第二話 九番目の犠牲者
ラパンは真っ暗な世界にいた。名を呼ばれて目を覚ます。ラパンは赤い泉の中で揺らいでいた。ラパンは立ち上がる。ラパンの体は白く傷一つない。跡もない。ネスの肉体にも死がある。だが、思念が残っていれば、再生は容易だった。戦いには負けただが、終わりでない。
暗がりに牡ライオンの顔が浮かぶ。ライオンの顔は白く、大理石のようでもある。
「初めて死んだ感じは、どうだ、ラパンよ」
ラパンは正直に答えた。
「あまり気持ちも良いものではないですね。それより、人間に負けたことのほうが、ショックです。それで、お父様、これで私は処分されるのでしょうか?」
ネスが人間に負けたとは聞いた記憶がない。敗北が許されないのであれば、処分は当然だとラパンは考えていた。
お父様は優しい声で語る。
「ラパンに戦う気が残っている限り、人類を滅ぼすまで何度でも蘇り、戦うがよい」
処分はないらしい。だが、悠長には構えていられない。人類がネスに対して対抗策を見い出した以上、いずれは滅ぼす技術も開発する。
「体に力が戻り次第、再び人間と戦いに行きます」
「お待つのだ。このまま行っても勝利はおぼつかない。人間たちは数を四十億人にまで減らした。だが、生きる力は、より強くなった」
兄弟たちと人間を狩ってきた。随分と駆除してきたが、まだ地球には四十億人もいる。
「では、ここからはネスは勝てなくなると?」
当然の疑問だったが、お父様は優しく答える。
「ネスとは、人間を滅ぼす存在。人間が強くなるほどに、こちらも強くなる。ただ、ラパンの強化に、ほんの少しの時間が要る」
ラパン今の強さを限界だとは思ってはいない。だが、これ以上に強くなっていく自分もまた、想像できなかった。人間の攻撃に耐性ができていくのだろうか? だったら、問題ない。
生存競争の果てに人間の強すぎる兵器が世界を滅ぼしても、ネスの勝利だ。人間はネスに勝ち、かつ世界を温存しなければならない。世界の維持に失敗すれば人間は滅びる。
ネスが地上から消えても、人類が滅びれば新しい世界がやって来る。新しい世界の到来こそネスの本願だった。
「お父様、それで私は強化されるまでの間、どうしたらよろしいでしょう」
「いつも通りでいい。パルダ(信徒)の勧誘を勧めよ」
パルダはネスに味方する人間を指す。パルダになれば、人類が滅んだあと、パルダになった人間は新しい世界に生まれ変わり、新しい生が約束される。
ただ、パルダにはそれくらいしかメリットがない。生まれ変われるだけで、金持にも権力者にもならない。もっとも、新しい世界に階級や富の所有の概念があるかどうか、わからない。
ラパンたちも人間が滅びれば新しい世界がやって来る未来は知っているが、未来がどんな世界なのかは知らない。新しい世界で何をするか、何を与えられるかも知らされていない。情報の不開示は、ラパンにだけされていないのではない。他のネスにも知らされていない。
どんな未来であろうと、ラパンには、あまり興味がなかった。人間を滅ぼす。それが今を生きる理由だった。他のネスは知らない。ただ、僕は人間を滅ぼす。
治癒の泉を出て歩いて行くと、リーゼにあった。リーゼは空飛ぶ本の形をしたネスであり、ラパンの姉に当たる。リーゼは、ネスの言葉で、ゼロと一の間の意味があった。リーゼから念を使った会話が届く。姉の声は嬉し気だった。
「死んだんですってね。ラパンは日本で初めて出たネスの負傷者ね、記録しておかないと」
「日本で初めて? では、他の地域では、すでに負傷者が出ていたのですか?」
リーゼは、すんなりと認めた。
「地球で言えば、すでに八人のネスの犠牲者が出ているわ。世界初の犠牲者が出た場所はインドよ」
一万人のネスは世界各地に散って人間を駆除している。当然、インドにもいる。だが、インドで初の犠牲者が出ていたとは聞いていない。僕が尋ねなかったら、お父様は教えてくれなかっただけ。
ラパンが心の中で結論付けると、リーゼの笑い声が思考に混ざる。
「お馬鹿なラパン。可愛いラパン。お父様は、全てを私たちに教えてくれるわけではないわ。教えたい情報を教えているだけ。真相は知っているネスだけが知ればいいの」
リーゼのこの語り方は好きではなかった。リーゼは、自分だけは知っているとの態度をいつもとる。リーゼにしてみれば、知っている者の楽しみだそうだが、ラパンには楽しくない。さりとて、ネス同士で喧嘩するのも馬鹿らしい。
お喋り好きな姉と別れようとすると姉が笑う。
「裏切り者には気を付けて。人間が人間を裏切るように、ネスの中にもネスを裏切る者がいるわ」
ラパンは、この時、ネスを裏切るネスがいるなんて、考えなかった。第一に、ネスがネスを裏切るメリットが、どこにもない。人類は滅びる。滅びる側について、得るものなど何もない。




