なれそめ
「なれそめ」
私は未熟児で産まれた。
私の母も体が弱くて、私が生きてこの世に出てこれたことが奇跡だった。
退院したあとも、私は入退院の繰り返し。いろんな薬や治療で私の肌は黒ずんでいたし、今でも手が子供のままだ。
そのためか、私のことでお父さんとお母さんが喧嘩することもしばしばだった。
けして裕福な家庭ではなかった。鹿児島空港のある、山の上の田舎町に暮らしていた。
私が二歳のときに、弟が産まれた。きっと両親ともに不安のなかの出産だったに違いない。
私の時のように大変なことにならないようにと、祈っていたろう。
けんたろう、と名付けられた弟はこの世で何回かの呼吸の後に、天国へ旅だった。生まれながらに心臓に、穴が開いていたのだった。どれだけ、悲しみに暮れたことか、二歳の私には話で聞く両親の真の痛みはわからない。
それでも、両親は頑張った。私と五つ違いの弟を、その一年後にはさらに弟を出産。そして、私と10歳離れた妹を最期にこの世に送り出した。
私や亡くなった弟とは違い、三人はみな、健康体で育った。
でも、母は元々、弱かった身体に無理をしていたのか、働きに出ても、長続きしなかった。
私がまだ小学校低学年のときに、学校に母から電話があった。体調が思わしくなく、下の兄妹の面倒を私に見て欲しいから帰ってきてほしい、ということだった。
何度かそういうことが続いたこともあったからなのか、元々が色黒で小さかった私は、小学校から中学まで、ずっとイジメの対象だった。
お風呂で、自分の身体を軽石で擦ってみた。
「白くなれっ!、白くなれっ!、白くなれっ!」祈りは届かず、ただ、涙だけが流れた。痛みと悔しさと。
そんななか、ある女先生が、学校でもプライベートに至るまで、私のことを考え心配してくれた。今でも、町中で逢うと熱く握手をして話し込んでしまうほどの、恩人だ。
小学校五年の頃に、近所の山で兄妹四人で遊んでいたら、私のすぐ下の弟が突然、消えた。
みんなで探し回る。私は半泣きで、弟の心配と、お母さんに怒られることの恐怖を交互に考えていた。
すると、どこからか弟の声がする。木々の間の草むらのなかにポッカリ空いた、穴。
井戸だった。被せていた丸板が腐っていたのか、そのなかに弟がいた。
「今行くから!」私は飛び込んだ。仮面ライダーのように片膝をついて着地した。興奮と何とかしなきゃという姉の責任感で痛みはなかった。
そして、上がる術もなかった。
見下ろす井戸は浅く感じたのに、今、下から見上げる井戸の口は、遥か彼方上方に、小さく丸い口を空けていた。
「姉ちゃん、大丈夫か?僕も行こうか?」二番目の弟の声に慌てて、
「来るな!来るな!誰か大人を呼んできてー!」私は声を限りに叫んだ。
一週間ほどして、どうしても脚が痛いからと港町、加治木の病院で見てもらったら、膝の皿が割れていた。その痛みをかばって歩いていたせいか、飛び降りたときに、股関節も痛めていたのか、その後はチンバを退くような歩き方になった。
中学の時にも入院した。そのときにCDラジカセを買ってもらった。ホントに、ホントに、嬉しかった。
退院してから、ラジオばかりじゃ当然、飽きてきて、流行りの音楽を聴きたくて、加治木町のツタヤに見に行った。CDもあったけどふと、目に留まったカセットテープコーナー。その頃はまだふきこみのカセットテープも販売していたから、馴染みのある方に目が向いた。安いテープが売っていた。
「安い・・・」私はポケットのなかの小銭をじゃらじゃら言わせて、これならお釣りでお菓子が買える、と思った。
家に帰るとラジカセにカセットテープをセットする。買ったお菓子も並べて、さてと。
が、いつまでたっても音がしない。いや、ザーザーとは、いっていた。
弟が帰ると聞いてみた。
「姉ちゃん、これ、録音カセットだよ」道理で、歌詞カードがないと思ったんだよね。おっちょこちょいの性格は治らない、そう思った。
結局、私が買った初めてのCDは、井上陽水の「少年時代」。
高校生になった。いや、なんとか、なれた。
でも、今までの地元の友達や知り合いがほとんどいなかった。だから、イジメのことも家庭環境のことも誰も知らなかった。
まさに、新天地だった。産まれて初めて学校が楽しいと感じた。
世の中の、「ガングロ」ブームも後押しした。伸び伸びと、冗談を言い合い、ふざけても誰も蔑んだ目で私を見なかった。失敗しても、みんなが真剣に心配してくれた。当たり前のことが当たり前に目の前に展開していく悦び!嬉しくて楽しくて!
でも、楽しい時間はあっという間だ。
卒業して実家から少し離れた、薩摩町のIC製造工場に勤めだした。最初は会社の指定の借家に住んでいたが、男女間のトラブルで、自宅通いとなった。
薩摩町は冬になると雪が積もる。二輪しか持たない私はそのなかを、決死行で通った。でも、何度かお父さんに車で救援された。私の給料も家計を助ける手助けになった。
私が19のとき両親が、離婚した。秒読みだろうとは思っていたがいざ、現実になると、少し動揺したけれど、すぐに立ち直った。
生きる力はとっくに身についていた。
その日もツタヤでレンタルして、加治木町から溝辺町の我が家に帰ろうとヘルメットを被る。女友達が貼ってくれた、
「恋人募集中」のステッカーが恥ずかしい。今日、家についたら剥がそう、そう思った。
坂を上ってる間に、買い物を思いだした。自宅への曲がり角をやり過ごして、鹿児島空港そばの小さなスーパーマーケットに寄る。
スクーターを止める、その横を白い車が通りすぎて、少し奥の駐車場に停めた。エンジンも切らずに降りてきた男の人がまっすぐ、私の方に近づいてきて、言った。
「ど~も~!こんにちは、田中浩一って言います・・・・・」
どうやらヘルメットのステッカーに釣られたみたい。
ナンパか・・・。でも、優しそうな、いい人に見えた。
*
やがて僕らは結婚した。式は挙げなかったが、僕の会社の社長夫婦の立ち会いのもと、教会で、神様の祝福を浴びた。
僕の母の親戚の竹下集落に住む「竹下の伯母さん」の借家に暮らすことになった。
かみさんも、母の紹介で仕事を、加治木の地元の丸高衣料という子供服製造会社に勤めるようになった。
歳が12、離れてるからか、喧嘩もしなかった。
楽しい毎日を過ごしていた。
その日の落陽はいつにもまして、世界を朱に染めていた。それは血の赤にも見えた。
かみさんが台所で夕食の準備をしていた。手伝ったり、邪魔したりしていたが、僕の携帯が鳴った。
小窓には登録者の名前ではなく、番号が通知されていた。見知った番号だった。
スルスルとかみさんから離れて、背中を向けると、二つ折りの携帯を開いた。繋がってから、しばらく無音が続いたが、やがて相手が小さな声で、しかし、はっきりと喋りだした。
「・・・あっ、もしもし、浩ちゃんですか?あたし、エミです。・・・あっ、もしもし、あたし、エミですけど」
五年ぶりの声だった。
ふすまを隔てて二人の距離は畳みを横にして五枚分。携帯に出ちゃったもんは仕方ないにしろ、元カノだったのが、なんだか後ろめたい。
とはいえ、やましいことは何もないのだから臆することもないのだが、堂々ともできず、頭のなかをぐーるぐる考えが巡っていた。
電話の向こうでは、エミちゃんが喋っていたが、僕はふすまの向こうのかみさんの動向が気になって仕方なく、話の半分、いや、八割方、聞いてなかった。たぶん、
「・・・色々あって、帰ってきちゃった」とか、
「東京ってさ、肌に馴染む人と馴染めない人の差が、はっきり出るよね」とかは、聞き取れた。このまま行くと、自惚れではなくて、僕の現在の状況を聞かれるんだと思った。
しかし、それよりやはり、かみさんが、作り終わって、ふすまを開けられることに、恐怖すら感じていた。
こうなりゃ、今だ。今でしょ、言うなら。
「実は、結婚したんだよね」
「えっ!?」話を遮るように割ってはいった僕の言葉に絶句したエミちゃんはしばらく、圧し黙っていた。
いや、ほんとは、よく聞いてればすすり泣いていたのだが、とにかく、ふすまの向こうが気になって気になってしょうがなくて、足音で身体の向きまで手に取るように把握できるほどに、神経を集中してた訳で。
「サヨナラだね」エミちゃんの最後の言葉。
「う、うん」僕の上の空の反し。
その時、ふすまが開いた。携帯は、プープーと切れていた。
「誰から?」
「前の会社の友達がカラオケ行こうかって。断ったよ」
「なんで?行ってよかったのに」
「久美ちゃんといる方が楽しいもん」
「えへへっ」
「えへへっ」
かみさんは窓から差し込む真っ赤な夕日をバックに包丁と葉っぱを握ってブラブラさせた大根を、腰高に構えながら笑っていた。
その大根が、髪の毛を握られた僕の生首に見えなくもなかった。
そのまま踵を反すと僕の今の言葉に喜んだのか、大根を切り始めた。
冷や汗がタラタラと流れていた。
*一部誇張、仮名があります。