8 科学者イリス
俺に謎の能力が備わっていることが判明したその翌日。
芋掘りの効率は俺の力で爆裂に上がり、予定より二日早く収穫を終えた。
畑仕事がひと段落して、俺は海まで来ていた。
海風はやさしく、輝く珊瑚礁から沖の紺碧までグラデーションが島の周りを飾っている。
空には白い海鳥が群れをなして狩りへ飛んでいく。遠くの入道雲はクリームみたいにゆっくりと時間を流していく。
服を着たまま海へ入ると、ひんやりした海水が包んでくれて気分がよくなる。
泳ぎは得意ではないけど、これだけ遠浅なら、あのトカゲに注意すれば少しくらいは海を満喫してもいいだろうと思った。
浅瀬の透明な波間にたゆたいながら、俺は目を閉じ、あの広告コピーのことを思い出していた。
『波の音だけ、聴いて暮らしていく。』
俺にとっては創作の中だけの出来事だったそんな暮らしが、ふいに本当に自分に訪れるなんて……。
そのあとは持ってきたライチのジュースを飲んで、木陰であおむけになった。
これからのことを考えながらぼーっとしていると、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ふと目が覚めると、目の前に顔があった。
驚いて飛び起きると、そこには金髪碧眼の少女がいた。
白い肌に、大きな眼鏡をしている。歳のころは十代後半くらいだろうか。
肩を出した薄手の白シャツを着ており、胸元に大きなループタイをつけていた。ポニーテールが日差しを受けて眩しい。
そして何より目を惹くのはその柔らかな笑顔だった。
「わぁ、起きたんだ」
そう言うとその子は嬉しそうな顔をしてぴょんと跳ねるように立ち上がった。
「わたし、イリス。よろしくね」
彼女の手に、謎のスチームパンクめいたヘルメットが見えた。
イリスと名乗ったその子はとてもフレンドリーな雰囲気の子だった。
年下に見えるが、実際はいくつなんだろう。
俺は姿勢を正して、「え、ああ、うん。俺は……」と自己紹介しようとした。
すると、彼女は首を振って遮り言った。
「知ってるよ! ミナミ・アオくんでしょ?」
「なんで俺の名前を?」
「カイリさまのお客さんだからね。みんなもう知ってるよ」
そういうことか。
確かに島長もラナナルさんも、ここ数日、俺を島民に積極的に紹介してくれている。
でも、さすがに別の世界から来たということは今は黙っていることにした。
「君、大陸の人なの? あんまり外で寝てるとひどい日焼けしちゃうよ、ほら」
イリスはそういうと、俺に手を差し伸べてくれた。
その手を取って立ち上がる。
「うわっ!?」
立ち上がってみて初めてわかったのだが、服が重い!
濡れた服に、さらに砂がべっとりくっついてしまっている。
「あれえ。大変。服のまま泳いできたらそうだよね。ちょっと待っててね」
イリスは繁みのほうへ行くとY字の枝を二つ持ってきて、飯ごう炊きの時に使うような形の、簡易の低い物干し竿をつくった。
「さ、脱いで!」
「は、はい」
女の子に見られながらというのは気が引けたけれど、服を脱いで、そこへかけていく。
「下着はいいの?」
「さすがにいいよ!」
「ふふふ、見ないから大丈夫なのに」
服が乾くまでの間、俺のもといた世界の話をして、彼女からはヘルメットについて話してもらえた。
イリスはラナナルとは友人であるとのことだった。
「それは何?」
「これは潜水用のマスクだよ。わたしが作ったの」
「へえ」
「空気の袋が付いてるでしょ。ちょっとした仕掛けがあって、深いところに潜って水圧が上がるほど、この空気がマスクの中に入って行って、顔の周りの圧力のバランスを保つんだ。それで、耳や目が守られるの」
なるほど。シンプルな仕組みながら、なかなかよくできている。
これを使えば、カナヅチの人間でも海の中で活動ができそうだ。
「昨日ラナナルから、畑の仕事の後、君がどうするかわからないでいるって聞いたよ」
「……それなんだけど、俺、ハンターになろうかと思ってる」
ちょっと自分に特殊能力があることが分かったからといって、昨日の今日でそんな決心をするのは時期尚早だろうか?
「ハンター!」
彼女は目を輝かせた。そして、近くにある自分のカバンから何やらレンチのような謎の物体を取り出した。
「あ、そうだ。こっちの発明品は、ハンター向きなんだけど。いっぱい作れるから売ってあげようか」
「う、俺、お金を持っていなくて……」
「えっ!!」
イリスは相当びっくりしたようだった。
「ハンターになるつもりだったら、せめて、貨幣は持ってなきゃダメだよ……」
その通りだ。先立つものがないと武器も防具もそろえられない。
「でも、俺、畑での報酬は寝る場所や食べ物だったから……」
彼女は顎に手を当てて少しばかり考えた。
「うーん。もし大陸の人なら知ってるかわからないけど、島で燃料に使うアンタス石っていうアイテムがね、少しばかりのお金になるの。ここの浜でもタダで採れるから、わたしが行ってきてあげようか」
燃料になる石……地球でいう石炭みたいなものか?
「ありがとうございます……」
「ううん、気にしないで。わたしもちょうどアンタス石を切らしてるところだったから」
こんどは目の前で、イリスが服を脱ぎ始めた。
俺は慌ててしまったが、彼女は服の下にすでに水着を着こんでいた。
「わたしの発明、すごいんだから。見ててね!」
イリスはそういうと眼鏡のままヘルメットをかぶり、イルカのように華麗に海に飛び込んだ。
そして数分潜ったあと、すぐに戻ってきた。
海から上がった彼女がヘルメットを採ると、驚くことに髪も顔も全く濡れていない。
イリスが抱えている網をひっくり返すと、中に入っていたまだら模様のピンク色の石がいっぱい地面に散らばった。
「はい、これを分けてあげるから、換金しようよ」
差し出されたそれを受け取って、ごくりと唾を飲み込んだ。
「き、きれいだね、これ……」
「え?そんなこと言う人、珍しいね」
「朝焼けの空の雲を石にしたら、こんな感じだと思わない?」
「あははっ、詩人? アオくんって変わってるよ」
イリスはどう見ても島の住人の人々とは容姿が違う。俺のもとの世界でいうなら、北欧系の人の容姿に見える。大陸の出身であることは間違いないんだろう。
しかしハンターではない、謎の発明をしているとなると、どうしてこの島に滞在しているんだろう。
いま石を採っていたように、ものの採集かなにかを目的に滞在しているのだろうか。
(科学者……。研究者?)
新しく増えた友人に、俺は興味を持った。