背後に迫る影①
朝矢は武将が消えてしまったのを確認すると、すっかり失神している先生のほうを見た。
「おい。先生。こらっ」
声をかけてみたが起きない。
「まったく。てめえが依頼してきたんだろうが、さっさと起きろ」
「ひどいなあ。朝矢殿は……」
別の方向からしゃがれた声が聞こえてきた。
朝矢が目を細めながら振り返ると、そこには七十を超えたほどの老人が優雅に正座をして茶を啜っている。
ただの老人ではない。羽織袴姿で白髪頭はチョンマゲに無精髭。
さきほど矢で貫かれた甲冑姿の武将にそっくりだ。
「せっかく加勢にきてやったというのに、この初代征夷大将軍をあんな若造に射ぬかせようなんぞ。まったくもってけしからん」
いや、矢で射貫かれた武将そのものだ。
射ぬかれたはずなのに、何事もなかったように飄々としている。
「うるせえ。家康。てめえも向こうへいけよ」
「よいではない。わしも死してから数百年。この世の変わりようが楽しゅうてたまらんのだよ」
再び茶をすする。
鉄砲で撃たれようが、矢で射貫かれようが、彼には何も害はない。
彼は生きた人間ではないからだ。はるか昔に肉体が滅びた魂だけの存在となった死人にすぎない。
物質的な攻撃で消せるものではなかった。
方法はなくはないが、別に強制消去する必要性もない。
「ところで、朝矢殿。依頼は終わりかのお」
「ああ。店長はそれしかいってなかった。この弓道場に住み着いた“霊”をどうにかしろってな」
「ほほほほ。そうかい。そうかい。ならば、せっかく来たのだから、久しぶりに射ぬか?」
「そんなもの。いつもやっているじゃないか」
「“仕事”では……。たまにはスポーツとしてやるのもよいじゃないか」
“家康”の提案に朝矢は立てかけられた弓のほうへと視線を向けた。
そういえば、スポーツとしては随分とやっ ていない。
田舎にいたころは毎日のようにやっていた弓道も東京に来てから、“仕事”以外で触るのは初めてだ。
「ならば、やってみるとよい。この征夷大将軍を楽しませてくれよ」
「ちっ、狸野郎」
「ほほほほ。誉め言葉とする」
朝矢は弓を取る。
だれの弓かはわからないが、自分の弓は持ってきていないのだから仕方がない。
「悪い。借りる」
“家康”以外聞くものなどいないというのに、断りを入れる。
口が悪いわりには妙なところで律儀だ。
右手に弽をつけると早速、弓を弾く体制をとった。的は一つ。
一心に集中する。
弦を矢とともに引く。そして、放つ。
矢がまっすぐに飛ぶ。
的の中央に突き刺さる音が響き渡る。
朝矢は、弓を下ろした。
同時に‟家康”が拍手をする。
「見事なものじゃのう。今時の若いモノにしては……」
楽しそうに笑う。
「どれどれ、もう一つ」
「うるせえよ。怒られるだろうが……」
朝矢が頭をかきむしった。




