トライアングルレッスンM 『デジャヴ』
冷たい北風がヒュルリと駆け抜けて行く。
俺はマフラーを首元から顎の上まで引き上げた。
寒い。
小さく身震いをして、傍のビルを見上げる。
ゆいこはまだ出てこない。
子供の頃からずっと一緒にいる幼馴染のゆいことたくみ。
社会人になった今もその関係はずっと変わらぬままだ。
それぞれ仕事を終えた俺とたくみは言い合わせたように毎晩ゆいこの勤めている会社のビルの前で落ち合い、彼女を家まで送り届けるのが日課だった。
「ごめーん、待ったよね?」
俺とたくみが寒さに言葉さえもかわせなくなった頃、ようやくゆいこがビルから走り出てきた。
「お前、コートは?」
寒空の下、ブラウス一枚のままカバンを肩にかけて走ってきたゆいこの姿に、たくみが眉をひそめて問いかけた。
「今朝、電車の中に忘れちゃって・・・」
ゆいこがバツの悪そうな顔をする。
「はぁ?お前、何やってんだよ、相変わらずドンくさい・・・」
呆れたように首を振るたくみをよそに、俺は急いで自分のコートを脱ぎ、そっとゆいこの肩を包み込んだ。
「え?あ、大丈夫だよ、ひろし」
慌てて俺にコートを返そうとするゆいこを押しとどめた。
「いいから、着てろ。風邪引くぞ。」
「ごめん・・・ありがとう」
見るからにサイズの合わないブカブカのコートを着て、ゆいこが申し訳なさそうにお礼を言う。
「ったく、お前は・・・」
小さく舌打ちをしながら、たくみも自分のしていたマフラーを外し、ゆいこの首に巻きつけた。
「ほら、行くぞ、ひろしが風邪引く前に帰るぞ。俺の後ろにいれば、風当らねぇから」
乱暴に言って、たくみが歩き出す。
「ふふふふ」
そんなたくみの後ろ姿を見ながら、ゆいこが小さく笑いを漏らした。
「ゆいこ?」
「ん?あぁ、ちょっとデジャブ。昔もこんなことあったなって。」
ゆいこが懐かしそうに目を細めながら、俺を見上げた。
俺の脳裏にゆいこが言うその時の光景がはっきりと浮かぶ。
幼かったたくみとゆいこの声が頭の中で響いた。
『お前、なんでジャケット着てないんだよ?風強くて、凍えちゃうぞ?』
『だって、来た時は寒くなかったんだもん』
歩きながら、涙目で震えていたゆいこ。
そうだ、あの時も俺は、自分の着ていたジャケットをゆいこに着せてあげたんだ。
『ひろし、ありがとう』
涙目で弱々しくお礼をつぶやいたゆいこの姿に、ドキンと胸が高鳴ったのを今でも覚えている。
『俺が風よけになるから、ゆいこは俺の後ろをついて来い』
たくみが先頭を切って歩き、俺とゆいこがそれに続いた。
幼いながらに、俺もたくみも必死でゆいこを愛していた。
あの頃から相変わらず隣にいるゆいこに目を移すと、大人になったゆいこは愛おしそうな優しげな視線をたくみの背中に送っていた。
そしてその視線を俺にも向ける。
この先・・・。
俺ら3人はどうなって行くのだろう。
この想いは・・・どこへ行き着くのか。
誰かが傷つくくらいなら・・・いっそこのまま時が止まればいい。
そんなことを本気で願いながら。
俺はゆいことたくみを追いかけた。