親ガチャ失敗
「僕は親ガチャに失敗しただけだ」
と、紐野繋は呟いた。
同じクラスの野戸という男子生徒が有名な大学への進学を決めた。彼は人柄も良い。だからだろうが、クラスメイト達は彼を素直に祝福していた。
しかし、紐野はそのクラスメイトの祝福を信じてはいなかった。
“どうせ内心じゃ、皆、妬んでいるに決まっているんだ”
人間は他人の心理を考える時、自分の心理を見る。だからつまりはそれは、彼が野戸を妬んでいるという事でもあった。
「あいつは環境に恵まれただけだ」
夜中、眠る前、紐野はベッドの上で横になるとそう呟いた。
野戸の家は金持ちだ。だから高い金を出してもらって、良い塾に通ったり家庭教師を雇っているに違いないと彼は思っていた。
紐野の父親は、大学受験の年に仕事をクビになっていた。その精神的なショックもあったのだろうが、それから父親は家の中でよく暴れるようになった。真っ当に勉強ができるような環境ではない。間違いなくハンディキャップ。もし仮に、野戸のように恵まれた環境だったなら自分だって……
そう思いながら彼は目を瞑った。
『――本当にそう思うかい?』
気が付くと真っ黒な世界に紐野はいた。目の前には日本神話に登場するような服を身に纏った少年がいる。前髪が長くて、目が見えなかった。
「なんだ、お前は?」
驚いて彼がそう尋ねると、その少年は『神様さ』と答える。
とんでもない事を言い出した。
「神様? どうして神様が僕の所にやって来るんだ?」
『神社にお参りしただろう? だから、願いを叶えてあげようと思ってね』
それを聞いて彼は首を傾げる。
「神社にお参りなんかしたっけ?」
そんな覚えは彼にはなかったのだ。
『ま、良いじゃないか。そんな細かいことは』
などと自称神様は言う。あまり細かくはないと彼は思ったが口にはしなかった。
『とにかく、君はもっと恵まれた環境だったら良かったと思っているのだろう? なら、そうしてやろうか?』
その言葉に彼は驚く。
「そうしてやろうって?」
『もちろん、良い家の生まれにしてやろうって言うんだよ』
一瞬彼は喜んだが、直ぐに素に戻る。
「そんなの無理だろう? いくら神様だって」
『ハハハ』とそれを聞いて神様は笑う。
『やはり簡単には騙されないか。その通り、今から君に夢を見せる』
一気に彼のテンションは下がった。
「なんだよ、夢って」
夢オチのネタバレを堂々としないで欲しい。
しかし彼の様子に神様は「チチチ」と指を振りながら言うのだった。日本神話みたいな恰好をして、ジェスチャーがアメリカンだ。
『夢を馬鹿にしちゃいけないよ。夢の中で発明のヒントを得たなんて話もあるんだ。それはきっと君の生きるヒントになる』
「ヒントって」と彼は抗議をしようとしたのだが、それから急速に視界が歪んでいって何も言えなかった。
気が付くと彼はいかにも高級な家の中にいた。夕食らしい。両隣には両親が。真っ黒なシルエットで姿は見えなかったが、彼にはそれが両親だと分かった。
『学校の成績はどうだい、繋?』
父親のシルエットが尋ねて来る。それを聞いて彼はギクリとなる。
何故だか分かる。この世界でも自分の成績は芳しくない事が。塾に通わせられたって、家庭教師をつけられたって、自分はきっと真面目に勉強なんかしない。
母親がそんな彼の様子を察したのか、話題を変えて助けてくれる。それを察した彼は、だからこその屈辱を覚えた。そして、“母さんが甘やかすから、僕は本気で勉強をしようとしないんじゃないか。母さんが悪いんだ!”と理不尽な怒りを覚える。
もちろんそれが身勝手な責任転嫁である事は自覚していた。
部屋に帰ると、電灯も灯さないで彼はベッドの上に突っ伏した。自己嫌悪。“君の生きるヒントになる”。神様はそう言っていた。
“これがそうだって言うのか? ふざけるな!”
と、彼は思う。
きっと、これは自分の望みが叶った世界なのだろう。恵まれた家庭。だけど、恵まれた家に生まれ育ったとしても、自分が野戸のような秀才になれるとは彼には少しも思えなかった。
“いや、そもそも勉強ができるのが人間の価値なんていうのが間違っているんだ”
彼はそう思った。
それは恐らくは正しい。勉強の成績など、無数にある人間の価値基準の一つに過ぎない。だから成績が低かったとしても、それで人間の価値が決まる訳ではない。
でも、何か…… そう思いながらも、何かが違う気が彼はしていた。
『おめでとう、野戸!』
学校。
クラスで野戸が祝福をされていた。
“こいつが凄い訳じゃない。環境や才能に恵まれていただけだ”
しかし、そこでクラスメイトの声が聞こえて来たのだった。
『野戸って本当に凄いよな。父親が会社をクビになって家が荒れているらしいぜ。よく勉強できるよ』
彼は歯を食いしばった。
“これは夢だ”
そう思った。
が、もし仮にそんな立場に立たされても、野戸なら真面目に勉強をしそうな気がした。
その時、野戸の声が聞こえて来た。
『ハンデを背負っているからこそ、“懸命に勉強をしなくちゃいけない”って却ってそれをモチベーションに変えられたんだよ。そのお陰さ』
彼の気分は沈んでいった。
劣等感。自己嫌悪。
閉塞感。
――気が付くと、彼は再び暗い世界にいた。目の前には神様がいる。
『ヒントになったかい?』
と、神様が訊いて来る。文句を言うように彼は返す。
「言いたい事は分かったよ。お前の家の状況なんかハンディキャップじゃないって言いたいのだろう?」
くだらない寓話だ。
そう彼は思った。
ところがそれに神様は『いや、違うよ』と返すのだった。
『間違いなく君の恵まれない家庭環境はハンディキャップになっているさ』
それを聞いて彼は「なんだ、そりゃ!」とツッコミを入れた。そして“なら、どうしてあんな嫌な目に遭わないといけなかったんだ?”と心の中で文句を言う。
が、それから神様はこう言うのだった。
『しかし、その家庭環境に責任を押し付けてしまったなら、君は本当にダメになってしまうんだよ。
“原因”と“責任”は違う。家庭環境を君が今そうである責任にしてはいけない。
環境を責任に押し付けないようにすることで、君は自己の行動に責任を持てるようになるんだよ。そして、努力ができるようになる。言うなれば、それは心的な道具なのだね』
それから神様は軽く溜息をついた。
『それに、君の家庭環境は完全にダメって訳でもないと思うよ。良いお母さんじゃないか。君の為を想って、神社にお参りをしてくれていたんだぜ? それが夢にも現れていたみたいだけど』
それを聞いて、“なんだよ、神社にお参りしたのは母さんだったのか”と思う。安心したような悔しいようなそんな気持ちになった。そしてそれから、
「分かったよ」
と、そう返した。
彼の答えを聞くと神様は頷いた。
そして、
『もちろん、時には逃げる事も必要だけどね。その時は思い切り家庭環境の所為にした方が良い』
そう言うと神様はスッと消えていった。
“どっちなんだよ”
と、紐野は思った。ただそれでも、少しだけ、彼は違った明日を迎えられそうな気にはなっていた。