第二話 ガリミムスに乗ったただ一人の少年
「あぁ? あたしら今忙しいんだわ。悪いけど他を当たってくれ」
スモモは鮫のような面構えで少年を睨みつけて話を断ろうとしたが、十二〜三歳ほどに見える少年は何か切羽詰まっているようで、吠え散らかしている狂犬すらも黙らせるスモモのその眼光にも、怯まなかった。
「困ってるんです。お願いです」
「無理だっての!」
スモモは最後の一粒の唐揚げに、丁寧に爪楊枝を刺しながらぶっきらぼうに答えた。
「ちょっとちょっと、スモモちゃん冷たいよ……。一体わたし達に何をして欲しいの?」
スモモを咎めて少年の要件を尋ねたリカであったが、少年よりも早くスモモとしらすの方が話し始めた。
「おいリカ、安請負いなんかすんなよ。他人の心配は自分の人生が上手くいってる時だけするもんだぞ」
「これはスモモに同意ね。こういう時に振られる頼み事って例外なく面倒だし、相手はせいぜい中学生くらいの子供。大したリターンも見込めないわ」
非情なしらすの損得勘定は、リカを納得させるには十分すぎる判断材料であったようだ。
「それもそうだね。じゃあごめん、やっぱ無理みたい」
「普通にお前が一番最低だろ……」
掌を鮮やかに翻したリカに、少年よりも先に、スモモの方が困惑していた。
先程までは丁寧だった少年も、スモモとしらす、さらには唯一話が分かりそうなリカまでもが裏切って、目の前にいる三人の天使たちの傍若無人ぶりに痺れを切らした。
「……あんたらそれでも天使かよ! 話聞けよ。下手に出てればさっきから、ガキだの子供だの……俺だってもう——」
「うわ! こいつ、初対面に下ネタかよ」
スモモは心底驚いたような顔をして、咥えていた爪楊枝を落とした。しらすは相変わらずの無表情であったが、少年へ向けた視線は確実に先ほどより攻撃的である。
「キモいわね。チュパカブラ、血管が干からびる程度にあれの血を吸いなさい」
「まだ下ネタって決まったわけじゃないよ……流石にバベルの前で暴れるのはやめとこ?」
少年を指差し、チュパカブラをけしかけようとするしらすを、リカは辺りの天使の視線がこちらに向いていないか気にしながら制止した。
「くっそ、ヤバい天使に声かけちまった……でも、面白そう」
少年は頭を抱えながら何か呟いた。スモモは立ち上がった。
「そうだ! あたしらなんかよりまともな奴らに——今、でもの後になんつった?」
少年は生意気な笑みを浮かべて、スモモたちを指差した。
「フン。いいから着いてこいよ! 俺じゃどうにもならねぇんだ。それとも、アンタらってガキの頼み事にも手こずるようなヘボ天使なのか?」
少年はスモモ達を挑発すると、踵を返して走っていってしまった。少年の煽りは、スモモには抜群の効果を示しているようだ。
「上等だコラ……やってやるからとっとと案内しろ! 待て!」
スモモは頭にすっかり血が昇って、履いているスニーカーの靴紐をすぐに結び直すと少年のあとを追った。
「あんな安い挑発に乗るだなんて……原始的な人工知能のそれより、ずっと単純な思考回路してるわね」
しらすはため息をつきながら、もうずいぶん小さくなってしまった少年とスモモの背中を見つめている。
「チュパカブラ、あなたは一旦戻りなさい」
しらすがピラミッド型のポーチにチュパカブラを呼び戻して収納するのを見て、リカは何となくしらすがこの後スモモを追いかけるのではないかと思って嫌そうな顔をした。
「結局行くのー? わたしスモモちゃんくらい早く走るの無理だよ。飛ぶのもめんどくさいし」
「もちろん、面倒だからそんなことはしないわ。これに乗っていきましょう」
しらすはチュパカブラを収納した後から、ポーチのファスナーを開けっぱなしにしている。
「召喚」
しらすがそう唱えると、彼女の奇妙な形のポーチが一瞬揺れて、輝いた。
「これ……」
次の瞬間、自分の目の前に現れたものにリカは圧倒されて、苦笑いをした。
「ガリミムスよ。チーターと同じくらい早く走れるわ。早く追いかけるわよ」
しらすがポーチから取り出し——召喚したのは、体躯は細いが俊敏そうに見える、無駄のない体つきをした恐竜であった。
「白亜紀の恐竜、だね……」
リカはガリミムスに、崩れかかった苦笑いを向けた。
しらすとリカはガリミムスの背中に飛び乗り、しらすはもうそろそろ見失ってもおかしくないほど遠くに見えるスモモたちの方角を指差した。
「出発」
「わあっ!」
リカはしっかりガリミムスの背中にまたがり、横向きに座っているしらすの体にしがみついている。ガリミムスは一度大きく吠えて、バベル前の石畳を乱暴に蹴ると、凄まじい速さで走り始めた。
程なくして、しらすとリカを乗せたガリミムスは少年とスモモに追いつき、そして追い越した。走るスモモと少年の真横に、目を瞑りたくなるほどの突風が駆ける。
「あ! あたしも乗せてくれよ!」
しらすはスモモを無視し、少年をガリミムスの背中の上からさらに顎を上向きにして、これ以上にないほどに見下ろして言った。
「ねえ。人間の子供。乗せてやるから案内しなさい。さっさと片付けて、目にものを見せてやるから」
「もしかしてだけど、しらすちゃんも安い挑発に乗せられてる?」
リカはしらすの言動を聞くや、眉をひそめた。
「恐竜!? 乗っていいのか!」
少年は産まれて初めて生きた恐竜を見たのか、興奮している。少年はガリミムスに咥え上げられ、しらすの前の位置、ガリミムスの頭部の一番近くに乗せられた。
「おい! お前ら、ずりーぞ。ってか、最低だろ!」
スモモは恐竜に乗る三人に見下ろされながら、惨めな気分で抗議した。
「悪いわねスモモ。この恐竜は三人乗りなのよ」
吠えるスモモを見下ろしながら、しらすは今日初めて、口角をかすかに上げて満足そうに笑った。
「死ぬほどムカつく!」
地団駄を踏むスモモを置いていくつもりなのか、彼女を横目に、少年は進路の指示をした。
「ってか今更だけど、天使なら空飛べよ……。次、突き当たりを右!」
「イエスサー」
しらすが答えると、ガリミムスはまた走り出した。
「しらす、後でぶっ殺すからな!」
しらすは後方から聞こえてくる恨みに満ちたスモモの叫びを、嬉しそうに聞いていた。
走り始めてから三分ほどで、少年がガリミムスの頭をつついた。
「着いたぜ! ここだ」
少年が連れてきたのは、バベルの南西を流れる、大きな川沿いにある廃工場であった。この廃工場はずいぶん昔に倒産した会社の所有物であったらしく、さらに持ち主が現れないままのざらしになって久しい。市民の間では幽霊が出るという噂が立つほど、誰も寄りつかない寂れた場所であった。
「はぁ〜。お尻痛くなっちゃった」
リカはスカートの上から臀部を押さえて、ため息をついている。
「こんなきったない場所に、よくも天使を呼びつける気になったわね」
しらすはガリミムスの背中から颯爽と降りながら、心底不快そうに少年を睨みつけ、少年の方はそんなしらすを見てすくみあがった。
「お、おい。話はここからなんだから、そんな怒らないでくれよ……」
「はぁ、はぁ……やっと着いた……殺す」
そこに赤い目を血走らせてさらに赤くしながら、怒りに満ち満ちた面持ちのスモモが、息もたえだえに走ってきた。
「しらすは後で殺すとして……ガキ! こんなとこまで連れてやがって、つまんねぇ用事だったらお前、川に沈めるからな」
スモモはこの場にいる誰よりも背が低いにも関わらず、最も凄みのある形相で少年を睨みつけた。
「ああもう、今案内するっつーの! こっちだ」
少年はおっかなそうに目を丸くして、どたどたと荒れた土地を進み、廃工場の建物の中を指さして手を振っている。三人の天使は顔を一度見合わせて、少年が呼ぶ方へと進んだ。
「あれ……輪っかが……」
リカが頭上を見ると、そこに浮かぶ天使の証、白い輪が激しく点滅しているのに気づいた。しらすとスモモも、リカが言ったのを聞いて、自身の頭の上を見て、目を丸くしている。
「凄まじい量のディアノイアの反応だわ。誤作動じゃなければ……」
「ノルマ達成か!?」
スモモは点滅する輪を見て、目を輝かせた。
「おい! なんではしゃいでんのか知らねぇけど、静かにしろよ」
少年は廃工場の入り口の壁から、中をそっと伺いながら声を殺してスモモたちを咎めた。
「あぁ? 何も話さず連れてきやがったのはお前だろ?」
「スモモちゃん、ガラ悪いったら……」
天使よりも鬼と形容したくなるような低い声で話しながら、スモモが少年を睨みつけるのを、リカがいつものようにたしなめた。少年の方は人差し指を口に当てて、首を振っている。
「しっ! 起きちまうだろ……! あいつが……」
「だから、何があんだよ——っとこれは……」
何かを恐れている様子の少年をまどろっこしそうに押しのけ、スモモは建物の中を覗いたが、その瞬間に言葉を詰まらせた。
「——っ!」
リカとしらすも中を覗いて、その場で固まった。
そこに居たのは、大型トラックほどの大きさの巨大な獅子のような獣であった。それは何か、この世のものとは思えない、無機質な雰囲気を纏っている。
「頼み事の内容。あいつを、ぶっ倒して欲しいんだ」
少年は、廃工場の中で眠っているそれを指差した。
ディアノイア、それは神の元素。かつてこの国に居た、神の肉体の残滓。