俺の始まり
「バルトストーリー」第一章第一話を投稿しました。自分は気に入ってますが、これもまたかなり変な始まり方です。まあ、お楽しみください。
銀色に光る月に、手が届く様だ。それほどまでに今日の月は大きい。
月空の下、森が、草原が、丘が、海が、山が、銀に色付く。
夜風に波打つ草原の中央、残雪が溶けて出来た小川は、月光を反射して流れている。その両岸では、スイートアッサリムが白銀の帯を作り咲き誇っていた。
帯に黒い影が落ちた。それは、白く、銀である事を赦さないと言わんばかりに、月光を遮り花畑を闇で包む。
影を見ると、直立二足歩行の人型で、丈の長い服を着ているのが分かる。
影の主は白い花を踏まない様、不規則な歩き方で地肌に足を運ぶ。花に気をつける程の知性はある様だ。
川辺を横切り、川のすぐ側まで来てしゃがみ込むと、悲鳴を上げた。
「ウオッ!?ーーなっ何だ!?」
揺れる水面の向こう側に、馬の化け物の様な存在を見つけたのだ。
影の主は、仰け反り立ち上がろうとするも、あえなく後ろ向きに転倒する。その先にあるのは、可愛らしい花々。踏まない様気をつけていた白銀の園は、潰れたのだろう。
馬の化け物に動きは無い。影の主を追って小川から上がってくる気配も、水面から顔を出す事も無い。初めから馬の化け物なんて、存在しなかったかの様に。
影の主はその様子を疑問に思ったのか、二、三分尻込みした末、小川に忍足で近づき恐る恐る覗き込んだ。
小川の静寂はなんだったのか、影の主の目は今度こそハッキリと馬の化け物を捉えた。
息を呑む音がハッキリと耳に届く。身構える影の主の見開かれた瞳の色は、願望を打ち砕かれた動揺、選択を違えた後悔、存在に対する恐怖。
今度こそ襲ってくるかと影の主は身構えるが、馬の化け物は何もしてこない。
水面の向こう側に見える馬の化け物の姿は、同じ様に身構え、怯えた目をしている。ちょうど、影の主と鏡映しの様に。
影の主はもう一度馬の化け物を見る。
馬の様な顔と、その上に乗る人の足程に太い角に意識が向かう。背中には、コウモリが持つ様な羽が存在し、何より顔から手、羽織るコートまでが、黒一色。その姿は悪魔を連想させる。
目を白黒させる影の主の思考が、何かにたどり着く。影の主はそれを確かめるため、ぎごちなく右腕を上げた。すると、馬の化け物も右手を上げる。その右手をクルリと回すと、同じく左手がクルリと回る。頭に手を回せば、髪のない頭から伸びる足程に太い何かが手に感触を残す。
眼前に持って来たその手はーー黒かった。
「はは、オイオイ……マジかよ……?」
影の主は力が抜け、座り込む。
馬の化け物ーーいや、悪魔は確かに存在する。水面に映る、自らの姿を見て散々ビビっていた『影の主』という悪魔が。
影の主が自分の姿にビビってから既に数刻、満月は南の夜空を登り切っていた。
月光をその身に受けたスイートアッサリムが形作る、白銀の帯に沿われた小川の辺り。
影の主はそこから、一歩たりとも動いていない。それどころか、その半径三メートルの空気は澱み、重さを増している。
「この姿……。まるで、悪魔だな」
自身が抱える倦怠感に耐えかねてか、ため息と共にそう吐き出した。
「まるで」ではなく実際にそうなのではないだろうか。
影の主は正面を向いていない目を擦り、小川を覗き込む。しかし、己を水面に映して得られたものは角の質感レベル。コートに付いているポケットの数が新たに加わったと言う所で、馬の顔と角が美男子のイケメンとフッサフサでツヤッツヤな髪に変わっているというものでは断じて無い。
遂に希望を捨て認めたくない現実を受け入れたーー否、受け入れてしまった面を、流水から草むらに引っ込めようと影の主は背骨を伸ばしたが、その動きが急に止まる。
小川が不自然にゆらいだのだ。
馬の化け物では無い。他の何かがいる。
影の主は性懲りも無く、鼻先を濡らすぐらい顔を近づけて小川を覗き込む。
流れる水にぼやけたその何かが現れたのを確認してから瞬き一つ、ドッバァアアアーーという唯ならぬ音を立てて小川が爆発し、2メートル大の水柱と人型の何かを噴き上げた。
「グボッ!?ギャァァァァーーーーーーーーーー!!?」
影の主は、断末魔とも聞き違いかねない絶叫を、水柱の直撃を受け溺れそうになりながら吐き出し切る。五輪級の反射神経でのけ反り逃げたため、人型の何かは鼻先を掠めることも無かった。
「ゲホッゲホッガバッ」
気管に捩じ込まれ、鼻腔を押し通り、目に叩きつけられた水と、被害地域から出た体液を乱雑に拭い、面をあげる。
飛び散った水が円状に草花を押しのけるその中央、そこに彼女は立っていた。歳は二十歳かそこら。大人びた雰囲気で、ブロンドのストレートヘアに微笑を浮かべた端正な顔立ち、黒のシルクハットをはじめとした、近世ヨーロッパ風のコーディネートが印象的だ。背は1メートル70センチ後半だろう。ふっくらとしたその手が握るのは、背格好に似つかわしく無いもののどこかしっくりくる長槍。そして、最も特徴的なのは正面を向いている目だ。瞼の隙間から覗く、白目は闇の様に黒く瞳は鮮血よりも赤い。その中の瞳孔は、猫の様に縦長になっている。
普段なら恐怖を感じ得ない様だが、影の主の心に恐怖は湧かなかった。それどころか優しく、暖かくさえ思えた。何故か?割れた瞳孔の奥に、懐かしむ様な色を魅たからだろうか……。
月光の下で佇み黄金に輝く髪をなびかせる幻想的な姿は、影の主の黒一色の目を奪う。
同時に、彼女は小川の爆発を引き起こした張本人でもあるだろう。
彼女は影の主に声をかけようとしたのか微かに唇を持ち上げたが、影の主の方が早い。
「まさか…ずっと潜ってたのか?(小川に)」
彼女の目が、面食らった様にパッと見開かれる。それもそうだ、明らかに話の順序が違う。こんなシチュエーションでの最初の一文なのだ。「何者だ?お前は……」的な会話で始めるべきだろう。
しかし、どこか安心した様に、彼女の口角が上がる。
「それ以外、何してたと思う?」
こちらも中々にクセのある返しだ。
「はじめまして、新しい悪魔バルト・ヴァーガス」
そして、こう言い切る。
「私、レーダ・ホーリスが貴方を歓迎する。これから…よろしくね」
大人びた顔は、子供っぽく笑った。
D.t.情報ファイルーNo.2 バルトの五輪級反射神経
小川を爆破し、水柱と共に飛び出して登場というレーダの奇行の際に、バルトが見せた回避能力は、頭に生える角のおかげである。一見何の変哲もない角に見えるが、その実悪魔族が最も頼っている感覚器官で、空気中、水中、地中、に関わらず、流れる《魔因子》を感じ取り三次元的に周囲を知覚ことが可能。バルトも、水中から急接近するレーダの存在を無意識に感じとり、回避行動をとっていた。
また、某悪魔研究家は、「悪魔には、その知覚能力を極め、2キロ先で中指を立てていた人物を判別して見せた個体もいた」と、話した。なお、その勇気ある人物がその後どうなったかは、言うまでもない事だろう。
情報提供者 あまり信用できない悪魔研究家
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