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木瓜

 俺はサークル部屋の机に据えた木瓜(パパイヤ)を眺めていた。


「やあ、どうしたんだ、高橋(たかはし)。そんな果実をまじまじと見つめて。いくら金が無くとも、ジョークグッズは市販のものを使った方がいいぞ」


背後から俺に声をかけてきたのは、同じこの文芸サークル「魔ヶ沼(まがぬま)」に所属する同期生の金谷(かなや)であった。

菊池寛に憧れすぎて、いつも和装に身を包み、ストレートの髪をわざわざパーマした上、目が悪くないのに伊達眼鏡をかけている変人だ。


「そんなんじゃないっての。昨日、俺の誕生日だっただろ。名越(なごし)さんがくれたんだ。プレゼントだって」


名越さんは「魔ヶ沼」に所属する女性部員だ。

部長に憧れて入ってきたそうだが、純文学を志す部長と違い、もっぱら詩を書いている。

俺はこの名越さんの醸し出す繊細微妙で謎めいた雰囲気に惹かれている。

俺が名越さんに片想いをしているのは金谷も知っている。

名越さんから、はいプレゼント、と言われた時は天にも昇るくらい嬉しかった。

しかし差し出された手のひらに乗っていたのはパパイヤだった。

プレゼントに青いパパイヤ。

意味がわからない。

金谷もチベットスナギツネのような顔をして、机の上のパパイヤを見据えている。


「俺のことがイヤとかそういうことかね」


「いや……わかったぞ」


金谷はそう言うとにやにやと笑い始めた。


「キッショ、なんでわかるんだよ」


「失礼なやつだな、ヒントをやらんぞ」


俺がぺこぺこと頭を下げると、金谷は咳払いをした。


「おほん、君は常日頃、ナゴシさんナゴシさんと譫言(うわごと)のように繰り返しながら、その実、彼女のことをまったく知ろうとしていないな。そのような事で私のように彼女の真意に辿り着くことができようか」


「そんな事は……」


「いいや、そんな事あるね。君は彼女がどんな詩を愛好しているか、一度でも知ろうとした事があったかね」


その時、ドアを勢いよく開けて部長が入ってきた。


「青年諸君、恋バナもいいが、このサークルは文章を書くところなんだが?」


部長の萬田(まんだ)女史は高い身長を活かして部室を睥睨へいげいする。

目力が異様に強く、少し太ましく、顔のつくりはいいが二重顎で、肩幅がめちゃくちゃ広い。

俺はこの人を見るたびにジョルジュ・サンドを連想する。


「あ、俺、これからバイトなんで、すいません」


サークル部屋を出た俺の脳裏に金谷の言葉がこびりついていた。


ーー彼女がどんな詩を愛好しているか、一度でも知ろうとした事があったかねーー


それから俺は名越さんがサークルで読んでいた詩集をひたすらに読み漁った。

ハイネやリルケといった有名どころから、ホンゴー・G・カオルのようなマニアックなやつ、果ては漢詩まで。

名越さんはあれからサークルに顔を出さない。

俺は詩経を読んでいる時、あっ、と声を挙げた。


数日後、俺は一般教養の授業から出てくる名越さんをやっと見つけると声をかけた。


「我に投ずるに木瓜(ぼっか)を以てす」


名越さんが振り向いた。


「之に報ゆるに瓊琚(けいきょ)を以てす」


俺は続けてそう言った。

用意したイヤリングの箱を掲げると、名越さんは顔を少し赤らめて返した。


「報ゆるに(あら)ざるなり」


そう言うと、名越さんは顔を真っ赤にして俯いた。

俺は名越さんに近づいてその手を取った。


「永く以て好みを為さんとするなり」


 手を繋いで帰っていく高橋と名越さんを遠目に見ながら私はパイプをふかしていた。


「ふぅ、アロマが美味いぜ」


煙草は苦手なので、パイプの中には香草が入っている。


「強がっちゃって。本当にあれでよかったのかい、金谷くん」


その声に振り向くと、部長の萬田女史が黒い革鞄を提げて立っていた。

その目にはいつもの威圧的な光がなかった。


「木瓜をもらったのは、私ではありませんからね」


萬田女史はごそごそと鞄を漁ると、何やら取り出した。


「そんな君には残念賞をあげよう」


萬田女史が差し出したのは、刺身みたいな形をした不味そうなドライフルーツの小袋だった。


「サンザシ? お茶に合いそうですね」


萬田女史はやれやれというポーズをして、鞄からさらに何かを取り出した。


「ほら、おまけだよ」


萬田女史は私に謎の果物を押し付けると、大股に去って行った。


「これはカリン……じゃなくて、マルメロ? え、あっ、ちょっと、本当に?」


 投我以木瓜  我に投ずるに木瓜(ボッカ)を以てす

        貴女は私に木瓜(パパイヤ)を贈ってくれました


 報之以瓊玉  之に報ゆるに瓊琚(ケイキョ)を以てす

        そのお返しに美しい宝玉を贈ります


 匪報也    報ゆるに(あら)ざる也

        お返しというだけではありません


 永以為好也  永く以て好みを為さんとする也

        末永くお付き合いをしたいのです


 投我以木桃  我に投ずるに木桃(ボクトウ)を以てす

        貴女は私に木桃(さんざし)を贈ってくれました


 報之以瓊瑤  之に報ゆるに瓊瑤(ケイヨウ)を以てす

        そのお返しに美しい宝玉を贈ります


 匪報也    報ゆるに匪ざる也

        お返しというだけではありません


 永以為好也  永く以て好みを為さんとする也

        末永くお付き合いをしたいのです


 投我以木李  我に投ずるに木李(ボクリ)を以てす

        貴女は私に木李(マルメロ)を贈ってくれました


 報之以瓊玖  之に報ゆるに瓊玖(ケイキュウ)を以てす

        そのお返しに美しい宝玉を贈ります


 匪報也    報ゆるに匪ざる也

        お返しというだけではありません


 永以為好也  永く以て好みを為さんとする也

        末永くお付き合いをしたいのです


『詩経』衞風・木瓜より

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― 新着の感想 ―
[良い点] 漢詩の現代再演って感じでしょうか。 作者さんの強みが生かされてるように思えますし、青春劇とのシナジーも意外に良くて驚きました。 何かきっかけでもなければ知らないような漢詩のチョイスもいいで…
[良い点] 文学青年淑女の甘酸っぱさは少々刺激が強いですねえ。古風なプロポーズがまた古き良き奥ゆかしさを感じられて素敵です。末永く爆発しろ〜!
[良い点] 読み終えて、思わず溜め息が出ました  若きはよきですなぁ
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