チョコレートの中の勇者
夏の暑さもいずこかへと遠のいていき、山の色も赤や黄色へと色づき始めたころ。
北からの風が緩やかに木々の枯れ葉を散りばめる。
日本の首都よりもはるか西の地域。九州にある山間の小さな町で生まれ育った彼の世界というものは、山ばかりの閉ざされた場所。人通りも少なく、古びた建物が並ぶ。いまも江戸時代の雰囲気の残る通りに舗装された道路。車がいくつも通り過ぎていく。近所の個人商店の中では、年配の女性が井戸端会議をし、小さな子供が小銭をもって、お菓子を買いにいく。それを満面の笑顔で接する六十をすぎたぐらいの和服姿の女性。店の前の駐車場を掃除するラーメン屋のおじさん。退屈そうにあくびをしている床屋さん。バスを待つのは、制服姿の女子高生。ランドセルを背負って、近所の友達と走っているのは、ガキ大将。それを冷たい眼差しをみる眼鏡をかけたクラス委員。その傍らでは、ガキ大将に対して、苦手意識を持っているポニーテールの女の子。
当たり前の朝がいつも通りはじまる。
いつも通りの日に、朝矢は、いつも通りのことをする。
家を出て、集団登校の集合場所へ行くと、年下の友達とともに同じ班の女の子をからかう。そうすると、泣き顔になる年下の女の子。泣かせるなという同じ年の優等生。
毎日のように、集合場所での一悶着が日常生活にあった。そんなに体格がいいほうではないやせ型で小柄。
それにも関わらず、ジャイアンでもいい勝負な荒くれもの。
どこか不満というわけではない。どうも、人が困る顔を見るのが楽しくてたまらなかったのかもしれない。
いや、ただ構ってほしかったのだろう。
知ってほしかったのかもしれない。自分のことを……。
「ちゃんと買ってきたやろうなあ」
「うん。これ……」
雉里川の川沿いの岩。そのうえに数人の小学生が登っており、そのもっとも高いところに朝矢が座って、手にしっかりと『ビックリマンチョコ』を握り締めている少年を見下ろしていた。少年は、不安そうな顔で朝矢を見ている。
「おいおい、そがんところに立っとらんでで、ここまで持ってこい」
朝矢が自分の座っている位置を指さす。
「無理だよ。僕、そういうの苦手なんだよ。朝矢君だって、わかっとるやろう」
「ああ。最初から諦めるんな。簡単やんか。それに、蓮司と同じ学年のこの双子も登っとるばい」
朝矢の隣に座っていた哲が何度もうなずく。
「そがん。簡単。簡単たい。登ってみんね」
「登れ。登れ」
少年たちの大合唱が始まり、蓮司は目を潤ませる。
「蓮司。泣いたらいかん。男やろ」
助けを求める蓮司のことなど無視をして、周囲の少年たちが蓮司にはっぱをかける。
逃げられない。蓮司は、朝矢のいる岩を見上げる。大きな岩だ。大きな岩がさらに大きく聳え立っていく。その向こうで悪魔かなにかがにらみを利かせているようで、足がすくむ。
「朝矢君。蓮司のやつ。完全にビヒッとるばい」
「無理じゃなか?あいつ、ビビりだぜ。がっぱいビビり、ヒータレたい」
朝矢の両隣にいる勇と泰がいう。
「ヒータレがなんだ。根性みせんかい」
朝矢が怒鳴ると、蓮司の顔が青ざめる。
「ヒータレ。こっちこいよ」
「ヒータレ。ヒータレ」
また、大合唱が始まる。
さらに蓮司が縮こまり、俯く。
「おい」
朝矢の掛け声で、岩の下のほうに座っていた少年たちが下りると、蓮司の体をつかみ、無理やり岩を登らせようとした。
「いやだ。いやだ。無理無理」
暴れる蓮司をものともせずに、無理やり岩に体を押し付ける。
「登れ。登れ」
「嫌だ。いやだ」
「なんばしよるね。有川」
その時、川の向こう側のガードレールのほうから、少女の怒鳴り声が響いた。
少年たちはす、はっと振り向いた。そのせいで、蓮司を抑え込んでいた腕が緩み、蓮司は咄嗟に少女のほうへと走る。ガードレールを潜り抜けて、彼女の後ろに隠れる。
「こら、勇、泰。あんたらも有川とつるんで、なんしよるね」
「げっ、委員長」
「姉ちゃん」
朝矢と双子の兄弟が彼女を見る。
いつの間にか、蓮司の姿がない。どうやら、逃げたらしい。
「てめえ、こそ、なんすっとね。ビックリマンチョコ、持ち逃げされたじゃないか」
「なんばいいよると?どうせ、蓮司のお金やろう。本人の買ったもんやから、本人のもんやろうもん」
「金は俺んとや。勝手に決めんな。くそ眼鏡」
「はあ。あんたは、質の悪い『ジャイアン』じゃなかか」
「てめえなんか、姑化した『のび太』じゃねえか。眼鏡女」
「はあ?なに、そのたとえ。バカ。あんた、本当にバカ」
「やぐらしかーー。むかつくばい」
朝矢は岩から飛び降りると、彼女の襟首をつかもうとした。それよりも先に腕を掴まれる。同時に思いっきり、背中を地面にたたきつけられた。
「いてえ。何しやがる。暴力女」
「うちを倒そうなんて、百年早い。今度、いじめたら承知せんけんね」
「朝矢くん。大丈夫」
「あんたたちも、家に帰ったら、お父さんに説教してもらうけんね、覚悟しなさい」
「ひい」
「ちっ。覚えてろ。くそ眼鏡」
立ち上がった朝矢は、捨て台詞を吐くと走り出した。そのあとを勇たちが追う。
「ちょ……。あんたたち……」
そう呼びかけたが、追いかけるつもりはない。
「信じられん」
「桜香。終わったと?」
すると、背後から声がして振り返ると、物陰から少女が顔を出す。
「うん。って、なんで隠れとると?」
「だってえ。朝矢君。えすかもん(怖いもん)」
「どこが?あんなやつにビビる必要なかよ」
「そがんやろうけど、うち、苦手……」
彼女は不安そうな顔をしている。そんな表情をするのは、彼女にしては珍しい。普段ならば、明るく笑顔が魅力的な彼女なのだが、どうやら朝矢がいると怖気づくらしい。とにかく、物陰に隠れてしまう。
(恐れているというよりも……)
桜香には、思う処があったのだが、言う必要を感じないし、混乱させるだけだと感じ、言わなかった。
「それよりも、早くいこう。お母さんがおかし作ってまっとるとよ」
「うん」
彼女は、桜香の手をつかむと、川に沿って、山の上へと続く坂道を駆け出した。
近所のガキ大将は、小柄な少年だった。そうとは言えども、五年生の中では小柄なほうなだけで、まだ二年生の蓮司すらしたら大きく見える。なにせ、蓮司もまた背の順では一番前にいる小さな体つきだった。そのうえ、気も弱いからなにかといじられてしまうのは保育園のころから変わらない。強くなりたい。そう思いながらも、結局は怖気づいてしまいなにもできない。だから、優柔不断な自分が朝矢たちから虐められてしまうのも当然なのかもしれない。すべて自分が悪いのだ。
蓮司は、無我夢中でかけていたために、自分がどこにいるのかわからなくなっていた。いつの間にか、林の中。すぐ近くに出口があるから迷子になるような場所ではない。何度か足を踏みて入れた場所だ。その中に祠がある。いつからある祠なのかはわからないが、ずっと昔から、公園裏の林の中でひっそりとある祠。その両端には狛犬らしき銅像。けれど、狛犬にしては大きく、眼差しも鋭い。堂々たる勇者のようだと蓮司は評している。その狛犬を横切り、蓮司はの前の三段階段の座り、ビックリマンチョコを見た。
「渡さないと……。僕のもんじゃなかし……おつりも返さんといかん」
ポケットに入れていたおつりを取り出す。
「食べていいかなあ。いかんやろうなあ。朝矢くんのもんや」
そんなことをつぶやいていると、どこからか声がした。
食べていいぞ。お前が買ってきたのだから、お前のものだ。
金のことは大したことない。
朝矢君におごってもらったものだと思えばいい。
そんな誘惑だ。
けれど、ばれたら、またやられてしまうのではないか。
渡しにいこうか。
けれど、そこでやられる。きっと、逃げたことをとがめられるだろう。
そう思うと体が動かない。蓮司は、そのまま膝を寄せてうずくまっていた。
ビりッ
その時、音がした。何かが避けるような音に、蓮司がはっとする。
なんだろうと音のするほうを振り返ると、足音が聞こえてきた。
蓮司がはっとする。
中学生だ。大柄な中学生が祠の向こう側から姿を現した。
ビリッ
まただ。どこからか、何かがひび割れる音。
「おいおい。ガキがなにしよる?」
いかにも柄の悪そうな中学生が自分を威嚇している。朝矢の眼差しよりも恐ろしい。
逃げないと……。
「ここ、どけろ。俺たちの縄張りばい」
「はっはい」
蓮司が慌てて、階段から離れると中学生たちが座り込むなり、ポケットから煙草を取り出して、吸い始めた。
「あの……。たばこは……」
小さな蓮司でも知っている。中学生がたばこを吸っていいはずがない。
「ああ、文句あるか。このやろう」
「いえっ」
「だったら、さっさと消えろ。邪魔だ」
「はい」
蓮司は慌てて、その場を離れようとした。
「蓮司」
その時、目の前に朝矢たちの姿があった。蓮司が足を止める。
蓮司の姿を認めると、こちらへと近づいてくる朝矢たち。背後には、中学生がにらみを利かせている。
どうしよう。どうしたらいいのだろう。
「蓮司?どがんしたと?」
蓮司の様子がいつになく、おかしいことに気づいたらしい。朝矢の表情が少し優しくなる。けれど、蓮司はまったく気づく様子はない。四面楚歌の状態で身動きが取れず、右往左往している。
「おいおい。ガキがまた来たばい」
背後の中学生が立ち上がり、こちらへと近づいてくる。
「げっ中学生だ。朝矢くん」
「あれって、問題ばかり起こしているやつらじゃなか?」
周囲が声を震わせている中、朝矢だけが中学生を睨んでいる。
「なんだ?このガキ。文句あるか」
「朝矢くん。まずいかよ。逃げよう」
勇が朝矢の腕を掴んで逃げようとするが、それを振りほどくなり、突然中学生のほうへと駆け出した。みんなが驚いたのも言うまでもない。朝矢は、中学生の一人のとびかかるなり、押し倒してしまった。
「朝矢君。なんしょっとね」
「うるせえ」
周囲の声も聴かず、朝矢が中学生を殴ろうとした。しかし、別の中学生によって引きはがされ、思いっきり投げ飛ばされる。朝矢は、草むらの中へと落とされる。
「びっくりした。なんだよ。このガキ」
中学生が驚いたのは言うまでもない。
「うるせえ。てめえら、俺の舎弟をびびらせてんじゃねえ」
「はあ?意味わからん」
「なんか、逆切れしとるばい。こいつ」
朝矢は立ち上がるなり、自分よりもずっと大きな中学生に突進してくる。
「ふざけんな」
けれど、あっけなく倒され、殴りつけられる。
「朝矢君」
先ほどまで見ていた勇と泰たちが朝矢をなぐりつけている中学生の腕を必死につかむ。
「このガキども……」
「これ以上、朝矢君を殴らせんけん」
「そうだ。そうだ」
「離せ」
勇たちを振り放そうとした瞬間。中学生の局所に強烈な痛みが走る。そのまま、のたうち回り、局所を押させなが、土下座の態勢をとる。
「立垣。大丈夫か?」
周囲の友人が心配そうに話しかけている。
「いてえ」
「へへへえ。ざまあ見ろ」
いつの間にか、朝矢が立ち上がっている。
「このガキ……」
立垣と呼ばれた少年の友人が朝矢に詰め寄ろうとする。
「やめろ」
「けど、立垣」
「ガキ相手に本気になった俺が悪いんだよ」
立垣は、朝矢のほうを見た。
「さて行こうぜ」
「え?立垣?」
「いいから」
「わかった」
中学生たちがその場を立ち去っていく。
ピキッ
音がした。ヒビが入る音。
「朝矢君?」
朝矢が振り返る。
「どうかした?」
「なんか、へんな音せんかったか?」
「ううん。わからんかったよ」
朝矢君にも聞こえたのかな?
蓮司は朝矢を見た。すると、朝矢が振り返る。
「蓮司。出せ」
「え?」
「だから、ビックリマンチョコ。はようだせよ。ここに来たのは、それだ。それ。まさか、あの中学生にやったとや。なかろうな」
「違うよ。違う」
蓮司が慌ててだすと、朝矢が奪い取る。そして、パッケージを開けて、中のシールを取り出した。
「ちっ。また、はずれ」
「え?なんで、これレアだよ」
「持っているから必要ない」
朝矢は再び、パッケージの袋の中へと戻すと、蓮司のほうへと差し出した。
「え?」
「やる」
蓮司は怪訝そうな顔をする。
「いいからやるっていってんだよ。さっさと受け取れ。殴るぞ」
「はい」
蓮司が慌てて、開けたばかりのビックリマンチョコを受け取った。
「いこうぜ。向こうでサッカーしよう」
朝矢が歩き出した。そのあとを少年たちが追う。
その後ろ姿を見ていた蓮司がビックリマンチョコからシールを取り出す。
シールの中身は『勇者』のイラストだった。蓮司かほしくてたまらなかったレアものだ。
はっとして朝矢の後姿を見る。
「素直じゃないからね。朝矢君」
いつの間にか、勇たちが隣にいた。
「絶対にそれもってないよね」
「レアだし。僕たちも持ってないやつだよ」
「……」
「そういうこと」
勇と泰は、蓮司の肩をポンとたたくと、歩き出した。
蓮司はもう一度『勇者』のイラストを見る。
なんとなく、勇たちが言おうとしたことがわかったような気がして、思わず口元に笑みを浮かべた。
次から本編に戻ります。
第二章です。




