嫉妬と執着と癒えぬ痛み①
彼女はまだ目を覚まさない。
あれから、すぐに彼女は救急車で運ばれた。
弦音が彼女の眠る病室へと向かうと、病室の前には警官が一人立っていた。
警官に軽く頭を下げると病室へと入った。
六人部屋の病室だが、いまここに寝ているのは樹里だけで、彼女のそばには母親がハンカチで目をぬぐいながら腰かけいる。その傍らにももう一人の男。かすかに色のついた黒縁の眼鏡に背広姿の二十代半ばほどの男だった。
「まだ目を覚まさないようですね」
「はい。いったい、なにがあったのでしょうか」
二人の会話を聞く限り、親子でも夫婦でもない。
男の眼鏡越しの眼差しはまっすぐと母親を見つめ、母親のほうは完全の憔悴しきている。
それもそのはずだ。
娘が突然学校の先輩に襲い掛かったうえに、なぜか昏睡状態に陥ったのだ。いったいなにが起こったのかわからずに混乱するのは当たり前だ。
それは彼女の親だけではない。
弦音や樹里の親友である麻美もまだ状況がつかめずにいる。
これが自分の親だったらどんな反応をするのかと想像してみる。母は失神。父はもう手も付けられないような状態になるのが目に見える。
親にとっては子供が犯罪を起こしたかもしれないと聞かされたら、たまったものではない。
「詳しくはわかりません。娘さんが目覚めないことには……」
男はそう答える。けれど、その瞳にはどこか確信しているような雰囲気があった。わからないのではない。言えないだけなのだろう。
彼は刑事だ。その雰囲気から弦音はそう悟った。
「ああ。どうしたのよ。樹里……どうして、あんなことを……」
母親が問いかけても目を覚まさない。
聞きたいのは、こっちも同じだ。
様子がおかしかった。
あの時の樹里の様子の変貌に異様さを覚えた。
あれは本当に彼女だったのか。
弦音にはどう考えても、別のなにかのように思えた。
(もしかして、なにかに憑りつかれた?)
そこまで思い至りながらも、弦音はあり得ないと首を横に振る。
「杉原。樹里は?」
いつの間にか、麻美の姿があった。
「大丈夫だよ。命には別状ないらしい」
「そう。けど、どうしたのかしら、本当に……」
「君たちは、目撃者だね」
母親と会話していた男がこちらのほうへと視線を向ける。
「事情を聞かせてほしいのだが……」
「はい。でも、俺たちもよくわかりません」
「とにかく状況を把握したい。ありのままを話してくれるかな?」
弦音たちは自分たちが見たことをそのまま話した。
「ありがとう。被害者にも事情を聴きたいところだが……」
「芦屋刑事。被害者の園田さんとはまだ連絡が付きません。家にも帰っていないようです」
部下らしき刑事が言う。
やっぱりこの人は刑事だったようだ。
「そうか。君たちは心あたりはないか」
「いいえ。園田先輩とはさほど親しいわけでないので……」
(園田先輩が消えた?)
消えたというのはどういうことなのか。
確か、園田も樹里と同じように病院に運ばれたはずだった。命には別状がなかったけれど、事情を聴くために残るように言われていたはずだったがいつの間にか消えてしまったようだ。
「彼のほうはどうかな?」
芦屋刑事が部下に聞いた。
「秋月君ですか? 彼にも話を聞いたのですが、その二人とも似たようなことを話すだけでした」
「彼は帰したのか?」
「いいえ。まだいます。なにか?」
「いいや、いまはいい。それよりも俺はもう一人の目撃者のところへいく」
「もう一人の……」
「正確には、彼女を救った英雄かな。まあ、そういったら機嫌悪くなるだろうな」
「彼ですね」
「ああ」
「……。わかりました。後は任せておいてください」
「たのむ」
芦屋と呼ばれた男はもう一人の刑事に頼むと、病院を後にした。




