考え方も違うんだね。興味深いよ」
オリンポスが頷きながら、話をまとめるように言った。
「魔族も一枚岩じゃないってのは……新しい発見だな」
俺も素直に感心する。
今まで敵としてしか見てこなかった彼らに、少しずつ興味が湧いてきていた。
「彼女、連れてきて正解だっただろ?」
エイジが得意げに胸を張る。まるで、自分が授業でも開いたかのような顔だ。
そんな空気の中で、ココはふと目を伏せ、小さな声でつぶやいた。
「雪女は……雪深い山奥で、ひっそりと暮らしていて……あまり知られていないかもしれませんね」
それは、彼女自身の話だった。
そしてその言葉に、誰も口を挟むことなく、ただ静かに耳を傾けていた。
――けれど、このとき俺たちはまだ知らなかった。
彼女の言葉の奥に、雪女たちが抱える悲哀が秘められていたことに。
……
「雪女かー。いいね、ここで働かない?」
エイジが突然、想定外の提案を口にした。
「……エイジ?」
オリンポスが、怪訝そうな目で彼を見た。
「いやさ、オリンポスはココをスパイだって疑ってたじゃん。でもぶっちゃけ、スパイだったとしても――こっちの情報を渡さなきゃいいだけの話だろ?」
エイジは真顔で続ける。
「逆に、魔族の情報引き出せるんだったら得しかないぜ。使えるもんは使わなきゃ損だって」
そのドライすぎる理屈に、俺とオリンポスは一瞬言葉を失う。
「……確かに、一理ある」
先に口を開いたのは俺だった。
「ココさん。君さえ良ければ、ここで働いてくれないか?」
俺はココをスパイだとは思っていなかった。ただ――彼女と一緒に過ごせる時間が増えることは、素直に嬉しいと思っていた。
「えー、ロイドまで!?」
オリンポスが肩をすくめる。
「……まあ、仕方ない。スパイが潜り込んでいる前提で動くべきかもね」
呆れたように言いながらも、彼の目はもうどこか遠くを見ていた。
すでに頭の中では、いくつものシナリオが組み立てられているのだろう。
オリンポスの“戦略モード”に入ったときの沈黙は、俺たちにとってはいつもの光景だ。
その空気の中で、ココは小さく身を縮める。
「えっと……本当にスパイじゃないので……魔王軍の情報とか、そういうのはちょっと……」
戸惑いながらも、彼女は精一杯の声で言った。
その姿がかえって、彼女の言葉に嘘がないことを感じさせた。
「ああ、備えの話だから問題ないよ」
オリンポスは推論を終えたように言い、視線をココへと向ける。
「ココさんさえ良ければだけど――検討してみてくれない?」
「……えっと、わかりました」
ココは小さくうなずいた。
「皆さんのもとで働けるなら、嬉しいです」
その言葉に、自然と俺の顔がほころぶ。
「じゃあ、ココ。これからよろしく」
「うわ、ロイド、いきなり呼び捨てかよ」
エイジがすかさず茶々を入れてくる。
「ん? 仲間なんだ。そういうもんだろ」
俺は肩をすくめてみせた。間違ったことは言っていない。
「ふふっ……よろしくお願いします」
ココの笑顔は、さっきよりもずっと柔らかくて、どこか楽しそうだった。
……
「さて、仕事の時間だ」
オリンポスが立ち上がり、場の空気が引き締まった。
「あー、郊外に魔王軍の斥候部隊と思われる一団が確認された。至急、対処してほしいってさ」
エイジが斥候班のリーダーとして、珍しく真面目な口調で報告を始める。
「……えっと、戦いってこと、ですよね? 私が聞いてて大丈夫なんでしょうか……」
ココが遠慮がちに問いかける。けれど、もう彼女は仲間だ。
聞かれて困るような情報じゃない。
「相手の規模と動きは?」
俺は、必要な情報を確認するように問うた。
戦闘前の確認は、毎回欠かさない。油断が命取りになるのは、何度も経験してきたからな。
「相手はゴブリンが主体。で、地面を掘ってるのが目撃されてる」
エイジが腕を組みながら、視線を宙に投げる。
「うーん、おそらく、爆発物を使った奇襲の準備かなんかじゃねぇか?」
情報に推測を交えながらも、彼の直感はたいてい当たる。油断はできない。
「ココさんはそのままでいい」
オリンポスが静かに言う。
「この規模なら、戦力的に問題ない。僕たちで対処できる」
「……そういうことだね」
俺は一歩前に出て、声を張る。
「全員、戦闘態勢に移行。斥候部隊を叩く!」
空気が一瞬で切り替わった。
……
作戦は、単純なスピード勝負だった。
オリンポスが指示した奇襲部隊が敵の前衛を崩し、数が減ったところを本隊で一気に叩く――
時間との戦いだったが、俺たちは迷わず動いた。
……だが、撤退を始めたその瞬間だった。
地面の奥から、鈍く響く爆音が轟く。
「爆発のタイミング、早かったな」
思わず素直な感想が口をついて出る。
もう少し遅れていれば、俺たちの誰かが巻き込まれていたかもしれない。
「何とか倒しきれたけど……実際、危なかったね」
オリンポスも、珍しく声に緊張を滲ませていた。
冷静な彼ですらそう言うのだから、ギリギリだったのだろう。
「爆発か……魔王軍に、爆発物を使う奴がいるって聞いたことがある。そいつの配下だな、これは」
ソレナリフが腕を組みながらぼそりと呟く。
この男、アゾアラスの圧力で勇者パーティに入ったという、いわくつきのオッサンだが――その情報力は、いつだって頼りになる。
「皆さん、手慣れてますね……」
戦闘後の休息の中で、ココがぽつりと呟いた。
「私は、おどおどしてるだけで……あまり役に立ててなかったかもって」
「いやいや、ココも案外いい線いってたぜ」
エイジが軽く笑いながら、肩をすくめる。
「氷で負傷者の手当てとか、手際よかったし。助かってたやつ、何人もいたぜ?」
「……少しでも、役に立てたならよかったです」
ココの表情がふっと柔らぎ、ほっとしたように微笑んだ。
……
そのとき、ソレナリフはココの魔法に何かを見出したようだった。
けれど――その意味を、俺たちが本当に知るのは、もう少し後のことになる。
「ソレナリフさん、なにか……?」
ココが不安そうに問いかけると、ソレナリフはいつものとぼけた調子で笑ってみせた。
「いやぁ、珍しいと思ってね。氷魔法なんて、あまり見かけないからねぇ」
「氷の魔法自体は、珍しくはないけどな」
エイジがあっさりと口を挟む。
「アゾアラスのおっさんも使うしな」
……でも、アゾアラスの魔法も確か、相当珍しいって話を聞いた気がする。
アゾアラスの魔術――あれはたしか、氷を起点に展開する結界魔法だったはずだ。
防御に優れるだけでなく、罠としても使える戦略的な術式。まさに“戦場の知恵”とでも言うべき魔法だった。
それに比べて、ココの氷魔法は……もっと“優しい”魔法に思えた。
冷たいのに、どこかあたたかい。
敵を傷つけるためではなく、誰かを守るための魔法。そんな印象を受けた。
――魔法も、所詮は道具。
使い方次第で印象なんていくらでも変わる――
そんな当たり前のことに、俺はまだ気づいていなかった。